第50話 夏が終わる


「それからダーリン、みぞれやしずくとよく遊んでくれるようになって」


「みぞれちゃんしずくちゃん、本当に可愛かったから。それに、こんな俺に懐いてくれたからね」


「こんなって……駄目よ、ダーリン。自分のことを、そんな風に言っちゃ」


「ごめんごめん」


「あたしにとって、ダーリンの何もかもが新鮮だった。あの時の気持ちは、そう……初めて亮平に会った時にすごく似てた」


「……」


「自分の損得に関係なく、ダーリンはあたしに優しくしてくれた。そしてみぞれやしずくのことも、本当に可愛がってくれた。

 前にも言ったけど、あたしは旦那が欲しいんじゃなかった。だってあたしの旦那は亮平だけなんだから。あたしが欲しかったのは、みぞれとしずくの父親になってくれる人だった。

 でも、あたしに言い寄ってくる男たちはみんな、みぞれとしずくのことは、あたしのおまけみたいにしか見てなかった。勿論、優しくしてくれたよ。でもね、あたしとの繋がりであの子たちの父親になっても、あたしへの興味がなくなってしまえば、あの子たちへの思いも薄れていく。だからあたしは、あたしに言い寄ってくる男たちのこと、誰も信じられなかった。

 でもダーリンは違った。ダーリンはあたしのことなんか眼中になくて、みぞれとしずくのことを心から愛してくれた……それに気づいた時には、もう手遅れだった。あたし、亮平以外の男なんて、絶対好きになんてならないと思ってた。なのにあたし、ダーリンのことを考えない日がなくなっていた」


「明日香さん、それ誉めすぎ」


「ううん、そんなことないの……それであたし、亮平のお墓に行ったの。あたし、好きな人が出来たみたいだって」


「あ、いや、だから……」


「そうしたら亮平、言ってくれたんだ。やっと好きになれる人が出来たのか、嬉しいぞって」


「……」


「それからはもう、あたしもブレーキ外しちゃったよ。来る日も来る日も、ダーリンにアタック!」


「おーい、明日香さーん、戻っておいでー」


「でもでもー、ダーリンはいい男だしー、ダーリンの周りにはつぐみんや、なのっちまでいるしー」


「いやいや、それはあんまり関係ないかと」


「そう思ってたら、アオちゃんなんて最終兵器まで現れて」


「いや、そ、それは……」


 直希があおいの名前を出され、思わず言葉を詰まらせた。直希のその様子に、明日香は小さく息を吐いた。


「ま、そういうこと……なのかな……」


「明日香さん?」


「ううん、何でもなーい、こっちの話―」


「……」


「でもね、今は、ってことにしといてよね。あたしだってさ、まだまだ諦めた訳じゃないんだからね」


「いや、だからそれって、なんの話……」


 明日香が直希を抱き締めた。


「……」


「ダーリン……あたしはね、ずっとダーリンのことを想ってた。でも昨日、ダーリンが親父に言ってくれた言葉……あたしが亮平の分まで生きてるって言ってくれた、あの言葉を聞いてね……ああ、やっぱりあたし、この人を愛してよかった、そう思ったの……ダーリンはあたしにとって、かけがえのない運命の人なんだって……」


「明日香さん……」


「今はあたし、一番後ろを走ってるのかもしれない。でも……あたし、負けないよ。いつかきっと、ダーリンの心、つかんでみせるから」


 そう言って、直希の頬にキスをした。


 耳に波の音が聞こえる。誰もいない静かな海岸で、明日香は直希を抱き締め、何度も何度も、「大好き……」そう囁いた。





「あれ?何で玄関、締まってるんだ」


 夕暮れ時、あおい荘に戻って来た直希は、締まっている玄関を見て明日香に言った。


「明日香さん、何か聞いてます?」


「いーえ、何もー」


「……そのとぼけ方、何かたくらんでますね」


「何のことだかー。あたし馬鹿だから分かんなーい」


「ま、まあいいか……とにかく中に入りましょう。そろそろ夕飯の時間だし」


 そう言って、直希が玄関を開けた。




 パンッ!

 パパンッ!




