第23話 あおいの願い
直希と生田は、灰皿を挟んで立っていた。
煙草を差し出すと、生田はそれを無言でつかみ、火をつけた。
「……」
二人共、白い息を吐きながら、言葉を交わすことなく池を眺めている。
「直希さんも生田さんも……何も話さないですね……」
「そんなことないわよ。菜乃花、あの二人は」
「お話ししてますです」
「え……」
つぐみが見上げると、あおいは真剣な眼差しで、二人を見つめていた。
「……あおいさん、それってどういう」
「直希さんも生田さんも、池を見てるだけじゃないです。煙草を吸ってるだけじゃないです。お二人は今、お話ししてますです」
「あおい、あなた分かるの?」
「分かりますです。つぐみさんも分かりますですか」
「え、ええ……そうなんだけど……」
あおいの確信に満ちた言葉に、つぐみが驚いた。
こういった光景は、これまでに何度か見て来た。つぐみの父と直希であったり、直希と祖父母の時だったりした。それはつぐみにとって付き合いの長い人たちで、つぐみが信頼を寄せる人に限られていた。
なのにあおいは、まだ出会って一か月足らずの二人の間に、深い信頼を感じている。笑顔と一生懸命さが魅力のあおい。しかしどこか抜けていて、いつも失敗ばかりしているあおいとは思えないその洞察力に、つぐみは動揺した。
――あおいのその信頼は、直希にどこまで向いているのだろうか。
「じゃあ……すまなかったね」
生田が煙草を揉み消し、直希の肩を叩いた。
「生田さん……本当に、それで……」
「……ああ」
そう言うと生田は小さく笑い、直希に背を向けた。
「駄目です!」
静かな庭に響く声。
二人が目をやると、そこにあおいが立っていた。
「全く……駄目だって言ったのに……」
つぐみがため息をつきながら、あおいの後ろから現れた。菜乃花も申し訳なさそうに顔を出す。
「……あおいちゃん?どうしたの、そんな怖い顔をして」
「駄目なんです生田さん。生田さんは、このあおい荘に残るべきなんです」
これまで直希やつぐみがためらっていた言葉を、あおいが大声で叫んだ。
そのあおいの声に驚いた入居者たちが、何事かと庭にやってきた。
「直希、何の騒ぎだ」
「ナオちゃん、それに生田さんも……何かあったのかい」
「あおいちゃんや、どうしたんじゃ、そんなでっかい声出して」
山下も、そして車椅子に乗った小山も現れた。
「生田さん、本当にそれでいいんですか。私は……私はこのあおい荘に来て、毎日がすごく楽しいです。みなさん優しくてあたたかくて、まるで本当の家族みたいに思ってましたです。
私はこのあおい荘が大好きです。あおい荘に住むみなさんのことが大好きです。私はこれからも、ずっとみなさんと一緒にここで、楽しく笑って過ごしたいと思ってますです。
お子さんと住むことになって、それで生田さんが喜んでいるのなら、それは仕方のないことだと思ってましたです。でも生田さん、今直希さんとお話ししてても、全然嬉しそうじゃなかったです。悲しそうだったです、辛そうだったです!」
「あおい、ちょっと落ち着きなさい」
「ごめんなさいですつぐみさん、それに直希さんもごめんなさいです。私、約束破ってしまいましたです。折角直希さんが頑張ってくれてたのに、新入りの私が口を出してしまいましたです。でも私は」
「いいよあおいちゃん。今思ってること、全部吐き出しちゃえ」
「私……みなさんのこと、まだ何も分かってないです。知らないです。ここでみなさんのお世話になって、生活させてもらってますです。
でもみなさんは、私のことを可愛がってくれますです。失敗しても、笑って許してくれますです。慰めてくれますです。
私はまだ、みなさんに何もお返し出来てないです。でもみなさんは、そんな私のことを大切に大切にしてくれますです。だから私は……みなさんと一緒にいたいです。もっともっと、みなさんのことを知りたいです。そしてみなさんにご恩をお返ししたいです。
