書かれる小説

それにしても丸っきり文系とは無縁の狂科学者(マッドサイエンティスト)に勝算はあるのか。山門は埃だらけのマザーボードやケーブルの類をどうにか束ねて松戸菜園のためにプリント紙化粧繊維板とスチールプレートで簡易デスクチェアーを工作した。博士はさっそくA4ノートを広げて数式を書き綴る。

「アイデアの泉でも掘り当てたんですか? きっとそうですよね」

カモミールの茶葉を濾して縛らく蒸らす間に山門はもう一組のチェアを用意した。「そんな鉱脈があったら誰も苦労はせん。というか在りもしない幻だよキミ」

博士はきっぱりと否定した。その代わりにじゃんけんの依存関係を図式化した。グー・チョキ・パーのアイコンを正三角形の各頂点に配置する。

「三すくみで小説が書けるんですか?」

「書ける。魔王・勇者・美女でもいいぞ。それぞれに依存関係があろうが。これを状態空間というのだが」

「は、はぁ」

山門は判ったような判ったような生返事をした。ちょうどいいころ合いだ。ポットを陶磁器にそそぐ。金の縁取りがあり博士の収入と趣味が伺える。

「ジャーマンかね」

「いいえ。ローマンカモミールです」

いかにもなハーブっぽいツンとした香りが際立つ。口に含むとほんのりと苦い。

「フランス産のダブルフラワーか。知恵(エスプリ)の国。地上のリンゴとはカモミールの語源だ。そしてアイザック・ニュートンは英国人。実に君らしい」

ふっ、と山門はふきだした。「お褒めの言葉、光栄です」

「この様に同じカモミール・ティーでも産地によって取りうる値が変わるのだ。これを推移確率という」

博士は三すくみの図に1以下の小数を書き加えていく。

「状態空間、ええっとつまり元ネタと推移確率…バリエーションは確率で定義できるというのでしょうか」

「そうじゃ。テンプレという様式を踏んだ作品が受けておろう」

「確かにどれもこれもが似通ってます。しかし状態空間と推移確率のみで小説は書けません。両者の相関関係から文章らしきものは生成できるでしょうが」

理数系の限界を山門は感じとった。しょせんは松戸博士である。近隣住民を連日連夜の実験事故で逆上させることは出来るだろうが受け手に感銘を与えることは出来ない。

ところが山門の懸念を先読みして彼はできるというのだ。

「その前にこれを君のパソコンで実行してくれ」

いつの間に仕上げたのだろう。山門はプログラムのURLが入ったQRコードを渡された。席に戻ってノートPCのWEBカメラに読み込ませる。するとOSが再起動してメールソフトやブラウザが目まぐるしく動作した。

やがて小説投稿サイトのログイン画面が開く。IDとパスワードが勝手に入力され編集画面に文字列があふれ出た。

「コンピュータウイルスじゃないですか!博士」

「しっ…黙ってみておれ」

山門名義のアカウントが次から次へと新作を投稿していく。

主語と述語がやたら長い題名とあらすじ。そして本編があっという間に埋まる。新着は山門の作品だらけになった。

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