四次元論法
「お言葉ですが、博士…」
山門は肩を震わせながらも振り向こうとはしなかった。机上には付箋紙だらけの指南書や構想らしきメモや煙草の吸殻が散乱している。それらを事務的な動作で黙々と片づけていく。力尽きた男は背中で語っている。心遣いだけでじゅうぶんだ。早く立ち去ってくれ。本人にしてみれば育とうとしている不信感を力づくで抑え込んでいる。文芸とは全く畑違いの科学者に何ができるというのか。
「小説は肉筆に限るという縛りはないのじゃ」
松戸菜園は山門の半信半疑を見透かしていた。言うまでもなく原稿用紙の升をペンで埋める時代はワープロの登場で終わった。打鍵する行為を執筆というのであれば創作活動全体に「テセウスの船」の概念が応用できるのではないか。
「それってあの有名なパラドックスですか。新陳代謝してすっかり細胞が入れ替わってしまった人間は本人といえるのかどうか」
山門は首をかしげる勢いで向き直った。
「古びたアルゴー船のパーツを逐次更新した場合に当該船体は個性を継続しているのか、新規部品の集合体が先代を詐称しているのかという命題じゃな」
「そうです。博士の事です。どうせロボットに書かせようというんでしょ」
図星を指されて松戸菜園はうなづいた。そしてびっくりする論法をくりだした。山門愛用のくたびれたタワーパソコンをみやる。
「四次元論法という最新思考だ。君のPCは研究所のスペースを占有すると同時に施設の歴史年表にも横たわっているのだ。ケースは十年ものだな」
汚れを指摘されて山門は照れた。
要するに構成の新陳代謝があろうがなかろうが履歴そのものを否定する理由はない。テセウスの船は建造された時から未来永劫テセウスの船でありつづけるのだ。
「その論法を用いれば執筆工程を完全機械化しても誹りは免れますね!」
「そういうことじゃ!」
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