③『無駄になるものは何一つない』
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もう三年になるか、私は家庭菜園をしている。
今年は
しかし、家庭菜園を始めた三年間の中で 今年は一番作物に世話をしていない。
本当に不思議だ……
もし、その理由があるとするならば 世話をする代わりに『
そうしたら豊作になった。本当に不思議だ……
苺も、大葉も、サニーレタスも、ジャガイモも、人参も、水菜も、大根も、既に余りあるほどの『実り』がある。
それからアボカドも大きくなった。
思い返せば家庭菜園を始めた一年目は、毎日毎日雑草を抜き、水をやり、買った肥料を与え、農作用の虫よけスプレーも撒いていた。
我ながら完璧なお世話をしていたと思う……まったくプロの農家さながらのお世話だった。
しかし、不思議なことに思っていた程の『実り』はなかった。それどころか根っこから腐ったものもあった。
その腐った作物を一年目の私はちゃんとゴミ箱に捨てた。
今の私は、その腐った作物でさえ価値があったんだと気づいている。そしてそのことが素晴らしいことなんだとも感じている。
そこには ずっと数え切れない『可能性』が あったのに気づけなかった。
つまりそれは頑張って100パーセントを、誰かの用意した尺度で測る100点を目指した一年ではうまくいかなかったが、
100パーセントや100点を取るのをやめて、自分に捨てる程あるものや、自分では、『ゴミ』と勝手に判断して処理していたものを、『大雑把に』、『適当に』、『邪魔だから』、『面倒だから』したことが、自分の想像を越えた『実り』に繋がり、今『成果』を私に与えてくれる。
ありがとう
と、気づけば私の中には言い尽せない程の言葉にできない。もはや誰に言えばいいのかも、何に思っているのかもわからない 敬意と感謝の念に溢れていた。
(いや、本当にそうで)
私が尊敬する偉人の言葉を拝借して言うなら、それは
「自分の中に在る、溢れる程、余る程、腐る程、売る程、飽きる程、飽きている程に在るもの、でしか他人の空白を埋めることはできない」
……ということなんだろう。
そしてこれは今回 家庭菜園から私の得た教訓をくどいくらいに説明すると、
「自分一人では頑張っても100パーセント100点しか取れない……が、100パーセント100点を頑張って取ろうとすることをやめて、『大雑把に』、『適当に』、『邪魔だから』、『面倒だから』という新しい試みにより 隙間を空け、そのままにしてみた。そんな
……ということだ。
さらに言うなら、それは100パーセント 100点を越えていくということだ。
それ以上に素晴らしいことがあるだろうか?
だから大丈夫、安心してほしい。と、私個人は想う。
きっといつかあなたが何かをしなくても、今は その力がなくても大丈夫、安心してほしい。
例え、その空白が 今は どんなに辛くても、痛くても、いつかは誰かが何かがその空白を埋めてくれるから、治るから、直してくれるから、大丈夫大丈夫、安心してほしい。
と、何度でも私は言いたい。
そして、いつか自分の中に溢れ出ている何かに気づけたのなら『それ』で、誰かの空白を埋めてあげてほしい。
自分以外の他者と100を越える、想像以上の実りと成果を出してほしい。
大丈夫。それはできるはず、だってそれはあなたの中に在る、溢れる程、余る程、腐る程、売る程、飽きる程、飽きている程に、もう既に在るものなんだから
この今 私の溢れ出る気持ちが、いつか誰かの空白を埋めることができれば それは本当に素敵なことだとおもう。
ありがとう、大事なことを学べました
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2021年5月20日 紡―Thumugi― 2023,5,30 改稿
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