第28話 菜乃花の初恋
「小山さん、前の施設ではその……リハビリとかは」
「ええ、そうね。初めの頃にちょっとやってたけど、もう諦めちゃったの」
「諦めた……ですか」
「ええ。この年になるとね、中々頑張ることも出来なくなっちゃうの。あとどれくらい生きられるのかも分からないし、無理しても仕方ないかなって」
「おばあちゃん、悲しくなるからそんなこと言わないで」
「あらあら、ごめんね菜乃花。うふふふっ、本当菜乃花は甘えん坊さんね」
「おばあちゃんっ子なんですね」
「そうなの。なんでか知らないけど、孫の中でもこの子だけ、小さい頃からずっと私の所に遊びに来てたの。前世で夫婦だったのかもね、うふふふっ」
「もぉ……おばあちゃんったら」
「それで小山さん、どうです?もう一度、リハビリ始めてみませんか?」
「リハビリを」
「ええ。もう一度、ご自分の足で歩いてみませんか?」
「あ、あのその……直希さん、おばあちゃんの足は、本当に弱くなってるんです。それにその……今からそんな辛いことをするより、私はもっとその……おばあちゃんに毎日楽しく過ごしてもらいたいんです」
「それは勿論です。ここに来たからには、みなさん幸せになってもらいたいと思ってます」
「だったらその……辛いこととかは、無理にしなくても」
「それも楽しいことだと思いませんか?」
「え……」
「小山さん、前の施設でも言われたんじゃないですか。無理しなくてもいい、頑張らなくてもいいって」
「確かに……言われたこともあるかしら」
「僕の前の施設でも、そう考える人が多かった。小山さんたちは今まで、本当に頑張って生きて来た。だから施設では、頑張るんじゃなくて、楽しいことをいっぱいしてもらったらいいんだって」
「あのその……私もそう思います」
「でもね、小山さん、菜乃花さん。それって、生きてるって言えますか」
「それは……」
「生きるってことは、目標に向かって進むことだって僕は思ってます。何の目標も持たず、毎日決まった時間にご飯を食べて、おやつを食べて、お風呂に入ってテレビを見て寝る。これからの人生、その繰り返しだけで本当にいいと思いますか」
「……」
「僕は小山さんに、もう一度ご自分の足で、菜乃花さんと一緒に散歩する未来を夢見てます。勿論、それには小山さんの決意が必要です。それがなければ、僕が理想を押し付けているだけになっちゃいますし、虐待になってしまう。
でも僕は、小山さんに目標を見つけて、それに向かって頑張ってほしい。その為ならどんなことでもお手伝いします。
小山さんの足は、別に何か障害があってそうなったんじゃない。ただ単に、長期間の寝たきり生活によって、筋力が落ちているだけなんです。少しずつ筋力をつけていけば、きっと小山さんは歩けるようになります。その為にマッサージをして、そして一日一回からでもいい。1メートルからでもいい。挑戦してもらえたらって思ってます」
直希の言葉に、菜乃花は衝撃を受けていた。
これまでの施設でも、スタッフの人たちはみな優しかった。祖母のことを大切にしてくれて、介助も献身的に尽くしてくれていた。
でも誰一人として、今の直希のように「頑張って」と声をかける人はいなかった。だから菜乃花は、介護の世界で「頑張る」は禁句なのだろうかと思っていた。
それにスタッフは多忙だ。毎日毎日、こなさなければいけない業務がたくさんある。
利用者の数も多いし、万が一事故でも起こせば大変なことになる。だからどうしても、祖母のように消極的な利用者は後回しにされやすかった。
しかし直希は、唯一の従業員であるにも関わらず、祖母の為に協力すると言ってくれた。黙っていれば、放置していれば背負わなくてもいい厄介な仕事を自ら増やそうとしている。そしてそこには、心から祖母のことを思う気持ちがあった。
菜乃花の胸に熱い物が込み上げてきた。
この人は、今まで出会ったどんな人たちとも違う。
もっともっとこの人のことを知りたい、そう思った。
「どうですか、小山さん。勿論、ゆっくり考えてくれていいんですが」
「……私はね、ナオちゃん」
「はい」
「実はもう一度、菜乃花とお散歩、したいの。うふふふっ」
「おばあちゃん……」
「でもね、車椅子にも慣れちゃったし、リハビリも面倒になってたのね。菜乃花、人ってね、誰かに何かを言われないと、どんどん怠け者になっていくものなの。でも今の話を聞いてね、菜乃花とお庭を散歩してる姿、想像しちゃった。それってきっと、楽しいと思うの」
「じゃあ小山さん、その方向でリハビリのメニュー、考えても構いませんか」
「ええ、よろしくお願いします」
「さっき言った看護師……って言うか医者の卵なんですけど、そいつと相談して小山さんにあったメニュー、作ってみます」
「あのその……直希さん、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いしますね、菜乃花さん。あ、そうだ、それと小山さん、さっきの言葉」
「さっきのって、何かしら」
「あとどれくらい生きれるか分からないって。あおい荘では、そういうのは禁止ですからね。覚えておいてください」
そう言って直希が笑った。
「あらあら、そうね……うふふふっ、菜乃花と散歩しなくちゃだし、もっと楽しいこと、あるかもしれないものね」
「ええ。その為にお手伝いしますんで。それでは……あおい荘にようこそ。歓迎します」
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