第8話 甘えん坊の菜乃花ちゃん


 それから東海林とつぐみは、入居者の往診に回った。


 と言っても、特に問題がなければ30分ほどで終わる。最近は入居者の健康状態もよく、ほとんどが軽い世間話で終わるのだった。


「直希、私がここに来るまで、あおいに変なことしちゃ駄目よ」


「お前なあ、俺を何だと思ってるんだよ」


「まあ、直希ならそういう心配もないんだけど。でも万が一と言うこともあるから、あおいも気をつけるのよ」


「万が一って直希さん、どういうことですか」


「あおいちゃん、そこはスルーでいいから」


「は、はいです」


「そうだつぐみ。お前って、あとどれぐらいで仕事終わるんだ?」


「今日はここが最後の往診だから、これで終わりだけど」


「なら頼みがあるんだけど」


「珍しいわね、直希が私にお願いなんて」


「いいか?」


「聞いてからね。何?」


「実はな、あおいちゃん、ほとんど何も持たずに家を出たんだ。だから着替えとかも持ってなくて」


「なるほどね。だから直希のジャージ、着てたんだ」


「まあ服ぐらいなら俺でも付き合えるんだけど、流石に下着となると」


「あ、当たり前でしょ、何馬鹿な事考えてるのよ!」


「考えてないから、お前に頼んでるんだよ」


「でも下着ぐらい、自分でも買えるんじゃないの」


「いや……恐らくあの子、想像以上のお嬢様だと思うんだ。多分自分の下着ですら、買ったことがないんじゃないかと」


「まさか……と言いたいけど、あの無防備な顔見てたら、そうかもしれないわね」


「だろ?だから頼む。俺はもうすぐ風呂の用意しなくちゃいけないし」


「分かった。帰って着替えたら、車で迎えにくるから。あの子にも言っておいて」


「悪いな。恩に着る」


「私を使うのって、高くつくからね」




 それから小一時間ほどして、つぐみが車で迎えに来た。

 あおいは相変わらず直希のジャージ姿だったが、つぐみが持ってきた服に着替えさせ、二人は車で近くのショッピングセンターへと向かった。


「どう?服、きつくないかしら」


「は、はいです。大丈夫です」


 そう言って、胸のボタンを気にしているあおいに、つぐみが引きつった顔で笑った。


「立派な物をお持ちのようで……」





「あ……あの、その……おじゃま、します……」


 あおい荘の玄関先で、遠慮がちにそうつぶやいた少女が、上履きに履き替えていた。


「菜乃花ちゃん、いらっしゃい」


「あ、直希さん……こんにちは。今日も暑いですね」


 菜乃花と呼ばれた少女が、直希を見て嬉しそうに微笑んだ。


「小山さん、今は部屋だよ」


「はい。それでその……確か今日、往診の日だったと思うんですけど」


「うん、何も問題なし。足の方も順調だって」


「そうですか、よかったです」


「じゃあ俺、晩御飯の準備中だから、これで」


「あ……あの、直希……さん」


「ん?どうしたの」


「あの、これ……なんですけど……」


 そう言って、持っていた紙袋を直希に渡した。


「クッキー……なんですけど、家で作ってみたんです。それでその……よければ」


「菜乃花ちゃんが作ったんだ。おおっ、おいしそうだな」


「あ、ありがとうございます」


「明日みんなに食べてもらうよ。丁度よかった、明日のおやつ、どうするか迷ってたんだ」


「あ……は、はい……」


「菜乃花ちゃんは本当、いいお嫁さんになれるね」


「そんなこと……じゃあ、失礼します」


「うん。じゃあまた、後で」


 菜乃花は小さく頭を下げ、祖母の部屋へと向かった。


「ははっ……にしても、相変わらず可愛いな」




 祖母、小山鈴代の部屋に入った菜乃花は、ベッドに腰掛けている鈴代の膝に顔を埋めていた。

 鈴代はいつもの様にニコニコ笑いながら、可愛い孫の頭を撫でる。


「また……失敗しちゃったよ……」


「ふふっ。ほんと、菜乃花は駄目駄目ね」


「おばあちゃんまで……ひどいよ」


