第27話 介護の意味


「それで、なんですけど……新藤さん、このあおい荘って」


「その前に菜乃花さん、それから小山さん。申し訳ないのですが、ここでは僕のこと、下の名前で呼んでもらいたいんですけど」


「え?え?」


 突然の話に、菜乃花の顔が赤くなった。

 男子を名前で呼んだことなど、一度もなかった。と言うか、苗字で呼ぶことすらほとんどなかった。なのに目の前にいる男は、出会っていきなり名前で呼んでほしいと言っている。それは菜乃花を混乱させるのに十分なことだった。


「直希さん、よね。じゃあナオちゃん、でどうかしら?」


「お、おばあちゃん」


「ははっ、構いませんよ。まあその、どうでもいい話なんですけど、このあおい荘には、新藤が三人いるんです」


「新藤さんが……三人……」


「ええ。僕と、僕のじいちゃんばあちゃん。ですから新藤さんって呼ばれても、三人が同時に振り向くことになるんです。だから区別をつける為って言うか、まあこっちの勝手なお願いなんですけど」


「菜乃花、別にいいじゃない」


「で……でも、私……」


「ああ勿論、無理にとは言いませんよ。新藤でも全然大丈夫ですから」


「でも菜乃花、あんたナオちゃんを呼んだ時、三人に振り向かれる方が嫌なんじゃないかい」


「小山さん、それってどういう」


「この子ね、ものすごく人見知りなの。人様の視線が苦手でね」


「おばあちゃん、それはいいってば」


「うふふふっ。それで、どうするんだい菜乃花」


「……分かった。じゃあその……直希……さん……」


 生まれて初めて男の名前を口にして、菜乃花は顔が燃えるように熱くなった。


「ありがとうございます、菜乃花さん」


「それで、その……直希……さん、このあおい荘なんですけど、オープンしたばかりで新築って話でしたけど」


「ええそうですよ。まだ出来たばっかりです。まあ、庭の手入れとかは冬の内からやってましたが」


「でもその……全然新しくないじゃないですか」


「え」


「これ菜乃花、失礼だよ」


「だっておばあちゃん……老人ホームって言ったら、ビルみたいにしっかりした建物だって思ってたのに。ここは木造だし、古い感じだし」


「ここは鉄筋ですよ」


「……え」


「そうか、菜乃花さんにはそう見えたんだ。ならひとまず成功だな」


「あのその……直希、さん。それってどういう」


「ここはね、見た目は木造だけど、中身はちゃんとした鉄筋コンクリートなんです」


「……よく分かりません」


「これぐらいの規模の建物になると、耐震基準もクリアしなくちゃいけないから、どうしてもそうなってしまうんですよ。でも本当は、木造にしたかったんです」


「どうして……ですか?」


「今時の施設って、全部病院みたいでしょ。僕、結構きつかったんです。勿論、入居者さんの安全や健康を考えてそうなったのは理解出来る。何より、スタッフが働きやすくないといけないから。

 施設で働いていた時に、ずっと思ってました。自分が立ち上げることになったら、もっと生活感のある、落ち着いた建物にしたいって。それに利用されるのは高齢の方です。みなさんが一番落ち着かれるのって、こういう雰囲気じゃないのかなって思ってました。

 だからその間をとってこうなったんです。鉄筋二階建て、でも見た目には木造建築。結構出費が大変だったけど、菜乃花さんも全く気が付かなかったし、大成功ですね」


「……そうなんだ……ここって、本当に新築なんだ……」


「ええ。見える所は全部、昔ながらの装いにしてますけどね」


 そう言われて改めて周りを見回すと、確かにここは昔ながらの雰囲気だった。テーブルも、今時の新しい物に手を加え、それっぽい雰囲気に改造されていた。


「これを……直希さんが一人で」


「流石に全部は無理だったけど、まあ少しは僕が手を加えたのもありますよ」


 食堂の奥を見ると、チャンネルを回すタイプのブラウン管テレビが設置されていた。しかしよく見てみると、モニターは今時のサイズでブラウン管ではなかった。


「あのテレビって」


「ちゃんと映りますよ。モニターは最新のやつですから。昔ながらのテレビ台を作って、モニターをはめ込んだんです。だからチャンネルも飾り、回してもチャンネルは変わりませんよ」


「徹底してるんだ……」


「まだまだですけどね。これから少しずつ、いろんなことをしていこうと思ってます」


「そう……なんですね、分かりました」


 菜乃花がほっとした表情を浮かべた。

 この人は、思っていた以上にいい人だ、この人になら安心しておばあちゃんを任せられる、そう思った。


「それで……小山さん、その足なんですけど」


「ええ。三年前に腕を折っちゃって、しばらく寝たきりになっちゃったの。それで退院する時に立とうと思ったら、立てなくなってて」


「そのようですね。それでその後、しばらく息子さんの家で暮らされていて、週に二回リハビリの為に老健(介護老人保健施設)に通っていたけど、筋力が戻らず……それから前の施設に入って今に至ると」


「家族じゃ私の介護、大変だったから。だから施設に入ったんだけど、お金が高くって」


「そうですね。施設にもよりますけど、前の施設は月20万でしたよね」


「ええ。ずっと勿体ないって思ってたんだけど、でも他に行くところはないし……そう思ってたら、このあおい荘のことを知って」


「でもその……ここの費用が月5万って、本当なんですか?」


「ええ、間違いないですよ。追加料金も一切ありませんし、食事も光熱費も全て込みです」


「でもその……おばあちゃん、要介護4だし、その……介護の費用とかは」


「いりませんよ」


「ええ?」


「施設によったら、それが大きな収入源になるから、どんどん介護して、そのお金を申請する。でもうちは、そういうお金を一切取りませんから」


「でもそれじゃあ、ここの収入は」


「普通にやってる分には問題ないですよ。従業員って言っても僕一人ですし、問題ありません」


「でもその……さっき、お風呂の介助をしてくれるって」


「ええ、勿論させてもらいます。ですがお金は頂きませんから」


「……それって、どういうことなんですか」


「まあその……何ていうか、僕が好きでやってるって思ってて下さい。勿論、お金を頂くことで責任が生じて、こちらもしっかりと仕事が出来るのかもしれません。ですがお金を貰わなくても、きちんと責任を持ってするつもりですから、そこは安心してほしいんです」


「いえその、安心とかじゃなくて」


「別に金儲けで始めたわけではないので。好きでやってると言うか……

 それにあくまでも、ここはたまたま高齢者が多く住んでいる集合住宅です。介護をするのも、お金が発生するならそれなりの手続きもいりますし、スタッフが僕一人だけ、なんてのもあり得ません。介助はあくまでも、僕がしたいからするだけ、そう思ってもらえると助かります。

 まあそんな感じですので、気にせずこき使ってください」


「は……はい……」


 そう言って笑う直希を見て、菜乃花はこれまでに出会ったことのないタイプの人だ、不思議な人だなと思った。

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