生田さん、これは私の我がままですか?こんなこと、言ったら駄目ですか?私は生田さんのことも大好きです。これからもずっと、生田さんとお話ししたいです!」
「あおい、あなた……」
あおいの瞳が涙で濡れていた。
「……ほんと、無鉄砲なんだから」
つぐみがあおいの涙を拭き、そして抱き締めた。
入居者たちも、詳しい事情は分からないが、あおいの言葉に胸が熱くなっていた。
それは生田も同様だった。
「生田さん。俺たちみんな、生田さんのことが大好きなんです。そしてこれからも、このあおい荘で一緒に暮らしていきたい、そう思ってます。
勿論、ご家族とのことに俺たちが入ることは出来ません。ただ俺たちの気持ちは、分かってほしいです」
「生田さん、私も生田さんには、小さい頃からずっとお世話になってました。子供会でも祭りの時でも。生田さんは確かにぶっきら棒で無口だけど」
「おいおいつぐみ、それ今、言うことか?」
思わず直希が突っ込んだ。
「それでも私は……生田さんの大きな手で頭を撫でられて、嬉しかったんです。私にとって生田さんは、いいえ、ここにいるみなさんは大切な家族なんです」
「あの、その……私も……おばあちゃんが困ってる時、いつも助けてくれてるって聞きました。生田さん、初めて会った時はちょっと怖かったけど、でも今はそんなに怖くない……です……」
「菜乃花ちゃんも、フォローしきれてないよ」
直希が苦笑する。
「生田さん、孫たちが色々悩んだ上で、こう言ってるんだと思う。わしもあんたとは長い付き合いだ、少しは事情も分かってる。だがどうだね、少しでいいから、この子たちの気持ち、考えてやってくれないかね」
「……参りましたね」
そう言って、今度は生田が苦笑した。
「私は……この通りうまく気持ちを出せない男です。不快にさせるのも忍びないので、人と深く付き合わないようにしてきました。ですから今、こうして自分のことを考えてくれて、思いをぶつけてくれて……正直戸惑ってます。
ですが……新藤さん、直希くん、それに……風見くんも。少しばかり、時間をもらえないだろうか。ここを出るまであと二日、私も少し、これからのことを考えてみたくなった」
「生田さん……」
「はいです、分かりましたです」
「あおい、あなたね……なんでそんなに現金なのよ」
「分かりました。生田さん、突然こんなことになってしまって、申し訳ありませんでした。みなさんも、お騒がせして申し訳ありません。今日はここまでにして、その……後日、生田さんに答えを出してもらいたいと思います。そういうことで、今日はこの辺で」
「んん~、何かよく分からんが、それでいいじゃろ」
「西村さん、また適当なこと言って。何のことかあなた、よく分かってないでしょうに」
「山下さんは厳しいのぉ」
「さあ、それじゃあおいちゃん、それにつぐみ、菜乃花ちゃんも。ちょっと遅れちゃったけど、急いで昼ご飯の用意するよ」
「そうね、急がないと間に合わないわ」
「ほんとだ……もうこんな時間……」
「急ぎましょうです直希さん、なんとしても間に合わせないとです」
「あおいは自分が食べたいだけでしょ」
「そ、そんなことないです。私は皆さんに、規則正しく食べてほしいだけです」
「嘘ばっか」
「ははっ、それじゃあみんな、解散」
「おばあちゃんも、部屋に戻ってようか」
「いいよ菜乃花、せっかくだから、このまま食堂で待ってるよ。たまには菜乃花の仕事してる所、見てみたいわ」
「ええ?もぉ、おばあちゃんったら」
「じゃあ小山さん、折角だしお米、洗ってもらえますか?」
「いいわよ、まかせてちょうだい」
「それじゃあお昼の用意、始めるか」
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