「あらあら、ふふっ……ごめんなさいね。でもね菜乃花、いつも言ってるけど、ナオちゃんには変化球は効かないから。投げるなら真っ直ぐでないと」


「でもでも……恥ずかしくって」


「ふふっ。ほんと、駄目駄目ね」


「今日は頑張って……直希さんに食べてもらいたくてって言おうとしたのに、先に直希さんが、みんなのおやつにって言って」


「そこで引き下がったのかい?『これはあなたの為に作ったんです』ぐらい言わないと」


「うう~っ……」


「それで?今日はお泊まり出来るのかい?」


「あ……うん。お母さんにも言ってきたから」


「じゃあ晩御飯、一緒に食べれるね」


「うん。あ、でも……いいのかな、急に言っても」


「大丈夫。今日は菜乃花が来るって言っておいたからね、ナオちゃんも準備してると思うよ」


「直希さん、そういう気配り、本当すごい」


「女心には無頓着だけどね」


「……私、やっぱり子供だって思われてるのかな」


「そうかもね。背丈も低いし、何よりその胸……ね……」


 その言葉に、菜乃花が胸を隠す。


「おばあちゃんまで、そんなこと言わないでよ……」


「ほんとにもう、誰に似たのかねえ。うちの家系はみんな、そこそこ背丈もあるし、胸だって」


「はぁ……やっはり私、魅力ないのかな……」


「とにかく晩御飯の時、頑張ってアピールするんだよ。でないと菜乃花、本当にナオちゃん、取られちゃうわよ」


「取られるって……つぐみさん?それとも明日香さん?」


「うふふふっ。後で分かるわよ」





「つぐみさん、ありがとうございましたです。こんなにいっぱいの買い物、付き合っていただいて」


「いいのよ、これぐらい。だってあなた、何も持ってきてなかったんでしょ。これでもまだ全然だけど、とりあえず急場はしのげると思うわ」


「でもその……お金まで」


「え?ああ、これは直希から預かっていたのよ。あおいに使ってくれって」


「え?そうなんですか」


「あなたの就職祝いらしいわ」


「そんなそんな。お給料から引いてもらわないと困りますです。私、直希さんにお世話になってばかりです」


「そうね。でも気にしなくていいわよ。あいつ、あれが通常運転なの。人の世話をするのが大好きなんだから」


「そうなんですか」


「特にお金に関しては、気にしたら負けよ。なんでか知らないけどあいつ、お金に執着がないんだから」


「人はお金で幸せになれない、そう言ってましたです」


「でしょ。でもね、それにしてもあいつの金銭感覚はおかしいのよ。私が監視してないと、いくらあってもあっと言う間に使っちゃうから」


「それって、浪費癖があるとか」


「自分のことには使わないわ。服だって食べる物だって、自分だけなら本当に適当なんだから。ギャンブルをする訳でもないし、趣味にお金を使ってるのも見たことない。そうじゃなくてね、人のことにばっかり使ってるのよ」


「それはちょっと、分かる気が」


「でしょ?あいつ、目の前でお金に困ってる人がいたら、全財産でもあげかねないんだから。あおいもちゃんと見張っておいてね。あいつが馬鹿な使い方をしないように」


「は、はいです。でもそれじゃあやっぱり、このお金もお返しした方が」


「絶対受け取らないから諦めて。それにこのお金は、あおいへのあいつの気持ちだから。受け取ってあげて」


「いいんですか」


「ええ。このお金を預かる時、あいつの気持ちは分かったから。だから私も許してあげたの」


「つぐみさん、直希さんのこと、本当によく分かってるんですね」


「長い付き合いだからね。あいつの考えてることぐらい分かるわよ」


「ふふっ」


「何?」


「ごめんなさいです。つぐみさん、本当に直希さんと仲がいいんですね」


「た、ただの腐れ縁なだけよ。それにあいつ、私がちゃんと見てないと、色々危なっかしいんだから」


「ふふっ……分かりましたです」


「な、何よ。本当にそれだけなんだから」

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