第9話 明日香さん襲来


「毎度―っ、不知火でーす」


「いらっしゃい明日香さん。いつもありがとうございます」


「おおっ、愛しのダーリン。今日もいい男だね」


 そう言って、肩に乗せていた米袋を下ろすと、明日香と呼ばれた女が直希に抱き着いた。


「だから明日香さん、その呼び方はやめてほしいといつも。それにスキンシップも激しいと言うか」


「私とダーリンの仲じゃない。私はダーリンのこと、いつでも受け入れる準備出来てるんだから。おーい、みぞれ、しずく。パパに挨拶しなよー」


 明日香の声に、3歳になる双子の姉妹、みぞれとしずくが走って中に入ってきた。


「パパー、ただいまー」

「パパー、ただいまー」


 そう言って二人が、直希の足にしがみつく。


「こんにちは、みぞれちゃんしずくちゃん。でもね、俺は君たちのパパじゃないんだからね」


 二人を抱き上げ、直希が笑顔で頬にキスする。


「明日香さんも、こんなちっこい子供に嘘、教えないでくださいよ」


「いいじゃんいいじゃん。ダーリンがあたしのプロポーズ受けてくれたら、この子たちの本当のパパになるんだし。今からちゃんと、練習しとかないと」


「何の練習ですか……ああ、あおいちゃん、お帰り。どう?ちゃんといる物、買えた?」


「あおい?」


 明日香が振り返る。そして玄関に入ってきたあおいと目が合った。


「はいです。直希さんすいません、住ませてもらえるだけでもありがたいのに、こんなにたくさんの物、買ってくださって」


「いいっていいって。就職祝いなんだから」


「私、これから一生懸命働きますです。そしてこのご恩、きっとお返ししますです……あ、お客様ですか?」


「うん、紹介しておくね。不知火明日香さん。近くのスーパーの配達員さんなんだ」


「そうなんですね。不知火明日香さん、よろしくお願いしますです。それであの……このお子さんたちは」


「明日香さんの子供さんで、みぞれちゃんとしずくちゃん。双子の姉妹なんだ」


「そうなんですか。可愛いです。よろしくです、みぞれちゃん、しずくちゃん」


「パパ、この人誰?」


「え……パ、パパ?」


「あ、いや……これは明日香さんの悪戯って言うか、なんと言うか……勝手に俺のこと、パパって呼ばせてるんだ」


「そうなんですね、びっくりしましたです」


「ははっ、そうだよね」


「ちょっとちょっと」


 明日香が直希とあおいの間に割って入った。


「住んでるって……何?と言うかこの子、誰なの?」


「新しい従業員よ」


 そう言って、つぐみも中に入ってきた。


「つぐみん?従業員って、それってどういう」


「言葉通りよ。この子、ここに住み込みで働くことになったの」


「あおい荘の従業員……」


「そして私も、近々ここに住むことになったの」


「ええええええええっ?」


「あらあら、随分騒がしいわね。どうしたんだい」


 そう言って、菜乃花が押す車椅子に乗った小山が現れた。


「ちょっとちょっと小山さん、本当なの?このあおいって子が、ここに住んでるって」


「あらあら、もう修羅場になってるのね、うふふふっ」


「え?おばあちゃん、それってどういう」


「修羅場って小山さん、人聞き悪いですよ」


「あの……直希さん、その人って」


「ああ、菜乃花ちゃんにも紹介しておくね。彼女は風見あおいさん。昨日からここに住み込みで働いてるんだ。あおいちゃん、こちらが昨日言ってた菜乃花ちゃん。小山さんのお孫さんで、高校三年生」


「か、風見あおいです。よろしくお願いしますです」


「こ……ここにって、そんな……」


 菜乃花がうなだれた様子で、小山に言った。


「このことだったのね、おばあちゃん……」


「うふふふっ……これから色々、楽しくなりそうね」





「さて……説明をしてもらいましょうか」


 食堂に、あおい、つぐみ、明日香、菜乃花が集まり、直希を囲んで座っていた。


「あのぉ、その前に明日香さん、これって何の尋問?」


 みぞれとしずくを膝に乗せた直希が、居心地悪そうに苦笑した。


「そりゃそうでしょ。配達に来なかった昨日一日で、あおい荘に一体何があったってのよ」


「あの……私も気になります……直希さん、よければ聞かせてもらえませんか」


「菜乃花ちゃんまで……だからね、さっきも言ったけどあおいちゃん、意に沿わない結婚をさせられそうになって、それで家出したんだ。で、たまたま家の前で倒れてて、救助した訳で」


