第69話 失意の底で
「菜乃花ちゃん、菜乃花ちゃん!」
扉の前で、直希が声をかける。
部屋に駆け込んだ菜乃花は鍵をかけ、直希の呼びかけにも答えなかった。
「……」
ため息をついた直希が振り返ると、入居者とスタッフたちが心配そうに直希を見つめていた。
「菜乃花……」
小山がそうつぶやき、肩を落とす。あおいは小山の手を握り、「大丈夫、きっと大丈夫です」と声をかけ、哀しげな眼差しを扉に向けた。
「すいませんみなさん、ご心配をおかけして……もうすぐ夕食の時間ですので、とりあえず一旦解散ってことでお願い出来ますでしょうか」
「それはいいんだが……直希、菜乃花ちゃんのことは」
「心配してくれてありがとう、じいちゃん。菜乃花ちゃんのことなら大丈夫、俺に任せて。それにほら、そろそろスーツ、脱ぎたいんじゃない?体、かちこちに固まってるよ」
「ナオちゃん、何だか悪いわね……私たちのせいでこんなことに」
「何言ってるんだよ、ばあちゃん。菜乃花ちゃんのことは、二人の喧嘩と何の関係もないだろ。それより……仲直り出来てよかったね。今日からまた二人で、仲良くしてて欲しいな。今日の夕飯、ばあちゃんの好きな鯖の生姜煮だからね、楽しみに待ってて」
「……直希くん、それじゃ私たちも部屋に戻るよ。何か手伝えることがあれば、いつでも声をかけてくれていいから」
「ありがとうございます、生田さん。その時はよろしくお願いします。山下さん、それから西村さんも、じいちゃんばあちゃんの仲直りに協力してくれて、ありがとうございました。これからも二人のこと、よろしくお願いします」
入居者たちが、各々の部屋に戻っていく。廊下には直希とつぐみ、あおいと小山が残った。
「小山さん。申し訳ないのですが、最悪の場合その……鍵を開けて入らせてもらってもいいですか」
「ええ、それはいいんだけど……菜乃花、一体何があったのかしら」
「話を聞くまでは分かりません。ですが……学校で何かあったのかもしれません。俺、菜乃花ちゃんがSOSを出してたのに、気づけてなかったのかも……申し訳ありません」
「ナオちゃんが謝ることじゃないよ。でも……孫のこと、よろしくお願いします。多分あの子、私が言っても聞かないように思うから」
その言葉に、小山の手を握るあおいの手に力が込められた。
「あの子……いつもおっとりしてて、何て言うのかしら……ふわふわしてる所があるんだけど、でもこういう風になっちゃうと、誰の話も聞いてくれなくなるの。こういう時だけは本当、息子と一緒で頑なだから」
「分かりました。俺たちで何とかしますから、安心してください。それで小山さん、夕食の時間まで、あおいちゃんと食堂にいてもらっててもいいですか?俺たちで中に入れてもらえるよう、説得してみますので」
「分かったわ。あおいちゃん、それじゃあ私も夕食の用意、手伝ってもいいかしら」
「はいです。よければ私に、お料理教えてほしいです」
「うふふふっ、いいわよ」
そう言うと、あおいと小山は食堂へと向かった。
「さてと……これからどうするかな」
「直希」
「何だ?何かいいアイデアでも」
「直希も食堂に行って、夕食の準備にかかってもらえないかしら。いくら小山さんが手伝ってくれるって言っても、あおい一人じゃ無理だろうし」
「確かにそうなんだけど……お前が行ってくれても」
「任せてもらえないかしら。菜乃花のこと」
「大丈夫なのか」
「ええ……今は混乱してるみたいだし、男の人より女の方がいいような気がするの。それに……菜乃花は大切な友達なの。お願い、私に任せて」
「……分かった。じゃあつぐみ、菜乃花ちゃんのこと、頼むな」
「ありがとう、直希」
直希からマスターキーを受け取り、つぐみは小さく息を吐いた。
「あれ?直希さん、どうされたのですか」
