第5章 ときめきと友情と
第26話 菜乃花との出会い
「今日も……いい天気だな」
洗いたてのシーツを広げ、一枚ずつ物干しにかけていく。
澄み切った青空を見つめ、菜乃花が目を細めて笑った。
生田の一件が解決し、あおい荘はこれまで以上に絆が強くなったように感じていた。
そしてそれには、自分が想いを寄せる直希の尽力があったことは言うまでもない。
あの一件以降、直希への想いはますます強くなっていた。
「それにしても……本当、このあおい荘って不思議だよね……」
祖母の小山鈴代が、前に入居していた施設の雰囲気とは大違いだ、そう思うと口元に笑みが浮かんだ。
勿論ここは、一般的な施設とは違い、あくまでも「高齢者が多く住んでいる集合住宅」である。だから一概に、他の老人ホームと比べることは出来ない。基本的にみな自立していて、介護の必要のある入居者といえば、車椅子生活をしている祖母ぐらいのものだ。
だから菜乃花は、この施設に初めて来た時も、かなり警戒心を持っていた。
「……おばあちゃん、着いたよ」
「ありがとね、菜乃花」
タクシーから降り、車椅子を押す菜乃花が、あおい荘を見上げた。
二階建ての、古びた木造建築。
「……これって、地震とか来たら大丈夫……なのかな……」
このあおい荘は、4月にオープンしたばかりの新築だと聞いていた。それなのにここは、どう見ても築数十年の趣がある。
「おばあちゃん……あのその、これって……詐欺?」
「どうしたんだい、菜乃花。気になることでもあったのかい」
「え……ううん、何でもない」
足を踏み入れると、広々とした庭が目に入った。手入れされた花壇に菜園。小さな池まである。それには園芸部に所属している菜乃花も目を細めた。
「やあ小山さん、お久しぶりです。今日からよろしくお願いしますね」
振り向くとそこに、ジャージ姿の直希が立っていた。
「新藤さん……でしたね、今日からよろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
笑顔で小山に近付いてくる直希に、菜乃花は一瞬身構えた。
気が弱く、学校でも輪の中に入っていこうとしない菜乃花。友人を作るのも苦手で、いつも一人で本を読むことが多かった。
趣味と言えば、植物に触れることとお菓子作り。自分が心を込めた分だけ、結果を素直に出してくれるところが好きだった。
そんな彼女は、男子生徒の間でもひそかに人気者だった。愛くるしい容姿は勿論、物静かで優しい性格は、男たちにとって魅力的だった。何度か告白されたりもしたが、その度に菜乃花は逃げていた。
菜乃花にとって、男は畏怖の対象だった。
自分たちより大きくて力もある。教室内でふざけあってる時も、大声で笑いあっている。その一つ一つが、菜乃花にとっては怖かった。
だから直希を見た時も、菜乃花は警戒してしまった。
「えーっと、それから……小山さんのお孫さんで、菜乃花さん……ですよね。はじめまして、新藤直希です」
「……どうも」
視線をそらし、菜乃花が囁くように言葉を返した。
「それで小山さん」
そう言って、直希は小山の前で膝をつき、目線を小山に合わせた。
「小山さんのお部屋は、入って左側、二つ目になります。もう荷物は入ってるので、後で確認してくださいね。あと、色々と説明もしたいんですけど、よかったらこのまま食堂に来ませんか?お茶でも飲みながら、ゆっくり話したいので」
「いいですよ。菜乃花もそれでいいかい?」
「私……私はお部屋で待ってるから」
「菜乃花さんも、よければ一緒にお願い出来ませんか?これから長いお付き合いになる訳ですし、あおい荘のこと、知っておいてもらいたいんです」
「……分かりました」
中に入ると、外観以上に古めかしい感じを受けた。
柱の木もかなり年季が入っていて、温かみを感じる。さすがに廊下は転倒しないようカーペットになっているが、それ以外はまるで、昔の映画で観たことがあるような、トイレや水回りも共同の文化住宅のようだった。
「はい、どうぞ」
直希がお茶を差し出し、二人の前に座った。
「とりあえず……お疲れ様でした。今日はこれからお風呂になりますが、小山さんはどうします?」
「そうねえ、出来れば入って、疲れを取りたいかしら」
「では入浴介助……なんですが、自分がさせていただいても問題ないですか?」
「あらあら、こんな男前さんに体、洗ってもらえるのかしら。うふふふっ、ちょっと楽しみね」
「介護は同性介助が基本なんですけど、残念ながらうちは見ての通り、スタッフは僕だけなんです。僕が無理だったら、夕方に看護師が顔を出すことになってますので、その人にお願いしますよ。勿論その人は女性です」
「特に気にしないから、大丈夫よ」
「そうですか、分かりました。じゃあ今日の一番風呂は小山さんということで」
「私……」
「え?」
「……私がやります。おばあちゃんのことは私が一番よく分かってますし、今までにも何度か一緒に入ってますから。だから私がします」
「菜乃花、どうしたんだい」
「おばあちゃん、それでいい?」
「勿論だけど……」
「あの、菜乃花さん。僕が男だってことで抵抗あるなら、さっき言ったように女性の看護師に任せますので」
「いいです、私がします」
「菜乃花」
「……菜乃花さん、身内の方をご自分でお世話したい、それは素晴らしいことだと思います。でも内容によっては、それが危険なこともあるんです。
小山さんはこの通り車椅子で、ご自分の力で立つことも難しい状態だと聞いています。もし風呂場で転倒してしまったら大変です。それに一緒に入るってことは、菜乃花さんも裸になるんですよね。それなら何かあった時、反応するのも手助けするのも一歩遅れてしまいます。体をつかもうにも、滑ってうまくつかめません。
風呂場での転倒は、下手すれば命に関わります。それに菜乃花さんは、こういったことに対する知識も、僕たちに比べて少ないと思います。ですからどうしてもとおっしゃるのなら、僕の介助する姿を見て、少しずつ勉強してからにしませんか?」
「……」
ついムキになってしまったが、直希の言うことは正論だった。悔しかったが、菜乃花には入浴介助に関する知識はまるでない。祖母の命の話をされてまで、それを押し通すことは出来なかった。
「……分かりました」
「よかった。じゃあ後で、三人で入りましょう」
そう言って笑う直希に、なぜか動揺してしまった。
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