第72話 哀しみに涙して


 泣きじゃくるつぐみを抱き寄せ、優しく髪を撫でる。

 耳元で「大丈夫、大丈夫だから」と何度も囁く。

 あおいたちは心配そうに二人を見ている。視線を感じた直希は振り返ると、優しく微笑んだ。


「心配しなくていいよ。つぐみのことは任せて」


「……あ、は、はいです」


「川合さんもごめんね、何だかバタバタしちゃって」


「い、いえ……そんな、私の方こそ、こんな時にお邪魔しちゃって」


「川合さん、もうすぐ夕食の時間なんだけど、よかったら食べていかない?」


「あ、いえ……そろそろ帰らないと、両親が心配しますので」


「そっか、分かった。それじゃああおいちゃん、西口タクシーに電話してもらえるかな」


「はいです、すぐ連絡しますです」


「川合さん、ここがよく使ってる個人タクシーを呼ぶから、それで帰ってもらえるかな。勿論、料金はこっちで払っておくから」


「いえ、そんな……大丈夫です、電車で帰りますので」


「暗くなってきてるし、雨も降ってる。菜乃花ちゃんの大切な友達を、一人で帰すなんてこと、出来ないから。悪いけど今日は、俺の言うこと聞いてほしいな」


「直希さん、連絡つきましたです。すぐ来れるそうです」


「ありがとう、あおいちゃん」


「美咲さん、私も直希さんの言う通りだと思いますです。確かにこの街はいい人ばかりですが、それでもこんな時間、足元も悪い中、女の人が一人で帰るのはよくないと思いますです」


「……分かりました。あのその……ありがとうございます、新藤さん」


「こちらこそ、色々ありがとう。よければまた、遊びに来てくれるかな。今はちょっとあれだけど、菜乃花ちゃんも喜ぶと思う。勿論、俺たちもね」


「はい、必ず」


「あと……あおいちゃん、それからみなさん。申し訳ないですけど、夕食の方、お任せしてもいいですか?俺、ちょっとつぐみの部屋にいますんで」


「分かりましたです。任せてくださいです」


「ナオちゃん、あんまり無理しちゃ駄目だからね」


「ありがとう、ばあちゃん。それから菜乃花ちゃんのご飯は、後で俺が部屋に持っていくから、そこに置いててもらえるかな」


「分かったわ。任せて」


「つぐみ、部屋に戻ろうか」


 そう言って頭を撫でると、つぐみは小さくうなずいた。





「……」


 ベッドにもたれかかるように腰を下ろし、隣につぐみを座らせた。

 つぐみは直希から離れようとせず、しがみついたまま隣に座った。


「もう、俺たち二人だけだよ」


 そう言って、つぐみの肩に手を回し、優しく抱き寄せる。その言葉が温かくて、つぐみが小さくうなずいた。


「久しぶりだな、お前が大泣きする所を見るのは」


「……」


「お前、子供の頃からいつも、肩に力が入ってる所があったからな。何て言ったら……そう、自分の弱みを絶対に見せないって言うか」


「……」


「それはそれで、立派なことだと思う。いつも弱音を吐いて、誰かに助けを求めることが普通になってるよりは、格好いいと思うし憧れる。でも……お前の場合は、それが行き過ぎてるって思ってた。だから正直言って、心配だったんだ。

 そりゃお前だって、人目につかない所で泣くこともあったろう。でもな、たまには自分に優しくなって、自分を甘やかすこともしないと。だからお前には悪いんだけど、お前が大泣きしたのを見れて、ちょっとほっとしたよ」


「……馬鹿」


「ははっ。大泣きして、ちょっとはすっきりしたか?」


「……疲れた」


「それだけ泣いたら疲れるよな。お前はいつも自分に厳しくて、甘えを許さない生き方をしてきた。だから今みたいなこと、ある意味心と体がびっくりしたんじゃないか。今日はこのまま、休んでいいよ」


「でも……」


「いいんだよ。お前だって、たまにはしっかり休まないとな。それに前に言ってただろ?色々と抱え込んで注意が散漫になった時、そんな時に事故は起こるって。今のお前の状態は、そんな感じ。だからこれは管理人としての命令。今日はゆっくり休んでくれ」


