②『私は定期的に献血をしている』


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 私が健康でいることが、誰かのためになり、また誰かを救うことになるのなら、それは素晴すばらしいことだと思っている。


 しかし、私の近親者きんしんしゃは 私が献血することに反対をする。私に「もっと自分の体を大切にしてほしい」と、言う。



 ………………



 ……やはり献血や血について、どう考えてもどう学んでみても、私にはどちらの主張も正しく思える。


 どちらも正しいはずの意見が食い違う。


『このような事柄ことがら』は、世の中にありふれている。『絶対の尺度しゃくど』など、私の短い人生の中では確かに 見たことはない。


 つまり正解はない。


 しかし、それをネガティブにとらえる必要は 一切ないと私は考えている。


 私の体を大切にすることと、血を提供する社会にとって良いことは、一見いっけん相反しているように見えるが、実は相反そうはんしていない。


 左手と右手は同じ『手』という名だが、違う存在だ。


「私は片手だけあればいいです!」


 とは、少なくとも私は思わない……(冗談だが)


 緊急時などは つい利き手を先に使ってしまうが、それを補佐してくれるのは いつも利き手とは逆の手だ。


『この事実』は、今の世の中の様々な事柄に当てはまると私は思います(私はその事を習っていた武道から学んだ気がします)。


 ……話を戻して、


 献血についてのメリットデメリット、質の悪い情報良い情報、議論、論文、症例、思いやりの感情も 本当に沢山たくさんある。


 私は 今回の『定期的に献血をしている』ことをきっかけに、近親者からの私への心配りに触れられたこと、様々な知識を得られたこと、またそれを『体験経験』できたこと、それこそが財産になると思っているので、本当にありがたいことだと感じている。


 結論として、私が献血を続けるか続けないか……はたまた『違う形』『新たな形』で、社会に貢献こうけんするか否かは、えて ここでは触れないし書かない。


 なぜなら私自身の出した『答えと行動』は、あくまで『私自身』のものだからです。


 このエッセイを読んだ人は何を思い、どんなことを考え、どんな行動をするのかは興味はありますが、知る必要はないとない事柄だと思うのです。


 しかし、いつかそういう話しもしてみたいものです。


 それではここまで読んでくれた方、ありがとうございました。



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 2021.5.19 紡ーThumugiー(2023,5,7改稿)


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