第6章 あおい荘の一大事

第32話 下着事件


「そう言えばそうですね。最近直希さんが洗濯してるところ、見てないです」


 食堂であおいと菜乃花が、おやつの準備をしながら話をしていた。


「そのことなんですけど……その話、私たちにも関係あるんです」


「そうなんですか?直希さんのお仕事が減るのは、いいことだと思いますです。直希さん、ずっと働き詰めですし」


「そう、ですよね……考えてみたら、私たち三人がここで働くまでは、全部直希さんが一人でしてたんですから」


「休みもなかったって聞いてますです」


「本当に……よく働く人ですよね」


「直希さんには、もっともっと自分の時間を持ってもらいたいです」


「……つぐみさんと、ここがオープンしたばかりの頃に言い合ってたことがあったんです。そんなに何もかも一人でやってたら、いつか体を壊すって。つぐみさん、あの時かなり怒ってました」


「直希さんは何て言ってたんですか?」


「俺は倒れたりしないって。それはもう、すごい勢いで」


「何となく……想像出来ますです」


「つぐみさんも引かなくって、それでももし倒れたら、このあおい荘を誰がやっていくんだって。だからスタッフを雇って、効率よくしなさいって」


「そういう意味では、今はつぐみさんの思ってた通りになってるんですね」


「ええ……確かに今はそうなんですけど、その時直希さん、言ったんです。このあおい荘は、自分がずっと思い描いてきた理想の施設なんだ。今ある他の施設では出来ないことを、やっていきたいんだ。それに賛同してくれる人、自分が心から信頼できる人に出会うまでは、一人でやっていくんだって」


「直希さん、そんなこと言ったんですか」


「はい……それでつぐみさん、泣いちゃって……あなたが理想としている介護の世界、それは理解出来る。でもその理想を共に背負ってくれる人になんて、簡単に出会える訳ない。あなたの理想は、献身を通り越した自己犠牲でしかないって」


「つぐみさん……」


「そうしてる内に直希さんのおじいさんたちが来て……その時はそれで終わったんです」


「難しいお話ですが、直希さんの気持ちもつぐみさんの気持ちも、両方よく分かりますです」


「でも……あおいさん、今の話を聞いて気づいたこと、ないですか?」


「気づいたことって……何かありましたですか?」


「直希さんの話です。自分の理想を一緒に背負ってくれる人でないと、スタッフとして雇うつもりはないって」


「はいです。そうでしたね」


「あおいさん、まだ分かりませんか?直希さんがあおいさんをここで雇うって決めた時です」


「私はあおい荘の前で倒れていて、行くところもなかったので……あっ」


「分かりましたか?」


「……そうです。直希さん、私をスタッフとして雇ってくれてますです」


「直希さん、その時あおいさんに、そんな話をされましたか?」


「そんなお話、一言もされなかったです。ただ私に、ここで一緒に働かないかって」


「そうですよね。私もそうでした。ここで働くことをお願いした時も、よろしくお願いしますって笑って言ってくれました」


「それって、どういうことなんでしょうか。経験もない私を、どうして直希さんは」


「直希さん、私たちのことを信頼してくれてるんだと思います……そのことをあえて言葉にしなくても、私たちなら大丈夫だ、そう思ってくれたんだと思います」


「……直希さん、私たちのこと、そんな風に思ってくれてたんですね」


「だから私……直希さんにいいよって言って貰えて、本当に嬉しかったんです……嬉しくて嬉しくて……」


「菜乃花さん菜乃花さん、泣かないでくださいです」


「ご……ごめんなさい……あの時のことを思い出したら、嬉しくて……」


「住むところのない私を憐れんで助けてくれた、最初はそんな風に思ってましたです。でもおかげで私は今、父様の助けなく生きることが出来てますです……直希さんに出会っていなければ、私はきっと、諦めてあの家に戻ってたかもしれませんです。だから……私は直希さんに恩返しがしたいです」


