第46話 冬馬義之


「新藤……くん、だったね。いつも娘が世話になっている」


 あおい荘の食堂。

 明日香の父、冬馬がそう言って、あおいの出した麦茶を一口飲んだ。


「はい、新藤直希です。遠路はるばるお越しいただき、恐縮です」


「ふむ……中々に礼儀正しい若者の様だ。明日香には少し不釣り合いなぐらいにね……ただ、新藤くん……その、孫たちを人質にするのはいかがなものかと思うぞ……いい加減離したまえ!」


 直希の膝の上に座っている、みぞれとしずくが気になって仕方ない冬馬が、声を荒げてそう言った。


「えええええっ?いやいや冬馬さん、それは流石に言いがかりかと」


「じいじ、怒っちゃだめー」

「だめー」


 みぞれとしずくが、冬馬を睨んでそう言った。


「み……みぞれ、しずく……お前たちに会うのを、どれだけ楽しみにしてたと思っておるのだ……さあ、みぞれ、しずく。こっちにおいで。おいしいお菓子、買ってきたぞ」


「いやー。じいじきらーい」

「きらーい」


「あ……あははははっ……」





 明日香があおい荘に住むようになって、三日目の昼下がり。


 あおい荘の前に、黒塗りの車が二台、音もたてずに止まった。

 中から現れたのは、残暑厳しいにも関わらず、黒のスーツを身にまとった、サングラスをかけた男たち。そして男たちがドアを開けて頭を下げると、恰幅のいい大男が現れた。立派な髭を蓄えた、和服姿のその男は杖を地面に突き立て、あおい荘を見上げた。


 黒服たちが玄関に入ると、その出で立ちにつぐみと菜乃花は怯え、慌てて直希を呼んだ。


「はいはい、どちら様ですか」


 風呂掃除の途中、首にタオルをかけて現れた直希。それが明日香の父、冬馬義之とうまよしゆきとの邂逅だった。


「お……親父?」


 騒がしい雰囲気に、ランニングシャツに短パン姿という、リラックスモード全開の明日香も現れた。その姿に、冬馬が目を見開いた。


「この馬鹿娘が……何という姿をしておるのだっ!」


 あおい荘が揺れんばかりの恫喝が響き渡った。その声に、つぐみと菜乃花が腰砕けになった。


「ちょっ……ちょっと親父、そんな大声出さないでってば。堅気相手に怒鳴ってんじゃないわよ」


「黙れ、この馬鹿娘がっ!こんなまっ昼間から……そんな破廉恥極まりない格好でうろうろと……それだけで、お前の婚約者の底が知れたわっ!」


 平穏なあおい荘に、突如現れた男たち。入居者たちも動揺して、廊下から冬馬を覗き見る。生田と直希の祖父、栄太郎は直希の後ろに立ち、冬馬を見据えた。


「あれ?お客様ですか、直希さん」


 その時、買い物から帰ってきたあおいが入ってきた。


「ちょ、ちょっとあおい、今は駄目、引っ込んでなさい」


「つぐみさん?でもこれ、おやつのアイスクリームです。早く冷蔵庫に入れないと、溶けてしまいますです」


 涼しい顔でそう言ったあおいは、「失礼しますです」と頭を下げて入ると、靴を履き替えた。


「直希さん、今日も暑いです。それにいつまでも、玄関にお客様を立たせておくのは失礼です。中に入ってもらいましょうです」


 冬馬の雰囲気に動じていないあおいを見て、直希は思わず苦笑した。


「それもそうだね、ではその……冬馬さん、どうぞ中にお入りください。それと出来れば……ここは老人ホームみたいな物なんです。入居者さんたちは大きな物音が苦手です。出来れば大声は、遠慮していただけるとありがたいです」


「わしに道理を説くか、この若造……つけあがるなっ!」


 その声に、生田が一歩前に出た。しかし直希がそれを制し、冬馬を見据えた。


「いえ、つけあがるとか、そういうことではなくて……とにかく、ここに入るからには、ここのルールに従ってください。そこの黒服の人たちも、入っても構いませんが、くれぐれも皆さんを威嚇するような真似はしないでください。その約束が出来ないのであれば、お通しすることは出来ません」


