後編

◇ ◇ ◇


「おっと、これは失敬」

部屋違いをわびてドアを閉めようとしたところスケルトンに呼び止められた。

「お前か…遠路はるばる煉獄から来たんだ。ゆっくりしていけ」

「パエージャン?」

私は目を疑った。朽ち木のように瘦せ衰えた男が蝋燭の灯りに照らされている。揺らめく影は弱弱しく邪気の欠片も感じられない。

「来てくれると信じてたよ」

悪魔はガサガサした手で握り返してくれた。


気つけ酒と新鮮な処女の生肝二つまみでパエージャンは話せる程度に回復した。ベッドサイドにはくたびれたマントが干してある。こんな身体で狩りに行こうというのか。

「…ここが正念場なんだ。大統領選が決まれば年明けにも最終戦争が始まる。娑婆はおしまいだ。序盤の奇襲で睡眠中の市民が巻き添えを食らう。死んだ自覚すらない者は扱いやすい」

「スタートダッシュを狙うのか。その身体で」

パエージャンの貪欲にはほとほと呆れる。

そこで私はもっと楽な選択肢――太い釣り針ともいう――をぶらさげた。


◇ ◇ ◇


ドクロマークを小さくあしらったピンク色のスマートフォンとシルバーグレイの二つ折り携帯。それに人間の肉眼では見る事の出来ない悪鬼が憑いている。

マホガニーのテーブルにずらりと並んだ端末をジト目の悪魔が観察している。

「いまどき転生のカスタマイズをオーダーする奴はおらんだろう。三つの願いと魂を等価交換する契約もだ」


ずばり悪魔をとりまく経済状況に斬りこむとパエージャンは奥歯を鳴らした。

「いわれなくても骨身にこたえる。閻魔庁は夜討ち朝駆けで進捗確認しやがる」

そこで私はブツの説明にとりかかった。


事の発端は閻魔庁が進めているデジタル化だ。血判の廃止に始まって羊皮紙のペーパーレスに魔方陣の簡素化ありとあらゆる旧態依然に人間界の技術革新が挑んでいる。

なかでも死者と魑魅魍魎の契約は効率化が急務とされている。さもなくば人類滅亡の副産物である亡者が冥府業務を破綻させる。


「これが鬼ペイだ!」

聞いた途端に悪魔は卒倒した。


鬼ペイは人間の魂と悪運を小刻みに交換する。各人が持つ残高は霊魂市場の変動相場で査定され個人の野望に応じた悪徳が提示される。

使い方はラクチンだ。鬼ペイに対応した専用携帯に念じるだけでいい。一日の限度額はあるが女が欲しいだの重役出勤をしたいだの滞納金を決済したいだのブラック雇用主に復讐したいだの凡人が夢見るありきたりな欲望は満足できる。


「だがなあ…」


パエージャンは二の足を踏んでいる。

私は脅し文句を繰り出した。


「チャンスを逃したら後悔するぞ。開戦直後は助かりたい一心で人間どもの利用が殺到する。平和なうちに利益を先食いするんだ」

「本当だというのなら俺をノルマ地獄から解放してくれ」

半信半疑とすがる思いがパエージャンの手に複雑怪奇なダンスを踊らせた。やがて彼の手中で携帯が鳴った。

「鬼ペイ♪!」


◇ ◇ ◇


数日後。見違えるほど漂白されたパエージャンが魔方陣に現れた。

「すげー鬼ペイすげえ!マジで神アプリだろコレ」

小躍してみせるパエージャンは見るからに影が薄くなっている。体重も軽くなったようだ。

彼が言うにはまず目に見えて督促が減った。そして体調も取り戻し人間どもを鴨にしている。

すっかり鬼ペイの虜になったようだ。


私はセールス効果を確認すべくガルグレーを偵察にやった。

使い魔と視覚を共有すると鬼ペイのおそるべき成果を目の当たりにした。


コロナ禍で莫大な借金を抱えたまま暖簾を降ろす店主がいる。

「鬼ペイ♪」

たちまち待ち行列が最寄り駅までのびる。


内定を取り消されたり奨学金の返済に悩む学生がビルの屋上にいる。

「鬼ペイ♪」

政府が莫大な支援金を給付する。


重症患者で溢れる隔離病棟。酸素ボンベがいきわたらない。

「鬼ペイ♪」


……。殺伐とした社会が晴天のごとく澄み渡った。


◇ ◇ ◇


「おい…世の中ピンピンしてるじゃねーかよ? いつ滅亡するんだよ? あーん??」


パエージャンはうすうす感づいたらしく私を問い詰めた。


だから、本当のことを明かしてやったのだ。


「実は神様から持続可能性担保給付金というモノを”幸運”というカタチで現物支給されていてな」

「ファッ?」

「鬼ペイ専用携帯ってな。ありゃウソだ」

「はぁあああああああ?!」


理解に苦しみつつ七転八倒するパエージャン。

そこへ爆弾発言を投下してやった。


「実は私、死神を辞めるってばよ」

ギャガギャガ人の外套を脱ぎ捨て純白の翼を秋空にひろげる。

頭上にサークライン蛍光灯が点いた。


「この野郎! 裏切るのか?」


ずいぶんと失礼な奴だな。恩を仇で返すにもほどがある。私は最初から君の救世主だったんだよ。


もうじき天にまします我らの父が地上をきれいさっぱり掃除する。その前に純粋無垢な魂を一つ残らず天に召し上げる。

我々の勝ちだ。


パエージャン。君はいい奴だったが悪魔としては人が良すぎたのだよ。

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「パエージャン、悪魔やめるってよ」~死神の仕事に疑問を持ち、自分の手で魂を救うために戦う元冥府のエージェントが、悪魔に立ち向かう! 水原麻以 @maimizuhara

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