第70話 踏みにじられる決意


 その頃直希は食堂で、あおい荘を訪れて来た少女と話をしていた。

 少女の名は川合美咲。菜乃花と同じクラスの同級生だった。


「それで菜乃花ちゃんのことを心配して、わざわざ来てくれたんだ」


「あ、はい……菜乃花とはその、同じ園芸部なんです。でも、菜乃花はあんまり人と話さない子だから、私も特別仲がいいって訳じゃないんです。でも……今回のこと、あんまりだって思って」


「ありがとう川合さん。でも菜乃花ちゃん、帰ってから部屋に入ったままで、俺たちもまだ話せてないんだ」


「菜乃花……大丈夫かな」


「川合さん、こちらをどうぞです」


 そう言って、あおいが紅茶をテーブルに置いた。


「あ、ありがとうございます」


「菜乃花さんのお友達ということは、私にとっても大切なお客様です。雨の中、こんな遠い所まで大変だったと思いますです。どうかこれを飲んで、温まってほしいです」


「すいません、その……いただきます……」


 両手でカップを持ち、一口飲む。


「あったかい……それに……甘い……」


「はいです、砂糖多めに入れましたです」


「それで、その……新藤さん、ここって一体」


 そう言って美咲が辺りを見渡す。カウンターの中では、文江と山下が慌ただしく料理を作っている。


「ここは、簡単に言えば老人ホームです。菜乃花ちゃんもここで、俺たちと一緒に働いてるんですよ」


「老人ホーム……菜乃花、そんな所に住んでたんだ」


「ちなみに今、テーブルで野菜を切ってる人、あの人が菜乃花ちゃんのおばあちゃん」


「ええっ!そうなんですか」


 美咲は慌てて立ち上がると、小山に向かって頭を下げた。小山はうなずき、「孫と仲良くしてくれて、ありがとうね」そう言って笑った。


「それで、なんだけど……川合さん。よければ聞かせてほしいんだ。学校で菜乃花ちゃんに、何があったのか」


「そう、ですよね……でも……」


「その人たちは大丈夫よ、美咲ちゃん」


「え……でもその、菜乃花のおばあさん」


「ここの人たちはね、菜乃花にとって大切な人ばかりなの。家族と言ってもいいわ。特にあなたと話しているナオちゃんは、菜乃花が誰よりも信頼してる人なの。だから大丈夫よ」


「そう……なんですか」


「どこまで信頼されてるかは、分からないけどね」


「そんなことないですよ。菜乃花さんは直希さんのこと、本当に信頼してますです」


「ありがとう、あおいちゃん」


「……分かりました。では、お話しさせていただきます。

 菜乃花は学校でも、本当に静かなおとなしい女の子です。だから友達らしい子もいなくて……でも彼女可愛いから、男子たちの間では結構人気があったんです。

 私が知ってるだけでも、三人から告白されてます。だけど菜乃花、男子のことが怖いみたいで、告白されるといつも逃げてたんです」


「何となく、想像出来るね」


「はい……それでその、新学期が始まってすぐの頃、ある男子に告白されたんですけど」


「新学期ってことは、最近だよね」


「はい。新学期になってから菜乃花、すごく明るくなったように見えました。いつもなら、誰に話しかけられても怯えてたのに、よく笑うようになったんです。そんな菜乃花のことを、男子たちが気になりだしたのも仕方ないのかなって」


「そうなんだ。菜乃花ちゃん、本当に頑張ってたんだね」


「はい……でもここに来て、菜乃花が明るくなった理由、ちょっとだけ分かった気がします。菜乃花、夏休みの間に引っ越してたんですね」


「うん。7月の終わりぐらいだったかな」


「ここの雰囲気、菜乃花のおばあさんが言うように、あったかい感じがします。新藤さん、ここって本当に、老人ホームなんですか」


「ええ、そうですよ。まあ正確に言えば、高齢者専用の集合住宅、なんですけどね」


「でも、その……今お料理を作られてるのって、ここに住んでる方たちですよね」


「あははっ、変かな。今日はちょっとバタバタしててね、悪いと思ったんだけど、手伝ってもらってるんだ」


「そうなんですね。でも……ちょっと菜乃花が羨ましいです」


「そう言ってもらえると嬉しいよ。ありがとう」


「いえ、本当のことですから。それで、その……菜乃花に告白してきた男子なんですけど、女子たちの間でも人気のある人なんです。今まで何人もの女子が告白してたぐらいで……そんな人が菜乃花に告白した。私、それを偶然見かけてしまったんです」


「それで菜乃花ちゃんは」


「いつもみたいに、逃げ出したりしませんでした。相手の話をちゃんと聞いて、その上で『ごめんなさい、私、好きな人がいるので』と言って、頭を下げて断ってました」


「……そうなんだ」


「はい……でもその時、私の他にもう一人女子がそれを見ていて……その子、以前その男子に告白して断られてたんです。だからその子、すごい顔をしてて」


「菜乃花ちゃんに対して、嫉妬の感情が生まれちゃった、のかな」


「はい、そう感じました。それからその子、クラスの女子たちにそのことを言いふらしてました。それでその……次の日から、クラスの女子たちが菜乃花のことを、無視するようになって」


「……」


「でも菜乃花、元々人と話すのが得意じゃない子だから、そんなに気にしてる様子はありませんでした。いつも通り、休み時間は本を読んで、放課後には園芸部で植物の世話をしてました。でも……」


「……」


「先週、文化祭の実行委員を決めることになった時、女子たちが話を合わせて、菜乃花を推薦したんです。菜乃花、驚いてました。だって明らかに、あれは嫌がらせだったから」


「嫌がらせ、か……」


「でも菜乃花、実行委員を引き受けたんです。私、びっくりしちゃって……その後、トイレで会った時に言ったんです。嫌がらせに決まってるから、今からでも断るべきだって。でも菜乃花、こう言ったんです。逃げてばかりの自分を変えたいんだ、心配してくれてありがとうって」


「……菜乃花ちゃん……俺、無責任に励ましたりなんかして……」


 そう言って直希はうなだれ、テーブルを見つめた。

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