第64話 深い闇の中で


「お前、ガキの頃よく言ってたよな。自分が親を殺したんだって」


「……」


「お前はガキの頃から、わしの家に来るのが好きだった。若いやつらがよく来てたから、一緒に遊んでくれるのが嬉しかったんだろう。うちに来ればいつも、新藤さんのお孫さんですか、かわいい坊ちゃんですねって言われて、悪い気はしなかっただろう。息子は……直人は、本当にわしの息子なのかと思うぐらい、クソ真面目なやつだった。お前の教育も厳しかった。だからお前は、口うるさい親のいる家より、甘やかしてくれるわしの家の方が好きだった」


「……」


「それであの日だ。夏休みに入ってすぐのことだった。わしの家に泊まりに来る前日になって、直人の工場でトラブルが起こった。そのせいで、直人たちがしばらく身動き取れなくなった。

 わしの家に泊まる気になっていたお前は、大泣きしたそうだな。父さん母さんの嘘つき、嫌だ、絶対明日、じいちゃんばあちゃんの家に行くんだって聞かなかった。まあ、小学生になったばかりのガキだったんだ、仕方ないと言えば仕方ない。

 そんなお前に根負けした直人からの連絡で、次の日わしはお前を迎えに行った。お前と来たら、そりゃもう嬉しそうだった。何日か遅れて来ることになった直人たちの顔も見ずに、喜んでわしの車に乗った」


「そしてその日の夜、家が火事になって……」


「ああ。連絡を受けてわしが行った時には、家は火に包まれていた」


「……」


「お前が駄々をこねて、直人たちを置いてわしの家に来たのは事実だ。だがな、そのことと家が火事になったことは、何の関係もない。ましてあの時のお前は、学校に入ったばかりのガキだったんだ。あの時のことを悔やんでしまうのは分かる。でもな、お前がいようがいまいが、あの日家が火事になるのは、避けられない運命だったんだよ」


「そう……かな……」


「こんな言い方は直人たちに悪いと思うが、でもわしは、お前だけでも助かってくれて本当によかったと思ってる。もしあの時、お前もあの家にいたら、わしらはお前まで失ってたんだ。そうなっていたら……わしもばあさんも今頃、生きていなかったかもしれん」


「……違うんだ」


「違うって、何がだ」


「違うんだよじいちゃん。確かに火事になったこと、俺には関係ないと思う。でも違うんだよ。俺……あの日、じいちゃんばあちゃんの所に泊まれないって聞かされた時、泣いて泣いて泣きまくって……言ってしまったんだ、父さんに」


「何を」


「父さんなんか死んじゃえって」


「……」


「ずっと楽しみにしてた、じいちゃん家へのお泊まり。それを父さんが前の日になって、行けなくなったと言った。子供だった俺からしたら、父さんが意地悪してるとしか思えなかったんだ。あの時、父さんに殴られると思った。でも父さん……すごく悲しい顔をして、俺を見てたんだ。

 俺はそのまま、泣きながら布団に入った。母さんが来て、『父さんに謝りなさい。あんなひどいこと言うなんて、母さんも悲しいわよ』って言った。でも俺は布団から出ず、母さんのことも無視した。

 布団にくるまりながら、俺は思ったんだ。思ってしまったんだ……そうだ、父さん母さんがいなくなってしまえば、俺はずっと、じいちゃんばあちゃんの家にいることが出来る。口うるさい父さん母さんなんて嫌いだ、二人共、いなくなってしまえばいいんだって」


「直希……」


「俺が父さん母さんを殺したんだ。きっと神か何かが、あの時俺の心に灯った醜い願いを、本当に叶えてしまったんだ」


「お前……馬鹿野郎が。そんな大切なこと、なんでもっと早く言わなかったんだ」


「……怖かったんだ。あの時俺の中に沸き起こった、どうしようもない闇が」


「違う、そうじゃない。そういうことを言ってるんじゃない。なんでもっと早く、わしに言ってくれなかったんだ。なんで自分だけでそんな辛いこと、抱えてたんだ」


「じいちゃん……」


「今のお前がそんなことを考えてたら、ぶっ飛ばして叱っただろう。でもな、あの時のお前はまだ子供だったんだ。一人でわしの家にも来れないような、世の中の善悪も分かってないようなガキだったんだ。口うるさい親がいなくなればいい、そんなこと、どこのガキでも一度は思ってしまう普通のことなんだ。それをこんな……今の年齢としになるまで抱え込んで、親殺しの罪を勝手に背負って……馬鹿野郎が」