「……何も聞いてこないのね」


「ん?ああ、お前の様子を見てたら、大体想像はつくよ。お前が話したいって言うなら、勿論聞くし相談にも乗る。でも、それもどっちにしても、今じゃないだろ。今は疲れ切ったお前に、頑張ったな、偉いぞって褒めてやりたい気分なんだ」


「……馬鹿」


「えええっ?その返し、酷くない?」


「……でも、ありがとう。今日はその……直希に甘える」


「ああ、そうしてくれ。泣いてる姿にほっとした、そう言っておいて矛盾するけど、やっぱりつぐみには、いつも笑っててほしいからな」


「菜乃花のことは」


「任せてくれないか?」


「……」


「お前が菜乃花ちゃんと、半年かけて育ててきた信頼関係。それを否定する気はない。お前たちは本当に信頼しあってる、最高の友達だと思ってる」


「……そんなことないわ」


「なんでそう思う?」


「ついさっき、菜乃花にそのことを否定されたの。友達なのに、隠し事ばっかりしてたって」


「そりゃそうだろ」


「え……」


「そりゃそうだろ。それは友達だって夫婦だって、隠し事の一つや二つぐらいあるさ。逆に全部さらけ出してたら、そっちの方が怖いぞ」


「……」


「今ので大体分かったよ。多分あれだろ、じいちゃんばあちゃんのこととか、菜乃花ちゃんにちゃんと話してなかった。だから菜乃花ちゃんに怒られた」


「……一言にされると、ちょっと癪だけど」


「ごめんごめん。でもな、そうするに至った理由が俺たちにはあるだろ。菜乃花ちゃんにとっては、気に入らないことだったのかもしれない。でもそれは、時間をかけて話し合って、誤解を解いていけばいいんじゃないかな。俺たちだって、別に菜乃花ちゃんをのけ者にしようとしてた訳でもないんだ。そこを伝えることが出来れば、何の問題もないよ」


「でも菜乃花……あんなに怒って」


「タイミング、なんじゃないかな。今の菜乃花ちゃんは色々あって、全部を受け止められなくなってる。そんな時に無理に話をしようとしても、返って逆効果なんじゃないか」


「……」


「たくさんの問題が起こった時、どれから手をつけたらいいのか分からなくなって、冷静な対応が出来なくなってしまう。だからそんな時は、解決する問題の優先順位を決めて、一つずつ対応していく。トラブルが起こった時の基本だろ?」


「じゃあ直希、あなたにとっての優先順位は」


「今の一番はお前。まずはお前に、安心して休んでほしい」


「……馬鹿」


「そして菜乃花ちゃんにも、ゆっくり休んでもらいたい。俺も今聞いたんだけど、菜乃花ちゃん、学校で大変なことになってたみたいなんだ。あれはちょっと、一人で抱え込むキャパを超えてると思った。だからまずは、ゆっくり休んで、冷静に考えられる環境を作ってあげたい」


「どうするの?」


「とりあえず、一人にした方がいいと思う。菜乃花ちゃん次第だけど、しばらく空き部屋に引っ越さないか聞いてみようと思う」


「……」


「そしてタイミングを見て、話してみようと思う」


「それは私が」


「今は駄目かな。今のお前を見てたら、それがいい方法だとは思えない」


「どうして」


「お前たちは仲が良くなりすぎたんだよ。本当に信頼しあってる。だからこそ、お互いに熱くなってしまって、時には傷つけてしまうような言葉も出てしまう」


「でも……でも私、菜乃花のことを」


「介護の基本だよ。利用者さんが不穏な状態になった時、対応しても駄目な時は、同じ人間が無理して対応してはいけない」


「……」


「そんな時は交代して、別の人間が当たる。それでも駄目なら、また別の人間が対応する。そうだろ?」


「……そうなんだけど……」


「これも同じだよ。だから今は、つぐみの番じゃない。むしろお前には、事が落ち着いてから、菜乃花ちゃんのサポートをしっかりしてほしいと思ってる」


「……分かった。直希が言うならそうする」


「ああ、ありがとう」


 そう言って、つぐみを抱き寄せる手に力を込めた。


「任せておいてくれ。きっとお前の前に、いつもの菜乃花ちゃんを連れて行ってみせるから」


「分かった……ありがとう、直希……」


 そう言うと、つぐみは安堵の表情を浮かべた。そしてしばらくすると、直希の腕の中で、小さな寝息を立てて眠りについた。

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