第36話 熱い視線
「あ、あのその……直希さん、失礼します……」
夕食も終わり、あおい荘の一日の業務が終わろうとしている頃合いで、菜乃花が直希の部屋へと入ってきた。
「ああ、菜乃花ちゃん……今日は色々とごめんね」
「いえ、そんな……あのその、ちょっとお邪魔してもいいですか」
「うん、勿論。入って」
「それでは……お邪魔します……」
直希の枕元に座った菜乃花。手には土鍋を乗せたトレイが持たれていた。
「直希さん、その……少しでも食べられますか?おかゆ、作ったんですけど」
「おおっ、菜乃花ちゃんが作ってくれたの?助かるよ。注射のおかげで熱も下がったみたいなんだけど、そうしたら急にお腹が空いて」
「よかったです。あのその……座れますか?」
「うん。ちょっと待ってね」
直希が上半身を起こそうとしたが、力が入らずうまく起き上がれなかった。
菜乃花が背中に手をやり、ゆっくりと起こす。
「ありがとう、菜乃花ちゃん。まいったな、これじゃ俺、介護されてるみたいだ」
「ふふっ……滅多に熱が出ない人は、少しの熱でもダメージがあるんですよ。空腹でしたら尚更です」
「だな……こんなの久しぶりだよ。前に寝込んだのって、高校の時だったかな……そうだ、受験前でちょっと無理してた時」
「じゃあもう、10年ぐらい病気されてなかったんですか」
「まあ、ちょっと熱が上がることはあったけど、でも寝込んでしまったってのはなかったかな」
「そうなんだ……直希さん、ご両親に健康に産んでもらったんですね」
「そうかもね、ははっ」
「でもね、直希さん。だからこそ、体調管理はしっかりしてもらわないと。いつも元気な人の方が、こうして突然倒れたりするんですから。自分は大丈夫だって思うから、ついつい無理をしちゃうんですよ」
「……反論したいところだけど、このザマじゃ何言っても説得力ないよね。気をつけるよ」
「ふふっ、そうしてください」
「でも本当、ごめんね。昼からの仕事、全部押し付けちゃって」
「いいえ、おかげで私たち、今日一日で出来たことがいっぱいありますから。それに夕食の準備は、直希さんがあらかたやってくれてましたし」
「情けないよな。さっきもつぐみに言われたんだ。誰が倒れたりなんかしないですって?ってね」
「ふふっ」
「ははっ」
「じゃあ直希さん、食べましょうか」
菜乃花が蓋を開けると、卵入りのおかゆの匂いが直希の鼻を刺激した。
「……おいしそうだね。じゃあ、いただきます」
そう言ってレンゲに手を伸ばすと、それを菜乃花が取って言った。
「あのその……だ、駄目ですよ。直希さんは病人なんですから」
「……うん。確かに病人だけど、それがどうかしたかな」
「わ……私が直希さんのお手伝いをします。私に任せてください」
「え……えええええっ?そ、それってその、菜乃花ちゃんが食べさせてくれるってこと?」
「そ、そうです。だから直希さんは、じっとしていてください」
「いやいやそんな、悪いよ。それに俺、別に手は普通に使えるんだし、介助してもらう必要なんてないよ」
「……そ、そうです、介助なんです。あのその……今日、あおいさんたちと一緒に、初めて責任を持って働けたような気がしてました。これからはその……もっともっと、私も自分から仕事をしていきたいって思ったんです。だから……直希さん、今日は私の為に、食事介助の練習に付き合ってください」
「いやいや菜乃花ちゃん、小山さんの食事介助、ちゃんと出来てるし」
「それでもです。こういうのは身内だけじゃ駄目なんです。だから……駄目……ですか?」
「……分かった。じゃあお願いするよ」
「は、はい!ありがとうございます!」
満面の笑みを浮かべると、菜乃花はレンゲでおかゆをすくうと、口元でふー、ふー、とおかゆを冷まし、直希の口元へと持って行った。
「はい、直希さん……あーん」
「あーん……」
「どう……ですか?熱くないですか」
「……うん、おいしいよ」
「よかった……じゃあもう一口、あーん」
「あーん」
直希の口におかゆを運ぶ。そして時折、口元をおしぼりで拭き、菜乃花は嬉しそうに笑った。