「つけあがるなと言ったはずだぞ、若造…………ん?」


 激高する冬馬の目に、直希の足にしがみつき、怯えた目で自分を見るみぞれとしずくの姿が映った。


「おおっ……みぞれ、しずく。じいじが遊びに来てやったぞ。さあさ、そんな所に隠れてないで、じいじに顔を見せておくれ」


「じいじ……」

「じいじ……」


「そうだ、じいじだぞ。さ、おいで」


「じいじ、きらーい!」

「きらーい!」


 みぞれとしずくが、そう言って冬馬に舌を出した。その言葉に、冬馬は胸をえぐられたような衝撃を受けた。


「ど……どうしたのだ、みぞれ、しずく。じいじだぞ。ほら、お土産も持ってきたぞ」


 黒服の持つぬいぐるみを手に取り、二人に向ける。しかしみぞれとしずくは、直希の足元から離れずそっぽを向いた。


「は……ははっ……」


 直希も苦笑するしかなかった。


「と……とにかく冬馬さん、中にお入りください。そちらの方たちも……」


「いや……お前たちは外で待っているんだ。くれぐれも、ここの迷惑にならないように、目立たないようにな」


 黒服たちに向かい、威厳を持って冬馬が言った。黒服たちは主の言葉に一礼すると、庭へと出て行った。


「いや、その……ははっ、十分目立ってるんですけど……」





 直希と冬馬が、テーブルを囲んで相対している。明日香はその二人の間で、居心地悪そうに苦笑した。

 つぐみと菜乃花はカウンターの中から、怯えた目で直希たちを見つめている。そしてそのすぐ近くのテーブルでは、生田と栄太郎が目を光らせていた。

 庭には数人の黒服たちが立っている。


 異様な光景だった。


 とてもここが、高齢者専用の集合住宅とは思えなかった。

 ひとつ言葉を間違えれば、とんでもない修羅場になりそうな、そんな重い空気が直希の肩にのしかかっていた。


 しかしあおいだけは、そんな空気もおかまいなしの様子で、いつもの様にニコニコ笑いながら、先ほど買ってきたアイスクリームを持ってきた。


「はじめましてです、明日香さんのお父様。暑い中はるばるご苦労様です。丁度おやつの時間ですので、お父様も食べてくださいです」


 そう言って冬馬にアイスを渡し、笑った。


「ちょ……ちょっとあおい」


「直希さんも、明日香さんもです。みぞれちゃんとしずくちゃんは、いちごとチョコ、どっちがいいですか」


「いちごー」

「チョコー」


「はいです。どうぞです」


 そう言ってみんなに渡し終えると、明日香の正面、すなわち直希と冬馬の間に座った。


「あ……すいませんです、ついいつもの癖で」


「いや、いいよあおいちゃん。あおいちゃんがいいなら、ここで一緒に食べようか」


 あおいの自然な雰囲気に、直希もいつもの調子を取り戻した様子だった。


「ええっと……冬馬さん、まあその……とりあえずアイス、食べませんか。早く食べないと溶けちゃいますし」


「……」


 冬馬は、テーブルの上に置かれたアイスを無言で見つめた。


「どうされましたですか、お父様。バニラよりチョコの方がよかったですか」


「……いや……いただこう……」


 冬馬もあおいの空気に飲まれ、調子が狂った様子だった。ぎこちなく答えると、アイスに手をつけた。


「さ、みぞれ、しずく。じいじが食べさせてやろう」


 笑顔で二人にそう言う。しかしみぞれとしずくは、直希の傍から離れようとしなかった。


「じいじきらーい。パパとママをいじめるー」

「いじめるー」


 その言葉にうなだれる冬馬を見て、流石に直希も不憫に思えて来た。


「みぞれちゃんしずくちゃん。おじいちゃんがああ言ってくれてるんだ。もらっておいで」


「パパがいいー」

「パパがいいー」


「ははっ、ありがとう。でもね、今日はおじいちゃん、みぞれちゃんしずくちゃんに会いたくて、ここまで来たんだよ。お土産まで買ってきてくれたのに。二人がそんなこと言ったら、おじいちゃんかわいそうだろ?」


「……」

「……」


 直希にそう言われたみぞれとしずくが、恐る恐る冬馬を見る。冬馬はアイスを手にしたまま、寂しそうな顔で二人を見つめている。


「……じいじ、ちょうだい」

「ちょうだい」


 二人が直希の膝から降り、冬馬の元へと向かった。そして二人共冬馬の前で、


「あーん」

「あーん」


 と口を開けた。


 冬馬は嬉しそうに微笑み、二人の口にアイスを運んだ。


「どうだ、みぞれ、しずく。おいしいか」


「おいしー」

「おいしー」


 二人の笑顔に冬馬は喜び、


「よぉしよぉし、いい子だ。さ、もう一口」


 そう言ってアイスを差し出す。


 その光景を見て、直希も明日香も、そしてあおいも目を細めて笑った。

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