第20話 去りゆく者
次の日。
昨日までの天気が嘘の様に、この日は雨が降っていた。
雨の日は朝食後、食堂でラジオ体操をすることになっている。
子供の頃には、こののんびりとした体操に何の意味があるのか、よく分からなかった。しかし年を重ねていくにつれ、いかに日頃使う筋肉が限られているのかを知った。ラジオ体操はある意味、全身のストレッチを網羅した素晴らしい運動方法と言えた。
学生時代にそのことを学んだ直希は、あおい荘のオープン当初から、休むことなくこれを続けていた。
車椅子の小山も、出来る範囲でゆっくりと体をほぐしていく。その後直希や菜乃花が手伝って、足のストレッチも軽めに行う。
小山は、以前腕を骨折し、長期間病院で寝たきり状態になっていた。それが原因で筋肉が衰えてしまい、自分の足で体を支えることが難しくなり、車椅子を利用するようになっていた。
あおい荘に来た頃は、車椅子も自分で動かせなくなっていた。
直希は小山と対話を続け、毎日二回、朝食後と昼食後に廊下を歩くリハビリを勧めた。
リハビリのかいあって、今では介助があれば、自分の足で立てるまでに回復していた。
この場所を、人生の終着点として、ただただ楽しく穏やかに過ごしてもらう、そういう考えに直希は賛同出来なかった。
日々の生活の中で目標を定め、それに向かって頑張ってほしい、そう思っていた。
その為に流す汗も涙も、人生の中で大切な物であり、それがあるからこそ人は充足感を感じれる、そう信じていたからだ。
体操が終わり、菜乃花がリハビリを始めようとした時、直希が口を開いた。
「ごめんね菜乃花ちゃん、ちょっとだけ時間、もらえるかな。えーっとみなさんもすいません、部屋に戻る前にお伝えしたいことがありますので、聞いていただけますか」
「どうしたんだいナオちゃん、何かあったのかい」
「うん、ばあちゃん。ちょっとね」
「直希さん直希さん、私また、失敗しましたですか」
「あ、いや……あおいちゃんのことじゃないから安心して」
「あおい。直希の話、聞きましょう」
唯一事情を知っているつぐみが、うつむき加減でそう言った。
「みなさん、急な話なんですが……実はこちらの生田さんが、今週いっぱいでこのあおい荘を出ることになりました」
「え……」
直希の言葉に、あおいがそう声を漏らした。視線を移すと、生田はいつも通り、厳しい顔立ちで立っていた。
「直希ちゃん、それって本当なの?」
「はい。生田さんの方から、あまり大袈裟にしたくない、出来るだけ直近で伝えてほしいと言われてたので……ごめんね、山下さん」
「生田さん、本当なんですか」
あおいが信じられない表情で、生田に尋ねた。生田はあおいの顔を見て、穏やかに笑みを浮かべて小さくうなずいた。
「でも……でもでもです。どうしてそんな」
「あおいちゃんにも、今まで黙っててごめんね。生田さん、子供さんと一緒に暮らすことになったんだ」
「そう……なんですか……」
「お別れは確かに辛いけど、子供さんと一緒の家で住めるんだ。お孫さんもいてる。だから生田さんにとっては、嬉しいことなんだよ」
「そうなんですか、生田さん」
「……ああ」
「そういう訳ですので、あと三日ほどになりますが、みなさんよろしくお願いします」
「あと三日……直希さん、でしたら生田さんの送別会を」
「ありがとう、あおいちゃん。でもね、生田さんの方から、そういうのはなしにしてくれってお願いされてるんだ。いつも通りのあおい荘でいてほしいって」
「そんな……生田さん、駄目ですか」
「……すまないね、風見くん。そういうのは苦手なんでね」
「あおいちゃん、その気持ちだけで生田さん、嬉しいと思うよ」
「……分かりましたです」
「直希、じゃあそろそろ解散で」
「そうだな。それではみなさん、今日も一日よろしくお願いします」
洗濯を終え、風呂場に設置してある乾燥機に洗濯物を入れていると、菜乃花が声をかけてきた。
「あの……直希さん……」
「菜乃花ちゃん、どうかした?」
「はい、その……私……」
「生田さんのことかな」
「はい、そうです……私、全然気づかなくて」
「ごめんね。生田さん、あんな感じの人だから、大袈裟にしないでくれって念を押されてたんだ。本当ならスタッフにだけでも、言っておきたかったんだけど」
「つぐみさんは……病院ですよね」
「うん。夕方には戻ってくるよ」
「つぐみさんは、その……知ってたんですよね」
「東海林先生から聞いたんだ。大変だったよ、何で言わなかったのかって詰め寄られて」
「そう、ですよね……私もその……早く知っておきたかったです」
「ごめんね。菜乃花ちゃんやあおいちゃんには本当、悪かったって思ってる」
「あ、いえその……そういう意味じゃなくて」
「でもね、生田さん言ってたんだ。自分はこのあおい荘と、あおい荘のみんなのことが好きだって。だから出来れば最後まで、いつも通りのみんなでいてほしいって」
「……」
「だから菜乃花ちゃんにも、生田さんのその気持ち、分かってあげてほしいんだ。いつものあおい荘で生田さんのこと、見送ってあげてほしい。生田さんもきっと、そう望んでると思うんだ」
「……分かりました。すいません、直希さんをその……責めるみたいな言い方しちゃって」
「大丈夫だよ。それにね、生田さんはああ言ってたけど、実は俺、前日の夜にパーティーしようと思ってるんだ。内緒でね」
「そうなんですか?」
「うん。だから菜乃花ちゃんも、今日晩御飯が終わったら、一緒に考えてくれるかな。つぐみやあおいちゃんにも声、かけようと思ってるんだ」
「分かりました!それ、すごくいいと思います」
「よかった。じゃあそういうことで。夜、俺の部屋に来てくれるかな」
「はい、私も色々と考えておきます」
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