第24話 生田さんの素顔


 日曜日。


 朝のラジオ体操を終えた入居者たちは、部屋に戻ることなく食堂にとどまっていた。

 みんな落ち着かない様子で、お茶を飲みながらその時を待っている。


「そろそろ……ですかね」


 直希がつぶやくと、みなが一斉に生田の方を向いた。


「……ああ」


 生田はお茶を一口飲むと、そう言ってうなずいた。


 しばらくして、車が二台入ってきた。それに気づくと、あおいもつぐみも落ち着きなく立ち上がった。


 あおいは生田に近付き、耳元で何やら囁いていた。そしてその囁きに、生田が笑顔で答えている。


 つぐみはうつむき、直希の袖をつかんだ。


「どうした、つぐみ」


「どうしたって……分かってるでしょ、馬鹿」


「……ほら、そんな顔するなって。ちゃんと笑ってあげないと駄目だろ」


 そう言ってつぐみの頭を撫でると、つぐみは更にうつむき、肩を震わせた。


「生田さんの家族、そして生田さん自身の問題なんだ。俺たちに出来ることはやった。後は生田さんの決断を見守ろう」


「……うん、うん……」


「どうも、生田です。お邪魔します」


 玄関に生田の息子、兼吾と妻の仁美、孫の兼太、そして娘の祥子が入ってきた。


「こんにちは生田のおじさん。お久しぶりです」


「やあ直希くん、父さんが色々とお世話になったね、ありがとう……おや、みなさんお揃いで」


「ええ、生田さんを見届けたいって、みんな朝からここで待ってたんです」


「そうなのか、すまなかったね、折角の日曜なのに……ん?見届けるって、どういう意味かな」


「それは……生田さんから直接聞いてもらえますか」


「あの、その……生田さん、これ……」


 もう瞳を濡らしている菜乃花が、綺麗に包装された小さな箱を生田に手渡した。


「今日の……おやつです。生田さんの分、包んでおきましたので、その……よかったら召し上がってください」


「……ああ、ありがとう、菜乃花くん」


「生田さんや……」


 声に振り返ると、涙と鼻水を流した西村が生田の手を握っていた。


「……西村さん、どうしたんです」


「わしは、わしは……いや、何も言わんよ。天涯孤独のわしと違って、あんたには家族がおるんじゃ。わしにどうこう言う資格はないんじゃ。ただな、なんというかな、少しばかり寂しくなると言うかの……

 生田さんや、これは餞別じゃ。受け取ってくれ」


 西村が差し出した封筒を受け取ると、生田は笑顔でうなずいた。


「……向こうでも元気での」


「さあお義父さん、もう挨拶は済ませてるんでしょ、早く車に乗っていただけますか」


 妻の仁美が、面倒くさそうにそう言った。


「おい仁美、そんな言い方」


「あなたは黙ってて。私だってこれから忙しいんだから」


「兄さんてば本当、義姉さんのいいなりよね」


「ちょっと祥子ちゃん、他人様の前で変なこと言わないでくれる?」


「あーはいはい分かりました分かりました」


「さ、お義父さん荷物を……荷物は?まだ部屋なんですか」


「……兼吾」


 一歩前に出た生田が、息子を見つめて静かに言った。


「な、何……かな、父さん」


 久しぶりに感じる父親の圧に、兼吾が緊張した面持ちで答えた。


「お前は……本当にわしと住みたいのだな」


「え……な、なに言ってるんだよ今更。その話は前にもしただろ。今まで父さんを一人にしてたこと自体おかしかったんだ。俺はその……長男としての」


「責任か」


「そう、そうだよ責任。子供が親の面倒を見るのは当然だろ?」


「要するにお前は、わしと住みたいのではなく、責任で引き取るということか」


「あ、いやその……父さん、今のは言葉のあやで」


「はいはい分かりましたから。お義父さん、その話は家でゆっくりしましょ。他人の前でする話じゃないでしょ」


「他人……か……」


 生田が静かに目を見開き、仁美に視線を移した。


「仁美さん、君はわしの妻が死んだ時、こう言った。兼太の勉強の邪魔になるから、わしを引き取ることは出来ないと。確かに兼太は希望する高校に入れた。だが今は高校二年、大学受験まであと少しだ。なぜこのタイミングで、わしを引き取ろうと思ったのだね」