「あ、いや……菜乃花ちゃんのこと、つぐみにお願いしたんだ。確かにつぐみの言う通り、こういう時は男より、女の子同士の方がいいかもしれないからね」
「……そうでしょうか」
「あおいちゃん?」
「あ、いえ、大丈夫です。ではでは直希さん、一緒に夕食の準備、お願いしますです」
「菜乃花……私、つぐみよ。何だかその……大変だったみたいね。お部屋、入らせてもらっても構わないかしら。何があったのか、聞かせてほしいの」
しかし中からは、物音ひとつ聞こえてこない。
「あの……ね、菜乃花……直希から鍵を預かったの。小山さんの許可ももらったわ。だからその……ごめんなさい、入らせてもらうわね」
そう言って鍵を開けると、深呼吸をして扉を開けた。
「……菜乃花……」
菜乃花は部屋の隅で、膝を抱えていた。ベッドの上には、脱ぎ捨てられた制服が散乱している。下着姿の菜乃花を見て、直希が入らなくてよかった、そうつぐみは思った。
「ごめんなさい菜乃花、おじゃまするわね」
制服を手に取り、丁寧にたたむ。そして菜乃花の前に座ると、優しく声をかけた。
「菜乃花、ごめんなさい……私、菜乃花が頑張ってる、そのことが嬉しくて……菜乃花のことをちゃんと見れてなかった。菜乃花は強い子だから、きっとその……私たちが気付いていない間も、ずっと大変な思いをしてたんだと思う。気付けなくて……本当にごめんなさい」
そう言って菜乃花の肩に手をやると、手の平にひんやりとした感触が伝わってきた。
「菜乃花あなた……体、こんなに冷たくなってるじゃない。ごめんなさい、気づけなくて。今すぐお風呂に行きましょ。まだお湯も冷めてないし、とにかくまずはゆっくり温もって、落ち着いてから話しましょ」
「……」
「え……何かしら、菜乃花」
「……構わないで」
「何言ってるのよ。こんなに冷たくなってるあなた、ほっとける訳がないでしょ」
「ほっといてって言ってるの!」
菜乃花の叫びに、つぐみが体をビクリとさせた。
「菜乃花……」
「私のことなんて、ほっといてくれていいから!私なんてどうせ……どうせこのあおい荘でだって、必要とされてないんだから!」
「な……何言ってるのよ。お願いだから、私なんか、なんて言わないで。それに、必要とされていないなんて……そんな哀しいこと言わないでよ。
ねえ菜乃花、私たち友達でしょ?ここで一緒に住むようになってから、色んなこと話したわよね。仕事のことや将来のこと、そしてその……恋の話だって……私はあなたのことを友達って……多分、生まれて初めて出来た、本当の親友なんだって思ってた」
「…………友達?」
菜乃花がゆっくりと顔を上げ、つぐみを見据えた。
自らを蔑み、貶めるようなその表情に、つぐみはぞっとした。
「笑わせないでよ!何が友達よ、何が親友よ!」
涙を流しながら菜乃花が叫ぶ。
「隠し事ばっかりして、私の知らない所で物事を決めて、それのどこが友達だって言うのよ!」
「か……隠し事なんて」
「嘘よっ!栄太郎さんと文江さんのことだって、私だけがのけ者になってた!私だけが何も教えてもらえなかった!」
「それは……」
「結局つぐみさんは、私のことを友達だなんて思ってなかった。私、何度も聞きましたよね。でもその度に、菜乃花は気にしなくていいって誤魔化してましたよね。
私もこのあおい荘の一員なんです!つぐみさん言いましたよね、私たちは同じ職場で働く仲間なんだって!これのどこが仲間なんですか!どこが友達なんですか!あなたは私のことなんて、何とも思ってない!綺麗事ばっかり言って、先輩顔で私のこと、いつも馬鹿にしてたんでしょ!」
菜乃花の叫びに、つぐみの目から涙が溢れて来た。
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