第66話 文江の願い


「はあっ……」


 あおいの追求がようやく終わり、つぐみが大きなため息をついた。


「大体、今日文江おばさんの部屋に泊まるのは、こんな話をするためじゃないでしょ。栄太郎おじさんとの仲直りのために、私たちに何か出来ないか、それを聞きにきたんでしょ」


「そうでしたそうでした。お泊まりが楽しいので、すっかり忘れてましたです」


「全く……」


「うふふふっ」


「……文江おばさん?」


「ごめんなさいね。私たちの喧嘩のせいなのに、他人事ひとごとみたいに感じちゃって。つぐみちゃん、あおいちゃん。心配しなくても大丈夫よ。だってこれぐらいの喧嘩、ナオちゃんは知らないだろうけど、実はよくやってたのよ」


「そうなんですか」


「ええ。でも……ほら、昔一度だけ、大喧嘩した時があったんだけど、つぐみちゃんは覚えてるかしら」


「……ええ。この街を二つに割った戦争ですよね」


「うふふふっ、つぐみちゃんは本当、大袈裟ね」


「いえいえ、大袈裟じゃないですって。あの時は本当に、街の空気が変になってたんですから」


「そんなにすごかったんですか」


「そうよ。なんたって、あの生田さんが乗り込んできて、頼むから振り上げた拳を下ろしてくれって、栄太郎おじさんと文江おばさんに頭を下げたぐらいなんだから」


「……文江さん、それはちょっと凄すぎますです」


「それでも二人共引かなかったの。相手が謝るまで、絶対許さないって」


「それでその、直希さんが泣いて、二人を諫めてくれましたですね」


「ええ、そうなんだけどね……でもあの時ナオちゃん、私たちにこう言ったの。『僕の家族は二人だけなんだ。二人がもし別れるって言うなら、僕はこの街から出て行く。そして誰も知らないどこかで、父さん母さんのところに行く』って」


「ふ、文江おばさん、それ本当なんですか。私、初めて聞きましたけど」


「あの時のナオちゃんの目を見たら、冗談じゃないことが分かった……本当に哀しい目をしてたの。そしてね、『父さん母さんを殺したのも僕で、じいちゃんばあちゃんが別れるのも、きっと僕のせいなんだ』って言ったの」


「直希……」


「小学3年生の子供が、そんなことを言ったの。小学3年生の子供が、そんな気持ちを背負ってたの……その時に私たちは決めたの。これからは何があっても、ナオちゃんの前で喧嘩するのはやめようって」


「そんなことが……」


「でもでも、直希さん言ってましたです。お二人はいつも喧嘩してたって」


「うふふふっ。それはね、私たちの中では喧嘩に入ってないの。言ってみればそうね、夫婦のコミュニケーションかしら」


「……そんなかわいいものじゃないと思いますよ」


「とにかく私たちは、自分たちのことより、ナオちゃんの為に頑張ろうって決めたの。些細なことで喧嘩するんじゃなくて、ナオちゃんが背負ってるものを、少しでも軽くするために努力しようって」


「でも……多分直希、まだ背負ってますよね」


「そうね……確かにあの子、頭もいいし聞き訳もよかった。私たちが子育てするのは直人以来だったけど、本当に手のかからない、いい子だったわ。でも……」


「あの事故があった後、学校でもしばらく元気がありませんでした。でもいつの間にか、いつもの直希に戻ってました……だけど私、あれから直希が笑ってるところ、あまり見なくなりました」


「そうなん……ですか、つぐみさん」


「他の人たちは、多分気付かなかったと思うわ。だって直希、文江おばさんが言うように、あの時から本当に真面目で、全く迷惑をかけない子供になったから。それどころか、困ってる人を見るとすぐに助けようとする、そんな子供になった」


「今の直希さんと同じ、じゃないんですね」


「ある意味同じよ。自分を顧みない、自己犠牲の塊みたいなものだから。でもね、ここが出来て……と言うか、あおいが来た頃からかしら。あいつ、少し変わったと思う」


「……」


「それまでの直希はね、笑っていても、心から笑っているように見えなかった。楽しいことがあっても、いつもどこかでブレーキをかけてるみたいな……そんな感じがしてたの」


「つぐみちゃんはナオちゃんのこと、本当に分かってくれてるのね」


「……付き合いが長いですから」


「でも、つぐみちゃんの言う通りね。結局こういうのって、どれだけ周りが気にしても仕方がないの。本人が変わろうと思わない限り、どうしようもないことだから。だから私たちもね、せめて家では、あの子の背負ってるものがこれ以上増えないように、あの子が自分のことを考えられるように、そう思ってやってきたの。

 そしてこのあおい荘が出来て、あおいちゃんたちが一緒に住むようになって、ナオちゃん、よく笑うようになったと思う。勿論今でも、楽しいって感じた時に、どこかでブレーキをかけてるところはあると思うの。でもね、それでもやっぱり、楽しいものは楽しいから。ここでみんなで、毎日賑やかに過ごしていると、どうしても笑顔が増えちゃうのよ。だからこのあおい荘はね、ナオちゃん、私たちの為に作ったと思ってるけど、実はナオちゃんの為にあるんだって思ってるの」


「そう……ですね。私もそう思います。少しずつですけど、あの頃のナオちゃん……直希に戻って来てるような、そんな気がします」


「だから今回の喧嘩もね、そんなにこじらせるつもりはないのよ。勿論、おじいさん次第、なんだけどね」


「……栄太郎おじさん、大丈夫なのかな。結婚記念日も覚えてないぐらいなんだし」


「今頃ナオちゃんに、お説教されてるんじゃないかしら、うふふふっ」


「文江さん文江さん。と言うことは明日にでも喧嘩、終わりますですか」


「そうね。ナオちゃんに心配かけないためにも、早く仲直りしないとね。それに……いつまでもこんな感じだと、みなさんにも迷惑だし」


「そんな、迷惑なんてありませんです」


「でも……菜乃花ちゃんだって、何だったかしら、実行委員?になっちゃって、毎日忙しく頑張ってるみたいじゃない。そんな時に私たちのことで、邪魔する訳にはいかないでしょ」


「それは大丈夫ですよ。直希とも相談して、文化祭が終わるまでは菜乃花に心配かけないよう、私たちで何とかしようって決めてますから」


「そうなのね。じゃあ菜乃花ちゃんは安心ね」


「はい。どちらかと言うと……栄太郎おじさんと、あと生田さんの方が心配です。生田さんなんて、前のことを思い出してしまって、信じられないぐらいオロオロしてましたから」


「うふふふふっ、そうなのね。悪いことしちゃったわね」


「でもでも、そんな生田さんも私、大好きです」


「はいはい、あおいは本当、好きな人だと何でも好きになっちゃうのね」


「はいです。そんな生田さんも大好きですし、真っ青になってた栄太郎さんも大好きです」


「ぷっ……」


 その言葉に、つぐみと文江が吹き出した。


「あおいったら、何よそれ」


「うふふふふっ、本当、あおいちゃんは面白いわね」


「ええっ?私、そんなおかしなこと言ったですか」


「あははははっ」


「つぐみさん、笑い過ぎです」


「うふふふふっ」


「文江さんも、ひどいです」

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