第22話 あおい荘の総意


「……それ、誰からのお話しなんですか」


「生田さんの奥様。もう亡くなってるけどね、よくうちの診療所に来た時に、お父さんに愚痴をこぼしてたみたいなのよ」


「そう……なんですね」


「だから奥様が亡くなった時も、ひと悶着あったみたい。長男さんは、一人暮らしさせるのは心配だったみたい。でも奥さんが頑として反対した。取ってつけたみたいに言い訳してたわ。お孫さんの受験が近いから、今同居して環境に変化を与えたくないとか言ってね」


「そんな……生田さん、あんなに優しい人なのに……それに環境の変化って言っても、あんな静かな人と同居しても、何も変わらないと思います……」


「私も同意見ね。大体その時、お孫さんはまだ中学一年だったのよ。何が受験よって思ったわ」


「それでも生田さんは、怒る訳でもなかった。元々何でもこなせる人だったからね、一人暮らしを始めた。それから何年ぐらい経ったのかな」


「4年よ」


「ありがとうつぐみ。4年経った今年、このあおい荘が完成した。最初はじいちゃんばあちゃんだけだったんだけど、どうしても気になって声をかけたんだ。『ここで一緒に住みませんか』って」


「大変だったんだから。何しろあの頑固さでしょ、私たちがいくら言っても聞いてくれなくて。でも、お父さんと直希のおじいさんたちの説得でやっと応じてくれたの」


「そうだったんですか」


「いくらお元気でも、少しずつADL……はいあおい、ADLって何だった?」


「は、はいです、その……日常生活動作ですです!」


「正解。そのADLも、少しずつ落ちてきている。あおいは気づいてないと思うけど、水分を摂った時、たまに咳き込んでいる」


「あ……そう言えばそうです、そんな時がありましたです」


「あれは誤嚥ごえんって言うの。水分が間違って、気管の方に入っていくの」


「私もたまにありますです!」


「……そう自慢されても困るんだけど……あの症状、若い人にはそこまで深刻じゃないんだけど、高齢者には命取りになりかねないの」


「そう……なんですか」


誤嚥性肺炎ごえんせいはいえんっていうのがあってね、命にも関わることなの。だから機能が低下した人に対しては、水分にとろみをつけて摂取してもらうこともあるの」


「なるほど……」


「生田さん、少しずつだけど悪化してるのが分かってた。だから一人暮らしをしてる時は、本当に心配だったの」


「……」


「直希にも伝えていたから、あおい荘に入ってからも、観察してもらってた。でも最近は症状も落ち着いてるみたいで、ひとまず安心してるんだけどね」


「私……もう少し勉強しないとです。でないと大切な入居者さんのこと、しっかり見守ることが出来ないです」


「まずはヘルパー2級……今は初任者研修だったわね、それに受からないとね。試験、いつだったかしら」


「は、はいです、一週間後です」


「まあ、真面目に講習を受けていれば大丈夫だと思うけど、気を抜かないようにね」


「はいです」


「少し脱線しちゃったな。それで生田さん、何とかここでの生活にも馴染んでくれて、よく笑ってくれるようにもなった。だから俺は、出来ればこのまま、ここにいてほしいって思ってた。だけど今になって、長男さんから急に引き取りたいって言ってきたんだ」


「何か……事情が変わったんでしょうか」


「お金よ、お金」


 つぐみが指でお金の形を作り、大きくため息をついた。


「お金……ですか?」


「生田さんにはもう一人、子供さんがいるんだ。長男さんの妹さんなんだけどね。その人が長男さんに言ったらしい。『長男の癖に父さんの面倒も見ずにほったらかしにして、そんな無責任なことをするんだったら、お父さんが亡くなった時、私も遺産のこと、しっかり口を出させていただきます』って」


「生田さん、退職金に奥様の保険金、それに自宅も売ってるから、それなりにお金を持ってるの。長男の奥さんも、生田さんのことは苦手だけど、そのお金は手に入れたい。長男なんだし、その権利はある。でもそこに、妹が声をあげた。だから慌てちゃったみたいなの」


「あの、その……直希さんたちは、そんな話をどこから」


「長男の奥さんが東海林医院に来て、生田さんの健康状態を確認しに来たんだ。その時にまあべらべらと話してくれたんだとさ」


「私、こらえるの大変だったんだから。あの人の言い草に」


 そう言って肩を震わせるつぐみの頭を、直希が優しく撫でた。


「でもお前が抑えてくれたおかげで、この情報が俺の所にまで来たんだ。ありがとな」


「別に……直希の為じゃないわ。生田さんの為よ」


「分かってる。でもありがとう、つぐみ」


「あの人……義父はあとどれぐらい生きますか、そんなことをお父さんに聞いてたのよ。少しでも早く死んでほしいみたいに」


「そんな……義理のお父さんのこと、そんな風に言うなんて」


「ああ、ごめんね菜乃花ちゃん。こんなひどい話を聞かせちゃって。だから二人に言わないでいようか、迷ってたんだ。はい菜乃花ちゃん、これ使って」


 直希が差し出したハンドタオルを受け取り、菜乃花が涙を拭った。


「そんな人たちに、私たちの大切な家族を渡していいのかって思ったの。いくら身内でも、生田さんのことを物みたいに扱うなんて許せない」


「私も……私もです。生田さんはとっても優しいいい人なんです。出来ればこれからも、このあおい荘にいてほしいです」


「わ……私も、です……直希さん、何とかして生田さんのこと、守れませんか」


「ほらね、直希。やっぱり二人に話してよかったでしょ」


「……だな。じゃあそれが、あおい荘の総意ということでいいかな」


「ええ」


「は、はい」


「はいです!」


「分かった。じゃあ明日、俺から生田さんに話してみるよ。みんなにも、何かあったら協力してもらうから。その時はよろしくね」


 直希が手を出す。その上につぐみが、あおいが、そして菜乃花が手を重ねた。





 翌日。


 部屋の掃除が終わったタイミングで、直希が扉をノックした。


「生田さん、ちょっといいですか」


「……ああ」


「どうです、煙草でも一緒に」


「……ああ」


 二人は玄関を出ると、池の前の喫煙所へと向かった。


「だ……大丈夫でしょうか……」


「大丈夫よ」


「ひええっ!な、なんだ、つぐみさんでしたか。びっくりしましたです」


「……私もいますよ、あおいさん」


「菜乃花さんも……そうですよね、やっぱりお二人も、気になりますですね」


「そんなんじゃないから。私はただ、直希を見守るだけよ」


「つぐみさん、それってどういうことですか」


「直希が決めて、行動を起こした。だからこれ以上、私に出来ることはないの。勿論、直希から頼まれれば別だけど、あいつはそんなかわいいやつじゃない。

 でもね、あいつは一度こうと決めたら、誰がなんと言っても絶対に諦めたりしない。だから私は、あいつがすることに口を出さないって決めてるの。ただ見守るだけ」


「ふふっ」


「何?」


「ごめんなさいです。でもつぐみさん、本当に直希さんのこと、信頼してるんだなって思ったです」


「付き合いが長いだけよ、それだけ。変な誤解しないの。それといい?あおいも菜乃花も、何があっても口を出すんじゃないわよ」


「……つぐみさん、それってどういう」


「直希が覚悟を持って動いたの。そこに私たちが口を挟むなんてこと、しちゃいけないの。直希のことを信じなさい」


「はい……分かりました、つぐみさん」


「分かりましたです。私も直希さんのこと、信じてますです」

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