「え……」


 玄関を開けると同時に、クラッカーが鳴った。


 驚いた直希が周りを見ると、そこにはあおい荘のスタッフ、入居者が勢ぞろいしていた。


「な……何、かな、これって……」


「さすがですつぐみさん。直希さん、本当に覚えてなかったみたいです」


「でしょ?だてに何年もこいつの幼馴染、やってないんだから」


「……おいおいつぐみ、これって何の」


「さあみなさん、それでは練習通り、いきますですよ!せーのっ!」





「直希さん、お誕生日おめでとう!」





「え……」


 直希が状況をつかめず、呆然と立っている。

 その直希を見て、つぐみが苦笑しながら肩をすくめた。


「え、じゃないわよ直希。今日は何月何日?」


「8月27日……って、俺、今日誕生日か?」


「なんで疑問形なのよ。自分の誕生日でしょ、全く……あなたってどうしてそうなのかしらね。他の人の誕生日は、全部覚えてるってのに」


 そう言って笑うつぐみの隣に、明日香が走っていった。


「で、つぐみんに頼まれてね、ダーリンをここから連れ出していたの。サプライズの為にね」


「明日香さんまで……やられた、やられたよ」


 そう言って照れくさそうに笑う直希の前に、あおいと菜乃花が立った。


「あの、その……直希さん、お誕生日、おめでとうございます……」


「菜乃花ちゃん……ごめんね、変な気を使わせてしまって」


「いえ、そんな……私たち、いつも直希さんにはその……お世話になってますから……」


「ですです。それに直希さん、誕生日はその人にとって、一年で一番大切な日なんです。直希さんがこの世界に生まれた記念日。だから今、こうして私たちもここにいるんです」


「あおいちゃん……うん、そうだね、確かにそうだ」


「ほら、あおい、菜乃花。渡したら?」


「あ、はい……あのその、直希さん、これ……私たち二人からの、その……」


「誕生日プレゼントです」


 直希が包みを受け取る。中を見ると、新しいスニーカーが入っていた。


「私たちの、初めてのお給料で買わせていただいたです。直希さんの上履き、かなりくたびれてましたです。ですから菜乃花さんと相談して、これにしようって決めましたです」


「あの……直希さん、どう……ですか、気に入ってもらえたでしょうか……」


「……ありがとう、二人共。そうか、初めてのお給料で、これを……ははっ、あ、あれ……」


 スニーカーの上に、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「直希、誕生日おめでとう。これからも管理人として私たちのこと、しっかり見守ってよね」


「ダーリン、あたしからも後でプレゼント、あるからね」


「パパー、おめでとー」

「おめでとー」


 そう言って、みぞれとしずくが、直希の首に色紙で作った首飾りをかけた。


「……直希、さん?」


 直希はスニーカーを抱き締め、声を震わせて泣いた。その直希を、つぐみが優しく抱擁する。


「よかったわね、直希」


「つぐみ……お前、こんなの反則だろ……」


「はいはい、ごめんなさいね。ふふっ」


「直希や、こんなにたくさんの人たちに祝ってもらえて、最高の誕生日になったな」


「じいちゃん……」


「……あの子たちが生きてたら、どんなに喜んだだろうね……ナオちゃん、お誕生日、おめでとう」


「ばあちゃん……」


「……直希くん、これからもあおい荘のこと、よろしく頼むよ。おめでとう」


「生田さん……」


「なんじゃ、その……わしもこういうのは何と言うか……とにかくナオ坊、おめでとうじゃ」


「また西村さん、適当なこと言って」


「山下さんは本当、厳しいのぉ」


「うふふふっ。直希ちゃん、おめでとう。また一緒に映画、見ましょうね」


「ナオちゃん、いつも私のリハビリ、手伝ってくれてありがとうね。これからも私と……それから菜乃花のことも、よろしくね」


「西村さん……山下さん、小山さん……」


「よーし!それじゃあみんなー、準備はいいかー!今日はあおい荘の管理人、そして……あたしの未来の旦那様、新藤直希の誕生日パーティーだーっ!」


「おーっ!……って明日香さん明日香さん、プロポーズ、オッケーしてもらえましたですか」


「そんな訳ないでしょ。はいはいそれじゃあみなさん、食堂に行きましょう。いつまでも玄関先で騒いでると、ご近所に迷惑ですからね」


 つぐみの号令で、みんなが食堂へと向かって行く。





「さ、直希」

「直希さん、行きますです」





 直希の前に、つぐみとあおいが笑顔で手を差し伸べる。直希は涙を拭くと早速スニーカーを履き、


「ああ。ありがとう!」


 そう言って笑い、二人の手を取った。




 その夜。あおい荘は遅くまで笑い声に包まれていた。


 あおい荘の夏が終わる。


 直希にとって今年の夏は、本当に忘れられない夏となった。

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