「そう……そうですよね……私も同じ気持ちです」


「菜乃花さん、これからも直希さんのために、一緒にこのあおい荘で頑張っていきましょうです」


「はい、あおいさん」


「それで……ええっと、どうしてこんな話になったんでしたっけ」


「……あ、そうでした。洗濯、洗濯の話でした」


「そうでした、洗濯の話でした。それでその、洗濯を直希さんがしなくなったことが、私たちと関係があるって」


「はい、そうなんです……これもつぐみさんが怒った話なんですけど」


「つぐみさん、直希さんに怒ってばかりです」


「いえ、でもその……あれは仕方ないかなって」


「それって、どういうことですか」


「直希さん、その……私たちの物も洗濯してくれてたんです……」


「そうですね。それがどうかしたんですか」


「いえ、だからその……私たちの…………下着、とかも……」


「……」


「一枚ずつ手に取って、きれいに皺も伸ばしてその……干してたんです……」


「……ええええええええっ?」


「あ、あおいさん声、声が大きいです」


「直希さん、私たちの下着も洗ってくれてたんですか?」


「はい……それで、その……つぐみさんがそれを見て……」





「な、直希!あなたそれ、その手に持ってるものって」


「ん?ああ、お前の下着だけど」


「な、な、な……な、なんであなた、いつもそうなのよっ!」


「なんだなんだ、暑いのに興奮するなって。大丈夫だよ、ちゃんと手洗いしてるし、皺も伸ばして干してるから」


 そう言って、つぐみのパンティーを両手で丁寧に畳み、軽く叩いて皺を伸ばす。


「そ、そ、そういうことじゃなくて!あなた、なんでそんなにデリカシーがないのよ!」


「デリカシーって……今更なこと言うなよ。お前のパンツなんて、子供の頃にもよく見てただろ」


 その言葉に、つぐみの顔が羞恥と怒りで真っ赤になった。


「馬鹿!そんな小さい頃と一緒にしないでよ!女の下着をその……そんな無造作に扱って、それも顔色一つ変えずに……」


「だから、パンツぐらいで興奮するなって。同じ屋根の下で暮らしてるんだから、下着ぐらい目にするからさ。それにこんなもん、ただの布切れだろ?入居者さんの下着と何も変わらないよ。意識しすぎだって」





「ただの布切れ……直希さん、つぐみさんの前でそんなこと言ったのですか」


「……その後つぐみさんがどうなったのかは……ご想像にお任せします……」


「はいです……想像する必要もないです……」


「それでつぐみさんから、洗濯するのを禁止されたんです」


「私の下着も……ただの布切れ、なんですね」


「ええ……私もそれを聞いて、かなりショックでした……」


「西村さんなら、喜んで頭からかぶりそうです」


「それもちょっと怖いけど……でも直希さんにとって、私たちの下着を洗うことは、入居者さんの下着を洗うのと同じことなんだって思ったら……ちょっと鬱になっちゃいました……」


「そう、ですね……直希さんらしいですけど……」


「お風呂掃除終わったよ」


「ひゃんっ!」


「きゃっ!」


「え?え?どうしたの、二人揃って変な声出して」


「いえいえいえいえ、何でもないですこちらの話です」


「そ、そうです。気にしないでください、直希さん……あのその、お風呂掃除、お疲れ様でした……飲み物、出しますね」


「ごめんね菜乃花ちゃん、お願いするよ。なんかちょっと、体が熱くって」


「え?直希さん、大丈夫なんですか」


「いや、多分風呂場が暑かったからだと思うよ。大丈夫、水分補給したら元気になるから」


「とりあえず座ってくださいです」


「ありがとう、あおいちゃん。ではちょっとだけ、失礼して……」


 そう言ってあおいの隣に座ると、そのまま直希はあおいの肩にもたれかかった。


「……え?え?直希さん直希さん、どうしたんですか、そんないきなり……いえ、嫌って訳じゃないです。直希さんにはその、いつもお世話になってますです。ですからこれぐらい、全然いいのですがその……心の準備と言いますか……」


 直希はそのまま、力が抜けたように崩れていき、あおいの胸にバウンドして太腿に顔を押し付けた。


「ひゃっ!な、直希さん、大胆です……あの、その、ですね…………直希さん?」


「え……」


 直希は気を失っていた。それに気づいた菜乃花が、手にしていたコップを床に落とした。


「な……直希さん!直希さん!」


「誰か……誰か来てください!直希さんが、直希さんが!」

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