第34話 あおいの入浴介助


 上は半袖シャツ、下はジャージを膝までまくりあげる。滑り止めの為、入浴介助用に購入したスニーカーを素足で履く。


「では小山さん、お風呂ご一緒させていただきますです」


 脱衣場で、車椅子の小山の前に腰を下ろし、あおいが笑顔で言った。


「よろしくね、あおいちゃん」


 そう言った小山の笑顔には、あおいに対する信頼が感じられた。


 この信頼を裏切ることは出来ない。事故なく、小山さんに楽しい入浴時間を過ごしていただくんだ。

 笑顔を絶やさずにあおいは、直希やつぐみ、そして講習でお世話になった教員の言葉を胸に、小山に声をかけた。


「では服の方、脱がさせていただきますです」


 そう言ってボタンを外し、上着から脱がせていく。




「介護の基本は声掛けよ。どんな時でもまず、声をかける事。勿論笑顔でね。でないと、いきなりヘルパーが体を触ったら、何をされるのかと不安になるでしょ?」




 はいです……つぐみさん、大丈夫です……




 つぐみの言葉を思い出し、次に何をするのかを丁寧に、そして笑顔で伝えていく。

 上着が終わると、次にズボンにかかる。


「では小山さん、少し車椅子を移動しますですね」


 そう言って、車椅子を少し壁側に移動する。





「きゃっ!な、なんですかこれ……」


「ははっ、驚いたろ?」


「はいです。思わず足が上がってしまいましたです」


 直希に車椅子の扱いを教えてもらった時のこと。


 庭に用意された車椅子に、あおいが乗っていた。

 そして直希が車椅子を突然押すと、あおいは慌てて肘掛けを握りしめ、後ろに体重を乗せた。


「どうだった?今の気持ち」


「……なんかこう……うまく言えませんが、怖かったです」


「だろ?これね、初めて車椅子の介助をする人が、よくやってしまうことなんだ。利用者さんも移動するのは分かってる。だからつい無言で動かしてしまう。介助してる側としては、何も問題ないんだけど、利用者さんからしたら、突然動き出したものだから、驚いて身構えてしまう。体が不自由な方なら、尚更ね。あと、自分が荷物みたいに扱われてる気になってしまう」


「なるほどです……確かに今、直希さんにすごく雑に扱われてる気がしましたです」


「だからね、介護の基本。分かりきってることでも、とにかく前もって利用者さんに声を掛ける。そうすると、自然とその動作を予測した姿勢に変わるんだ。それに何より、大切にしてもらってるって感じるんだ。じゃあもう一度、最初からね。

 風見さん、車椅子、動かしますね」


 そう言って前にゆっくりと動かす。あおいは驚いた顔で直希の方を振り向いた。


「すごいです、さっきと全然違いますです!怖くもないですし、大切にされてる感じがしますです!」


「だろ?つぐみからも言われてたと思うけど、介護の基本は声掛けと笑顔。これはね、実際に自分が体験しないと、なかなか分からないものなんだ」





 はいです……直希さん、私、ちゃんと声掛けしてますです……




「小山さん、寒くないですか?」


 上半身裸になっている小山に、あおいが聞いた。




「とにかく気配りです。必要以上でも構いませんので、利用者さんに気を使ってください。

 例えば脱衣時。私たちが大丈夫でも、利用者さんは寒く感じてるかもしれません。ですから『寒くないですか、大丈夫ですか?』と声を掛ける。そんな些細なことの積み重ねが、利用者さんとの信頼関係を築く上で重要です。あと、利用者さんも恥ずかしいんだということも、決して忘れないでください。いくら介助だからと言っても、同性だとしても恥ずかしいのは私たちと同じです。ですから出来るだけ早く済ませてあげることを心がけてください。

 そして、私たちと利用者さんは感じているものが違う、それぐらいの気持ちを持っていてください。これぐらい大丈夫だろう、というのは私たちの基準です。高齢の方にそれが当てはまる保証はありません。ですからみなさん、常に利用者さんの状態を確認して、気配りしてくださいね」




 はいです先生。私、先生の教え通り、頑張ってますです。




 小山を前から抱きかかえ「1,2の3」の掛け声と共に小山に立ってもらう。そして壁にある手すりを持ってもらい、素早くスボンと下着を脱がせる。

 それが終わると、もう一度車椅子に座ってもらって浴場へと入り、浴場用の椅子に座り直してもらう。


「では、お湯を掛けさせていただきますです」


 シャワーのお湯を出し、自分の肘の辺りにお湯をかけて温度を確かめる。そして足元から順にかけていき、相手が問題ないと言ってくれたら少しずつ体にお湯をかけていく。


「うふふっ」


「どうかされましたですか、小山さん」


「あおいちゃん、本当にうまくなったわね」


「……そうですか?」


「ええ。今だから言えるんだけど最初の頃、あおいちゃん大丈夫かなって思ってたの。廊下でもよくこけるし、お風呂場でも滑ってたし」


「はいです。でも今は大丈夫です。お風呂場でもこうやって、靴を履いてますです」


「でもね、それでもあおいちゃん、毎日毎日頑張ってた。失敗しても挫けなかった。つぐみちゃんに叱られても、めげずに挑戦してた。学校もあって大変だったと思うの。それでも資格もちゃんと取って。私もね、あの時は本当に嬉しかったわ」


「ありがとうございますです。でもその……ちょっと恥ずかしいです。私がヘルパーになれたのも、直希さんやつぐみさんたち、それに小山さんたちがいてくれたおかげなんです」


「うふふふっ、ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ。それにね、さっきからずっと見てるけど、何て言ったらいいのかしら……あおいちゃんに任せてたら安心だって思うの」


「……嬉しいです。ありがとうございますです」


「ナオちゃんの具合、どうなのかしら」


「私は、病気のことは詳しく分かりませんです。でも、きっと大丈夫です。それに今は、つぐみさんがついてくれてますです」


「そうね。つぐみちゃんがついていれば安心よね」


「では小山さん、髪を洗わせていただきますです」


「ええ、お願いね」





 直希のことは心配だった。しかし今は、直希やつぐみに任されて自分は入浴介助をしているんだ。

 絶対無事故で、そして入居者さんに満足してもらうことが、今の自分がすることなんだ。

 直希やつぐみ、入居者さんの信頼を裏切らないためにも頑張ろう、そう強く心に思うのだった。

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