 そう言うと、手を直希の頭に勢いよく乗せ、そのまま抱きしめた。


「……」


「お前のせいじゃない。今のお前なら分かるだろう。お前がいくら呪いの言葉を吐いたところで、そんなことが起こらないことぐらい。

 あれは事故だったんだ。そして……直人たちの運命だったんだ。お前とは関係ない。ましてや、お前が直人たちを殺したなんてこと、ある訳ないだろう」


「……」


「それでもお前が、どうしても自分を許せないと言うなら……」


 そう言って体を離すと、直希の頬を思いきり張った。

 突然来た張り手の勢いで、直希がその場に手をついた。

 頬がじんじんと痛く、熱くなった。


「……じいちゃん」


「わしが今、ガキだった頃のお前を殴ってやった。叱ってやった。お前が受けたいと思っていた罰を、わしが今、くれてやった」


「……」


「直希。もういい。お前はもう、十分に苦しんだ。自分で自分のことを許せないなら、わしがお前のことを許してやる。わしがお前のことを、認めてやる。

 お前はあの日から、嘘みたいに聞き分けのいいガキになった。どんなことに対しても真摯に向き合い、自分の中から甘えという物をなくしていった。それがまさか、そんな理由からだったとはな……

 でもな、お前は立派になった。そして今では、わしらの様な年寄りの為に、こんな素晴らしい場所まで作ってくれた。お前はもう、十分に罪を償った。自分のこと、許してやっていいんだ」


「でも……俺は」


「まだ殴られたいか?わしが何より怒ってるのはな、そのことをずっと、一人で抱えてきたことだ。そりゃまあ、お前は男だ。弱音を吐くにしても、抵抗があっただろう。

 でもな直希。お前、わしらのことを何だと思ってるんだ。わしはお前のことを、孫であり自分の子供と思って育てて来たつもりだ。勿論本当の親父じゃないが、本当の親父以上の親父になってやろう、そう思ってやってきたつもりだぞ」


「……」


「多分、ばあさんも同じ気持ちのはずだ。だからな、直希。もういいじゃないか。お前はもう、許されていいはずだ。自分の幸せを願ってもいいはずだ」


 再び直希を抱き締めると、直希は肩を震わせて泣いた。


「ごめん……ごめん、じいちゃん」


「ああ……許した」


「父さん……母さん……ごめん、ごめん……」


「ああ……許してやる」


「ありがとう……ありがとう、じいちゃん……」


「だから一日も早く、わしにお前の子供、抱かせてくれよ」




「…………そこで落とすんだね、じいちゃん。感動のシーン、自らぶち壊すんだ」


「当たり前だ。それとこれとは話が別だ。あおいちゃんはどうだ?あの子もきっと、いい嫁になると思うぞ」


「……それって、じいちゃんの願望が入ってるよな。あおいちゃんのこと、じいちゃんかなり気にいってるみたいだし」


「あの子のことを嫌いになるやつなんて、そうはいないだろ」


「だね……でもあおいちゃんも、今は仕事を頑張ることで頭がいっぱいなんだ。そんなことで気持ち、揺らしたくないよ」


「直人と同じで、ほんとクソ真面目だな、お前は。なら明日香ちゃんだな。あの子が嫁になってくれたら、その日からみぞれちゃんとしずくちゃんが、わしのひ孫になる。手っ取り早いな」


「あのさぁ、じいちゃん」


 栄太郎から離れ、涙を拭いた直希が大きくため息をついた。


「なんでじいちゃん基準なんだよ、俺の嫁探しが。それに……どっちにしても、俺に彼女なんて、まだ考えられないよ」


「そうなのか?」


「他に考えないといけないこと、いっぱいあるからね。それにそう、まずはばあちゃんとの仲直り」


「…………忘れてた。直希お前、折角忘れてたことを思い出させやがって」


「何で逆ギレなんだよ。そもそもこの部屋にいるのだって、それが原因だろ。早く仲直りしないと、ほんとに愛想つかされるよ」


「まいった……思い出したらまた、胃が痛くなってきた……」


 そう言って頭を抱える栄太郎を見て、直希が苦笑した。

 さっきより少しだけ、自然な笑顔になっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る