第4章 スタッフの願い

第18話 小さなミス


「だーかーらー。あおいってば、何度言ったら分かるのよ」


「うう~、ごめんなさいです」


 食堂のカウンターで、今日もあおいはつぐみに説教されている。


「小山さんは嚥下えんげの能力が落ちている。だから小山さんに出す食事は、小さく刻む」


「はいです……」


「でもね、出す前にそれをやってしまったら、何を食べてるのか分からなくなるでしょ。見てみなさいよこの料理。細かく刻み過ぎて、何の料理だか分からなくなってるじゃない」


「どうしたどうした、何かあったのか」


 つぐみの剣幕に、風呂の準備を終えた直希が慌てて食堂に戻って来た。


「あおいちゃん、どうしたのかな」


「……直希さん、ごめんなさいです」


「つぐみ、何の失敗か知らないけど、あおいちゃんはまだ仕事の要領つかめてないんだから。あんまり怒ってやるなよ」


「直希は甘すぎるのよ。こんなんじゃヘルパーの資格、取れないわよ」


「だから今、講習に行って勉強してるんじゃないか。あおいちゃん、心配しなくていいからね。ヘルパー2級は、講習を真面目に受けてたらちゃんと取れるから」


「そういう問題じゃないでしょ。そんな気持ちじゃ、一人前のヘルパーになんてなれないんだから」


「いや、意気込みとしてそれは正解なんだけど……でもあおいちゃんは、講習も受けながらこうして実戦で鍛えてるんだ。何より気持ちがある。入居者さんに対する思いがある。だから大丈夫、あおいちゃんはきっと、立派なヘルパーになれるよ」


 直希の言葉に、つぐみが苛立ちテーブルを叩いた。


「それじゃ駄目なのよ!」


「つ……つぐみ……さん?」


「……ごめんなさい。直希、後はまかせてもいいかしら」


「おう。ちょっと休んで来い」


「お願いするわ」


 そう言うと、つぐみはエプロンを外して庭に向かった。


「つぐみさん……あんなに怒らせてしまったです」


「いいんだよ、気にしなくても。また思い出したんだ」


「え……何をですか」


「……あいつから聞く時もあるだろうから、俺からは言わないでおくよ。それで?何を怒られてたの」


「あ、はいです、実はこれ……」


「あの、その……今つぐみさん、怒って外に出ちゃいましたよね……」


 直希と風呂の準備をしていた菜乃花が、驚いた様子でやってきた。


「あ、菜乃花さん……これ、ごめんなさいです!」


「これ、おばあちゃんのお皿……ああ、先に刻んでくれたんですね、ありがとうございます」


「なるほど。事情はつかめたよ」


「ごめんなさいです……」


「あおいちゃん、反省はいっぱいするといい。でもね、反省と落ち込むことは、似てるようで全然違うものだから。落ち込んじゃ駄目だよ」


「……はい……です……」


「いやいやそれ、落ち込んでるから。いいかい?反省ってのは、失敗したことを自分の中で消化して、次は失敗しないように備えること。落ち込むってのは、自分に矛先を向けて攻撃すること。生産的じゃない」


「あおいさん、その……大丈夫ですよ。私もたまにやっちゃいますし、それにその……おばあちゃん、そんなこと気にしませんから」


「……ごめんなさいです」


「じゃあもう一回教えるね。小山さんのように嚥下えんげ能力が低下してる人には、こうして料理を刻んで食べてもらう。ここまでは正解。

 ただ、これじゃあ何を食べてるのか分からない。人間ってのは、目で料理を楽しむ機能もついてるから、それを奪っちゃいけない。だから料理を見てもらって、それからその場で刻んであげる。そうすると本人も、何を食べてるのか分かって、食事を楽しむことが出来る」


「はいです……分かってたのに、小山さんの料理だって思ったら、無意識に刻んでしまったです」


「まあ、施設によったら先にこうして刻む所もあるみたいだけど。うちよりたくさんの入居者さんがいて、とても手が回らない場合ね。でもうちは6人だけだし、十分対応出来るから」


「あのその……あおいさん、おばあちゃんの食事には私がついてるし、大丈夫ですよ」


「そうそう。それにほら、ここには優秀なスタッフがたくさんいるんだし、みんなでフォローしあってやっていけばいいんだよ」


「は、はいです……」


「ほらほらあおいちゃん、いつまでもそんな顔してたら、菜乃花ちゃんだって困っちゃうだろ。それにつぐみも」


「そうだつぐみさん!私、謝りに行かないとです」


「それは俺に任せて。菜乃花ちゃん、悪いんだけどここ、あおいちゃんと一緒にお願いしてもいいかな」


「分かりました」


「それじゃあちょっとだけ、俺も休憩もらうね」


 そう言って、直希が庭へと向かった。





「落ち着いたか?」


 壁にもたれて座り、花壇を見つめるつぐみに直希が声をかけた。


 手には煙草を持っている。


「隣、いいか?」


「駄目よ。煙草が嫌いなこと、知ってるでしょ」


「だよな……じゃあまた後で」


「じょ、冗談だってば。それぐらい分かってよ……いいわよ、座っても」


「じゃあ失礼して」


 つぐみの隣に腰を下ろすと、煙草に火をつけた。


「……まだ煙草、吸ってるんだ」


「まあね。でもこの仕事始めてからは、ほとんど吸ってないな。あおい荘の中では吸えないし、こうやってたまに庭で一服だから……まあ一日に2、3本ってところかな」


「それぐらいならやめなさいよ。未練たらしくて馬鹿みたい」


「一つぐらい楽しみがないとな。ちょっとした気晴らしにいいんだよ」


「看護師の前で、よく堂々と吸えるわね」


「今の時間は看護師じゃないだろ。今のお前は、俺の幼馴染」


「……馬鹿」


「それで?落ち着いたのか」


「……あおい、泣いてなかったかしら」


「大丈夫だよ、ちゃんとフォローしておいたから」


「そう……私、何でこうなのかしら」


「どういうことだ?お前は何も間違ってないし、悪くもないぞ」


「そういう問題じゃないのよ。あおいのこと、まだ一か月しか経ってないけど私、いい友達になれるって思ってるの。あの子といると私、いつも楽しくておかしくて、すごく幸せな気持ちになれるの」


「確かに……あおいちゃんって、不思議な女の子だよな。いつもニコニコしてて、その笑顔を見てるだけで、こっちまで楽しくなってくる」


「でもね、仕事ってなると話は別なの。確かにあの子、一生懸命頑張ってるし、入居者さんのことも大好きで、お世話させてもらうことにも喜びを感じてる。でもだからこそ、ああいった小さなミスを見てると腹立たしくなっちゃうの」


「さっきのなんて、大したミスじゃないだろ?まあ、失敗しないに越したことはないけど」


「それが駄目なの。大したミスじゃないからって甘やかしてたら、いつか大きな事故を起こしてしまう。そうなった時のあおいのことを考えたら、どうしても厳しく当たってしまうのよ」


「昔のお前、みたいにか」


「……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る