第65話 秘密の女子会


 その頃文江の部屋には、あおいとつぐみが来ていた。


「ごめんなさいね。あおいちゃんやつぐみちゃんにまで、迷惑かけちゃって」


「いえいえ、とんでもないです。文江さんのことで迷惑だなんて、一度も思ったことありませんです」


「と言うか……文江おばさん、大丈夫なんですか」


「うふふふっ。心配かけてごめんね、つぐみちゃん」


「いえ、その……私はいいんです。今までだって、栄太郎おじさんとの喧嘩、何回も見てきましたし」


「文江さん文江さん、そんなにいっぱい、栄太郎さんと喧嘩してましたですか」


「そうねえ……まあ50年も一緒にいてるんだし、それなりにね」


「いえいえ文江おばさん。普通の夫婦は、そこまで喧嘩してないと思いますよ。そうなる前に、離婚してると思います」


「離婚ねえ……あの人と一緒にいて、不思議とそれだけは考えたこと、なかったのよね」


「そうなんですか」


「どんなことがあっても、最後は私の所に戻ってくる。それが分かってたからかしら」


「文江さん、本当に栄太郎さんのこと、信頼してますですね」


「信頼……はしてないわね。どっちかって言ったら、馬鹿息子を見てるって感じかしら」


「……文江おばさん。それ、かなり辛辣ですよ」


「だってあの人、本当にそうなんだから。今の年になっても私、まだ子育てが終わってない気分なのよ。ナオちゃんの方が、よっぽど自立してるでしょ」


「それはそうかも、ですけど……でも、50年連れ添った夫と孫を比較してる時点で、栄太郎おじさんの株が大暴落してるんですけど」


「うふふふっ。ねえ、それより教えてほしいことがあるの。こうやって、二人が私の部屋に泊まってくれるなんてこと、またあるかどうかも分からないし」


「何をですか?」


「二人はナオちゃんのこと、どう思ってるのかしら」


「ええっ?ちょ、ちょっと文江おばさん、なんでそんな話に」


「直希さんですか?真面目で優しくて、頼りがいのある方だと思いますです」


「……あおい、そうじゃないから」


「え?私、何か間違ってますですか」


「文江おばさんが聞きたいのは、そういうことじゃないから」


「私が聞きたいのはね、ナオちゃんのことを、一人の男としてどう思ってるかってことなの」


「男として……文江さん、それって結婚相手として、という意味でしょうか」


「そうそう。ちょっと飛躍してるけど、間違ってないからいいわ。あおいちゃんはナオちゃんのこと、男の人としてどう思う?」


「……」


 つぐみがあおいの横顔を見つめ、言葉を待つ。


「私は……直希さんのこと、大好きです」


「あ……駄目だわ、これ」


 そう言って、つぐみがため息をつく。だが顔には少し、安堵の表情が浮かんでいた。


「直希さんと結婚出来るなら、私はとても幸せだと思いますです」


「えええええええっ?」


 声と同時に顔を上げ、あおいの肩をつかむ。


「つぐみさんつぐみさん、どうしましたですか。ちょっと痛いです」


「あ、あおいあなた、今なんて」


「は、はいです……直希さんは本当に真面目で、誰に対しても優しい心を持つ素晴らしい人です。そんな直希さんと結婚出来るなら、こんな幸せなことはないと思います」


「……」


「私は……今まで恋愛なんて、したことがなかったです。別に興味もなかったです。そういうことは考えなくていいと、父様に言われて育ってきました。余計なことを考える暇があるなら、お勉強をして、お稽古に励みなさい、そうすればいつか私が、お前にいいお婿さんを用意してやる、そう言われてきましたです」


「……それで用意されたのが」


「はいです……女の人とお酒が大好きで、お金遣いの荒い婚約者でしたです……この世界に、立派な男の人なんていない、そう思いました……だから私は家を出て、一人で生きていこうと思いました」


「そうだったわね」


「でも……そんな私の前に、王子様が現れましたです」


「お、王子様?」


「はいです。倒れていた私を助けてくれて、生まれて初めてお姫様抱っこしてくれました。そして私に、居場所をプレゼントしてくれましたです」


 指を絡ませ、嬉しそうに微笑みながらあおいが続ける。


「私がずっと、望んできたことなのかもしれません……風見の家に生まれた私は、外から見れば何一つ不自由のない、恵まれた羨ましい存在だったと思いますです。でも私にとって風見の家は、本当に息苦しい所でした。毎日毎日お勉強とお稽古ばかり。父様は私に厳しくて、いつも怒ってましたです。子供の頃はよく、兄様や姉様のことを話されて、お前は風見家の出来損ないだと言われてきましたです」


「……そんなこと、実の父親から言われてたの」


「はいです……でも、仕方のないことだと思ってましたです。兄様や姉様は、本当に立派な方でしたから。だから私はいつも、家にいても居場所がありませんでしたです」


「……酷い話ね。自分の子供のこと、そんな風に言うなんて。あおいには悪いけど、人格を疑ってしまうわ」


「ありがとうございます、つぐみさん。でもここに来て、私は生まれて初めて、自分の居場所を持てたような気がしましたです。それに……直希さんに言ってもらえましたです。『ここにいてもいいんだよ』って。それが嬉しくて……直希さんには内緒ですが、私あの日、部屋で嬉しくて泣いてしまいましたです」


「あおい……」


「ですからもし、直希さんと結婚出来るのなら、それは本当に幸せなことだと思います。直希さんの奥様になられる方は、本当に幸せな人だと思いますです」


 あおいの言葉に嘘はない、そうつぐみは感じていた。しかしその感情は、まだ恋に至っていないとも思えた。これまで恋愛をしたことがないあおいにとって、直希という存在はきっと、憧れに近い物なのではないか、そう思った。


「そっか……ならあおい、これからも頑張らないとね」


「はいです、頑張りますです」


「うふふふっ。あおいちゃんは本当に、ナオちゃんのことが好きなのね」


「はいです、大好きです」


「つぐみちゃんはどうなのかしら。ナオちゃんとは子供の頃から、ずっと一緒だったんだし」


「わ、私ですか?私はその……」


 真っ赤になった顔を見られまいと、つぐみがうつむいた。


「私にとって直希は……確かにずっと、近くにいた存在です。直希のいいところも悪いところも、一番よく分かってると思います。でもその……」


「付き合う、ってなったら別?」


「いえ、その……」


「でもつぐみちゃん、小さい時にナオちゃんと駆け落ちしたんでしょ」


「えええええええっ?つぐみさんつぐみさん、それって本当なんですか」


「あ、いえ、その……文江おばさん、そんな小さい頃の話、しないでくださいよ……ってあおい、あなた食いつき過ぎよ」


「でもでもです。直希さんからもそんな話、聞いたことがありませんです」


「当たり前でしょ。大体子供の頃のことなんだし。それに小さい時はね、そういうことに憧れたりするものなのよ」


「つぐみさん、直希さんのお嫁さんになること、憧れてましたですか」


「もおっ、いいじゃないそんなこと!二人して私の黒歴史、思い出させないでよ」


 真っ赤になったつぐみが、床に顔を埋めて身をよじらせる。その仕草に文江は微笑み、あおいは「大丈夫ですか、つぐみさん」と、追い打ちをかけるように続けるのだった。

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