逃避行
独房の壁から砂が零れ落ちている。どこかしらきな臭い。そして床がドシンと揺れた。
「外が騒がしくなってきたな。気のせいか?」
リチャードはイミルワでシモーヌ・ザザを呼んだ。しかし、返事がない。
「シモーヌ! 聞こえてるか? 無事か?」
とうとう声に出して呼びかけた。廊下に人の気配はない。遠くで怒号が飛び交っている。どこかで何かが爆発した。
「畜生、こんなところで死んでたまるかよ!」
彼は力任せに手枷足枷を引きちぎろうとした。逆に指が千切れそうだ。
そうこうしているうちにビリビリと部屋が振動し、石柱が軋み始めた。壁に亀裂が広がっている。
「このまま、一巻の終わりかよ!」
いよいよリチャードは覚悟を決めた。どうせパッとしない人生だ。親の顔を知らないまま死んでいくなんて、自分は果報者かも知れない。訃報を受け取る者も、泣きぬれる親族もいないのだから。
人間は誕生も臨終もひとりぼっちだ。
「ごめんなさい。間に合った」
シモーヌ・ザザが脳裏に煌めいた。
「やっと自由になれる時が来ました。わたしはメドトロニックの森からさらわれ、兵器として転用されるために、グレイバスに連れてこられたのです。そして長い間、貴方を待ち続けました」
こんな時にまだ観念的な話をしているのか、とリチャードは立腹した。
「こんな時だからこそ、大切なお話をしているのです」
崩れていくグレイバス監獄の最高部。天空を仰ぎ見る監視塔の展望室からザザが話しかけている。
彼女の視野にリチャードの主観がすうっと吸収された。
「ここはどこだ。お前は何をしている?」
「脱出の時を待ちわびているのです」
シモーヌは恍惚に酔いしれていた。そして両手を広げて真夏の太陽をわが胸に迎え入れる。
「人間は——トホホギスの民は決して踏み入れてはならない領域を犯そうとしています。愚かでちっぽけで幼稚な感情に突き動かされて。だから、リチャード。貴方がそれを止めるべきなのです」
どすん、と電撃めいた痛覚が戻ってきた。
全面ガラス張りの小部屋にリチャードが投げ出されている。かたわらには一糸まとわぬ少女が立ちすくんでいた。
「ちょ、お前」
耐性のない戦士は思わず顔を背ける。
「あなたもでしょう。リチャード。わたしの身体を受け皿にしてここに来たのですから」
「おわっ」
男は慌てて両手で隠す。
「そ、それで、着替えぐらいしたらどうだ。物体を転移させる魔法が使えるのだろう」
「そうね」
燐光が二人にまとわりつくと看守の着衣らしき制服が身を包んだ。
「もうひと踏ん張りです。癒してのリチャード」
エルフ少女は初めて彼のフルネームを呼んだ。
「癒してって何だよ。俺は常々、その姓に不自然を感じているんだ。名付け親の顔が見たい」
「意識を移してもあなたの力が損なわれることはありません。最寄りの身体を早く見つけて、一緒に転移しましょう」
「それで、俺に何が出来るっていうんだ。何を、誰をいやせるっていうんだ」
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