「そ、それは……あの頃とは色々と事情も変わってきましたし」


「母ちゃん、そんなこと言ったのか?俺はじいちゃんと一緒に住みたいって言ったよな。でもあの時、じいちゃんが一人で暮らしたいから駄目だったんだって言ったよな」


 孫の兼太の言葉に、仁美が言葉を詰まらせた。


「あらあら義姉さん、どういうことなのかしら」


「そ、それは……」


「……仁美さん、君がわしのことを苦手に思ってるのは知っている。兼吾と結婚してからも、ほとんど家にも顔を出さなかったしね。だからそれはいい。わしも決して、人に好かれるような男ではないからね。わしが聞きたいのはそこじゃない。どうして今になって……わしがこのあおい荘で、落ち着いた暮らしをしている今になって、引き取りたいと言ったのか、それが知りたいんだよ」


「ですからそれは、家でゆっくりと説明を……他人の前でする話じゃないでしょう」





「他人とは何だっ!」





 食堂が揺れるほどの声で、生田が仁美を怒鳴りつけた。


「ひいいいいっ!」


 その声に、仁美と一緒に兼吾までが後ずさり、尻餅をついた。祥子はその場にへなへなと崩れた。


 生田の一喝はすさまじく鬼気迫るもので、あおいや菜乃花も驚いた顔で生田をみつめた。


「お前たちに何が分かる!あおい荘のみなさんはこの半年、わしのような偏屈者を家族としてずっと見守ってくれた。何の見返りも求めず、ただただわしを家族として大切にしてくれた。

 兼吾!お前は子供の頃からいつもそうだった。周りの言葉に振り回されて、人の意見を自分の意見のように言って、何の責任も取らなくて済むように生きて来た。そんな性根の腐った生き方、わしは許さんと言ったはずだ!」


「ひいいいいっ、と、父さんそれ、それやめて」


「……子供たちが怯えてしまう、このままだとトラウマを抱えてしまう、死んだ母さんに言われた言葉だ。だからわしは、お前たちを叱ることをやめた。母さんに全てを任せた。しかし今のお前たちを見ていると、それが間違いだったと思ってしまう。お前たちは自分の利だけを考え、他者への思いやりを考えない曲がった人間に育ってしまった」


「あの……直希さん、生田さんって」


 あおいが直希の耳元で囁く。


「あれが本当の生田さんだよ。怒らしたら怖いのなんのって。俺も子供の頃、何度か怒られたことがあるけど、怖すぎて腰が抜けたこともあるんだから」


「……生田さんって、その」


「元警察官。若い頃は本当に怖かった」


「えええええっ?そうなんですか」


「ああ。だから子供さん、兼吾さんや祥子さんに対しても、それはもう厳しくてね。叱ってる時は、まるで尋問みたいだったんだから。それを奥さんに諫められて、滅多に怒らない人になってしまった。まあ、元々無口な人だったんだけど、その頃からもっと喋らない人になってしまったかな。自分が口を開くと、周りが怯えるかもしれないって感じるようになって」


「それに生田さん、いつも自分のことを『私』って言ってますのに」


「それもね、人を怖がらせない為に練習して変えたんだ。まあでも、家族の前では昔通り『わし』なんだね」


「そうだったんですね、なるほど……」


「兼吾さんたちを見てると分かるだろ?若い頃、どれだけ怖かったのか」


「そう……ですね、はいです。怖いです」


「でもね、あおい。あれでも生田さん、かなり抑えているからね」


「ええ?つぐみさん、そうなんですか」


「私と直希、一度だけ本気で生田さんに怒られたことがあるの。あの時は本当に怖かった。直希が腰を抜かしたのも、その時よ」


「つぐみさんは?」


「……わ、私は大丈夫だったわよ。私はそんな、直希みたいに弱くないんだから」


「はいはい、そうだな。お前も嫁入り前の娘だ、そういうことにしといてやるよ」


「な、何よ……直希の馬鹿」


 赤面したつぐみが、頬を膨らませてそう言った。

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