メスト・エジル警部

「メスト・エジル警部。どうやら、本当に何も聞かされていないようです」

刑務官の一人が耳打ちした。エンプーサ金融を洗っていた担当者が手ぶらで帰ってきた。経営者のドン・エンプーサの取引相手はトホホギスの実業家やその有閑マダムをはじめ、庶民まで多岐にわたるが、法外な利子を取ったり、延滞者に苛烈な追求をすることもなく、いたってクリーンであった。

それどころか、返済に悩む困窮者に寄り添い、返済計画を立ててやり、就労支援まで行っていた。

「いざという時に頼りになる”まちの金融屋さん”か」

エジル警部は胡散臭そうに帳簿を放り投げた。すべてのページが血で洗ったように真っ赤に染まっている。チェック、チェック、二重三重のチェック。

部下たちが血眼になって瑕疵を探しまわった跡だ。

「だから、言ったでしょ。エンプーサさんは悪くないんです。ジョセフソン先生も!」

エテュセは声を張り上げた。痛烈な主張をじっと聞いていたエジルだったが、ふと片眉を吊り上げた。

何かひっかる部分を見つけたらしい。

「さっきから、お前。その先生というのはどういう意味だ。かりにも命を助けてもらった恩人だろう。育てられた義理もある。父でなく、先生とはどういう事だ」

メドトロニックの風習や文化に疎い人間なら当然のように違和感を覚えるだろう。

「父と呼ばない理由があります。いや、呼べないんです」

黒エルフ少女は部族にまつわる事情を語った。まず、絶滅危惧種であるエルフ族特有の社会構造、そして硬直化した保守高齢者層と森を出ようとする若者の階級闘争。

最後に彼女自身の因縁も付け加えた。

黒エルフは子供を大切にする。繫殖期は短命な人間の様に随時かつ季節を問わず出産するということはない。

早くて30年周期、平均で百年に一度、タイミングに恵まれるかどうか。優れた民間療法と伝承医学のおかげで新生児の死亡率は限りなくゼロに抑えられている。

そのため、子宝はメドトロニックの主要財産と見做され、両親が養育を放棄することはめったにない。あるとすれば、病気や災害による死だ。

「わたしは両親を信じています。神話のお姫様みたいにとっても可愛がってくれました。幼いころ、わたしがシャーマンでも退治できない病毒に侵された時など、長老と命を懸けた剣戟の末にようやく人間の町医者を呼ぶことが許されたんです」

「うおっ!」

エジルは不覚にも貰い泣きしてしまった。しかし、悟られぬよう目頭をぬぐい、表情をますます険しくした。

「それで、治ったんだな?」

「ええ、トホホギスでもっとも腕が立つお医者様だと聞きました。患者がエルフだと知って首を縦に振らない彼を頷かせるためにメドトロニックの財宝がかき集められたそうです」

「そこまでして娘を守るのか!」

警部は黒エルフの連帯意識を感慨深げに聞いた。

「ええ、きっと探しに来ると今でも思っています。だから、ジョセフソン・カルナックを父と呼べないんです」

コツ、と遠慮がちに扉がノックされた。

「入れ」とエジルは短く許可した。鎧甲冑に上半身を固め、太ももを晒した女が踏み入った。泥だらけの袋を背負っている。

どさりと音がして、投げ出された口からもぞもぞと男が這い出てきた。猿ぐつわをかまされ、両手両足を鎖で縛られている。

それを見た瞬間、エテュセの血相が変わった。

「パパ!」

「…じるな。こいつらの言う……ぐはあっ!」

満身創痍のエルフ男性は後頭部をこん棒で打ち据えられ、気絶した。

「メスト・エジル。いかがいたしましょうか」

女は肌も露な闘士ヴァルキュリアの所属だ。短い胴衣から臀部が見え隠れする。

「メドトロニックで捕らえたのなら容赦するな。問答無用だ」、とエテュセ。

「オプテックス街道の半ば。トホホギスに向かっていたところを誰何いたしまして、挙動不審でございましたゆえ。不審な黒エルフは生きたまま連行せよとのお達し」

彼女はエテュセの父を軽々と蹴り転がしたあと、深くお辞儀をした。

「これでもまだ、ドン・エンプーサとジョセフソン・カルナックを庇いつづけるか?」

エジル警部は追い詰めるように強調した。

「うそでしょ…そんな」

黒エルフは押し黙ってしまった。

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