第9章 共白髪

第59話 実行委員


「あ……あおいちゃん……」


「直希さん、動かないでくださいです」


 息がかかるほどの距離で、あおいが頬を染めて小さく笑う。


「いやその、動かないでと言われても……あおいちゃん?どうしてそんなに近付くのかな」


「ふふっ。直希さん、緊張してますです、かわいいです……大丈夫、怖くありませんよ」


「あ……あのその……」


「全部私にまかせてくださいです。私はずっと直希さんのこと、大好きだったですから」


 あおいが体を密着させる。甘い香りが鼻孔をくすぐり、やわらかく温かい感触が直希を包み込む。


「あお……」


「直希さん……好きです……」


 あおいが目をつむり、唇を重ねた。





「うわあああっ!」


 声と同時に起き上がり、慌てて辺りを見回す。


「……」


 窓の外はまだ暗かった。


「ゆ、夢か……よかった……いや、まいった……」


 額の汗を拭い、大きく深呼吸する。


「なんて夢を見てるんだ、俺は……」


 そうつぶやき、直希が頭を掻きむしった。






「おはようございます」

「おはようございます!」


 食堂に集合した直希、あおい、つぐみ、そして菜乃花。

 あおい荘の朝。朝食前に行うミーティング。

 この日の予定を伝え、各スタッフの仕事の割り振りを確認。朝のバイタル、入居者の状態を皆で共有する。


「と言う訳で、今日は東海林先生の往診が13時からあります。朝食時に改めて、入居者さんには声掛けしておいてくださいね。あと、菜乃花ちゃんは朝食が済んだら学校なので、今朝の小山さんのリハビリはつぐみ、頼むな。あおいちゃんは、その……」


 と、あおいの割り振りを言おうとして、直希が言葉を詰まらせた。


「直希?」


「直希さん?どうかしましたですか?」


 そう言って顔を近付けてきたあおいに、直希が動揺した。


「?」


 夢の時と同じ、甘い香りが直希の五感を刺激する。視線の先にある、みずみずしいあおいの唇に、直希は思わず声をあげて後ずさった。


「うわっ!」


「え?え?どうしましたですか、直希さん」


「直希、ほんと大丈夫?まさかとは思うけど、また熱があるんじゃないでしょうね」


 そう言って、つぐみが直希の額に手をやる。


「熱は……ないようね……うん、大丈夫」


 つぐみの手の温もりが伝わってくる。その慣れ親しんだ感触に、直希が少し落ち着きを取り戻した。


「あ、ありがとうつぐみ、大丈夫だから。あおいちゃんもごめんね、変な声出しちゃって」


「あ……あのその、直希さん、本当に大丈夫……ですか」


「菜乃花ちゃんもごめんね。いや、実はその……昨日夢にあおいちゃんが出てきてね、お腹が空きましたって言って、俺を頭から飲み込もうとしたんだよ。それを思い出しちゃって」


「えええええええっ?私、夢で直希さんを食べちゃいましたですか」


「あ、いやいや大丈夫、食べられる前に目が覚めたから。は……ははっ……」


「そうですか、よかったです。私は直希さんに助けられたんです、救われたんです。私がいていいんだって思える場所を、直希さんに与えてもらったんです。そんな直希さんを、例え夢でも食べてしまったら、とんでもない恩知らずになる所でしたです。大好きな直希さんを食べなくて、ほんとよかったです」


「……え」


「……あ、あおいあなた、今なんて」


「え?私何か、変なこと言いましたですか?」


「だからその……直希のことを」


「はいです、私は直希さんのこと、大好きです」


「あ……あおいさん……それは、その……」


「勿論、つぐみさんも菜乃花さんも大好きです」


「あ……ああ、そういうことね、はいはいありがとう、あおい」


「つぐみさんつぐみさん、なぜだか分からないですけど、すごく適当に言われた気がしましたです」


「あーはいはい、分かったから。直希、続きをお願い」


「ええええええっ?どうしてですかつぐみさん。私はつぐみさんのこと、大好きですよ」


「そういうことを言ってるんじゃなくて……ああもう、とにかくいいから。この話はまた後でね。早くしないと、朝食の時間始まっちゃうでしょ」


「お、おう、そうだな……それで、あおいちゃんは朝食後に、俺と一緒に山下さんのリハビリ。そろそろあおいちゃん一人でって思ってるから、頑張ってね」


「はいです」


「あと菜乃花ちゃんは」


「あ、あのその……直希さん、それからつぐみさん、あおいさんも」


「どうしたの?何かあったかな」


「いえ、そういう訳ではないんですけど……昨日の内に言っておきたかったんですけど、タイミングが合わなくて……」


「聞かせてちょうだい。何か報告ね」


「あ、はい……実は私、文化祭の実行委員になったんです……」


「菜乃花ちゃんが?すごいじゃないか」


「あ、ありがとうございます……その、昨日クラスで、投票で決まっちゃって……」


「投票でってことは、みんなが菜乃花ちゃんのこと、信頼してるってことだよね」


「それで?菜乃花は引き受けたのね」


「あ、はい……この前直希さんやつぐみさんにも励ましてもらって、その……私、今まで文化祭とかで、特に思い出もなかったんです。みんなが動いているのを見てるだけで、言われたことをしてるだけだったんです……だからその、最後の文化祭、頑張ってみようかなって思って」


「そうなのね……何だかちょっと嬉しいわ。菜乃花、頑張ってね」


「つぐみさん……」


「そういうことなら、俺も協力するよ。行けるものなら、文化祭に顔を出したいぐらいだよ」


「あ、その……よければみなさんで、是非いらしてください。歓迎します」


「私も、私もいいですか菜乃花さん」


「勿論です、あおいさん」


「文化祭……なんだか懐かしい響きです。学生の時には特に感じませんでしたが、卒業して振り返ってみたら、とても楽しかったと思いますです」


「あおいは食べ歩きが目的でしょ」


「そ、そんなことないですないです。焼きそばとかクレープとか、そういう物につられてる訳ではないです」


 その時、あおいのお腹が元気よく鳴いた。


「あ」


「あははははははっ、食べ物の話をしていたら、お腹が空いてきましたです」


「全く……それで?実行委員になったことで菜乃花、私たちが協力出来ること、あるかしら」


「あ、はい……実はその、これからしばらくの間、帰りが遅くなると思うんです。それでその……」


「分かったよ菜乃花ちゃん。そんなことぐらい、俺たちに協力させて。確かに菜乃花ちゃんが抜けるのは痛いけど、菜乃花ちゃんの本業は高校生なんだから。菜乃花ちゃんのサポートぐらい大丈夫、任せて」


「直希さん……ありがとうございます!」


「頑張ってね、菜乃花」


「つぐみさん……はい。私、頑張ってみます」


「菜乃花さん菜乃花さん、文化祭には是非、行かせてもらいますです」


「はい、あおいさんが来てくれるの、楽しみにしてます」


「よーし、じゃあ菜乃花ちゃんの応援の為にも、また今日から俺たち、しっかり頑張っていこう」


 そう言って直希が手を差し出した。その上に菜乃花が、あおい、つぐみが手を重ねる。


「それじゃあみなさん、今日も一日、よろしくお願いします。頑張ろう!」


「おおーっ!」

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