「それは聞いた。それはいいの。だっていかにもダーリンがしそうなことなんだから」


「それで行く当てもないみたいだったから、ここに住むことに」


「はいそこ!それを言ってるのよ。なんでそう飛躍するのかな、ダーリンは。

 人様を助けたいと思うダーリンって、あたしはすごいと思うよ。しかも見返りを全く求めない。みぞれやしずくのことだって、そうやっていつも面倒みてくれてる。だからあたしはダーリンのこと、次の旦那として認めてるんだから」


「そっちの飛躍はありなんだ」


「何よ、あたしはいつも真剣なのに……ダーリンさえその気なら、今日からだってあたし、ダーリンの奥さんになって色々してあげるのに……痛っ!」


 つぐみが明日香の頭にげんこつを食らわした。


「ちょっとぉ~、つぐみん、何で殴るのよ」


「なんでじゃないでしょ明日香さん。そうやって直希の体に気安く触らないの」


「いいじゃん別に。ほんっと、つぐみんったらケチなんだから」


「あの……直希さん、あおいさんのことは分かりました。お話を聞いてる限り、直希さんの判断は間違ってないと思います」


「えーっ?なのっちはいいんだ」


「だって……当てもなくてお金もなくてってなったら、仕方ないかなって」


「でもでも、なのっちはいいの?これからあの二人、いつも同じ屋根の下で暮らすんだよ」


「私もだけどね」


「……それです。あの……どうしてつぐみさんまで」


「前々から考えていたのよ。だってここ、一応お年寄り向けの集合住宅なんだから。いくら直希が面倒みれるって言っても、何かあった時に医療的な処置は出来ない。直希は看護師の資格を持ってない。だから私が常駐して、緊急時に対処しようと思ってたの」


「つぐみーん、ほんとにそれだけー?」


「なっ……そ、それだけです!それとあおいも、初めての環境で色々大変だろうし、同性の私がいれば安心でしょ」


「あのぉ、いいでしょうか」


 あおいが小さく手をあげた。


「私、みなさんにご迷惑をかけるのは違うって思うんです。それに直希さん、私の為に服や日用品まで、こんなに用意してくれましたです。そのことには感謝してますけど、でもやっぱり、私にはこの恩をお返しする自信もないです。みなさんの日常を壊してしまうのも忍びないです。だから直希さん、やっぱり私、お世話になる訳には」


「ほら、明日香さんがいじめるからあおい、出て行くって言ってるじゃない」


「ええっ?私のせい?」


「それにこのままだと私、直希さんの大切なお金、全部使っちゃうかもです」


「あおい、その心配はいらないから。こいつね、ほんっと腹が立つぐらいお金持ってるから。あおいがどれだけ散財しても、その程度じゃなくならないから安心して」


「ちなみにだけど、今日どれだけ使ったの?」


「10万ほどかしら」


「10万!ちょっとダーリン、あたしにそんな大金、使ってくれたことないじゃん。あたしだって、こんなに尽くしてるのに」


 そう言って太腿に指を這わすと、再びつぐみがげんこつを落とした。


「あおいちゃん、そんなに落ち込まないで。それに俺、言っただろ。ここに住む以上は家族なんだし、それにあおいちゃん、無一文で着替えも持ってなかったんだから。これは就職祝い、引っ越し祝いなんだって」


「明日香さんだってこの前、みぞれちゃんとしずくちゃんに服、買ってもらってたわよね」


「それは……パパなんだから」


「パパじゃありません!」


「いったぁ~……ちょっとちょっとつぐみん、いつもより突っ込み、激しくない?」


「これぐらいしないと明日香さん、すぐ調子に乗って暴走するんだから」


 つぐみと明日香の応酬が続く中、直希がひとつ咳ばらいをして言った。

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