「ごちそうさまでした。やっぱり菜乃花ちゃん、お料理うまいね」
「い、いえ……そんなこと……」
「いやいやほんと。これなら病気の時だけじゃなく、元気な時にも食べたいぐらいだよ」
「……直希さん、褒めすぎです」
「ははっ。でもおいしかったよ。こんなおいしいご飯が毎日食べられる、菜乃花ちゃんと結婚する人は幸せだね」
「……」
「菜乃花ちゃん?」
頬を染めながら、菜乃花がうつむいた。
「あ、ごめん。今のはちょっと、無神経な発言だったかな」
「い、いえ……そんなことはないです……」
土鍋をトレイの上に置くと、菜乃花は小さく息を吐き、直希の顔を見つめた。
「直希さん、私……」
何かを訴える熱い視線に、直希が驚いた様子でうなずいた。
「私……ずっと想ってる人がいるんです……」
「そう……なんだね。その人には想い、伝えてないんだ」
「はい……その人、夢中になっていることがあって、それにいつも忙しそうで……恋愛なんて、考える必要がないぐらい毎日楽しそうなんです」
「夢中になれるものがあるって、いいよね。でも菜乃花ちゃんも魅力いっぱいの女の子なんだし、その人に想いを伝えて、その人の夢を応援することだって出来ると思うよ」
「でも……私、女としての魅力、ないんです」
「そんなことないよ。菜乃花ちゃんは可愛いし、料理や掃除だって上手だろ?お菓子作りも得意だし、それに花の世話だって出来る。優しい女の子だと思うよ」
「でも、私……背だって低いし、胸だって、その……」
「あ、いや……あのね、菜乃花ちゃん。そういうのは人それぞれなんだし、それもまた個性の一つだと思うんだ。菜乃花ちゃんが人より背が低いってのも、それがいいんだって男だって、たくさんいると思うよ」
「直希さんなら」
「え……」
「直希さんならどうですか?私のこんな……小さな胸でも、女としての魅力、あると思いますか」
「俺の意見が、菜乃花ちゃんにとって大切かどうかは分からないんだけど……俺はその、大きさで魅力がどうこうってのはないかな」
「でもこの前、海に行った時だって……あおいさんや明日香さんを見てたら、私……」
「ああ、そういうことか。大丈夫だよ菜乃花ちゃん。だってあの時、菜乃花ちゃんのことを可愛いって思ってた男、いっぱいいただろ?」
「……」
「それにほら。菜乃花ちゃんが好きなその人だって、きっとそんなことで菜乃花ちゃんのこと、嫌いになったりしないよ」
「そうでしょうか」
「それにもし、そんなことで菜乃花ちゃんの想いを断るようなら、そういう人だったってだけのことだよ。見た目だけで人を判断する人は、その人の本当の魅力を分かろうともしない、寂しい人だと思うから」
「直希さんも……ですか」
「俺?ははっ、俺のことはいいからさ。それより菜乃花ちゃんにも、そういう人がいて安心したな」
「……そう、ですね……すいません、寝込んでる人に、変なこと聞いちゃいました」
そう言うと、直希の背中に手を当てて、ゆっくりと横にした。
そして掛け布団をかけると、額を直希の額に当てた。
「え……な、菜乃花ちゃん?」
「動かないでください……熱は、こうして測るのが一番いいんだって、おばあちゃんが言ってたんです」
「う、うん……」
目の前に菜乃花の顔がある。口元から、甘い吐息が漏れる。直希は慌てて目をつむり、無意識に呼吸を止めた。
「まだ……熱、ありますね。直希さん、先生の言った通り、明日一日は安静にしてくださいね。直希さんに何かあったら、それこそ大変ですから」
そう言って笑う菜乃花の顔は、真っ赤になっていた。
「そ、そうだね。悪いけどもう一日、休ませてもらうね」
「はい。そうしてください」
トレイを持ち、菜乃花は扉へと向かった。
「じゃあ、直希さん……あのその、おやすみなさい」
「う、うん……おやすみ、菜乃花ちゃん」
扉が閉まると、直希は一気に息を吐いた。
そして額に手を当て、まだ残る菜乃花の感触に赤面した。
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