18歳
『18歳』
美玖は、もう中学一年生だ。
夏期講習の帰り道、俊介と二人で夕暮れの道を歩いていた。夏も終わりに差し掛かっているはずなのに、晩夏の残光は勉強ばかりしている高校生に容赦ない。二人でコンビニに立ち寄り、アイスキャンディーを咥えていた。あっと言う間にアイスは木の棒に変わり、名残惜しそうにペロペロと舐め続ける俊介を見ながら、僕も木の棒をガリガリと齧っていた。
「なぁ、お前大学行かないって本当か?」
突然、俊介が聞いてきた。
「ん? ああ、行ってもあんまり意味無いしな。だったら、少しでも金稼いでいた方がいいかなって」
「お前んちって、別にそんな貧しいって感じはしなかったけど……」
「いや、そう言う訳じゃないんだけど、もう決めた事なんだ」
「じゃあ、何で夏期講習なんか通ってんだよ?」
「ちょっとでも成績いい方が有利なんじゃないかと思ってな。特にやりたい仕事がある訳でもないし、何でもいいんだよ」
蝉の声が、夕陽と共に背中に差す。昨晩も親とその事をずっと話していた。親の期待に沿えないのは心苦しいが、自分の残り時間がわかっているのに、負担をかけたくも無い。蝉の声でさえも、自分を責めているかのように感じるから不思議だ。
「俺は、お前が大学行ったって行かなくったって、ずっと友達だからな」
俊介が、いきなり変な事を言う。
「何だよ、いきなり……」
そのまま口に出す。
「いや、何か、わかんねぇんだけど……、お前が、何か、ちょっと寂しそうに見えたんだよ」
「……へ?」
「いや、変な感じがしたらごめんな……。なんつーのか、わかんねぇんだけど、俺は、ずっとお前の友達だからな」
笑おうとも思ったが、俊介は、笑い飛ばすにはあまりに真剣だった。その熱さが羨ましくもあり、心地よくもあった。そして、その言葉は意外にも、僕の今の気持ちの真芯を打ち抜いていた。
「……サンキュ」
それだけ返してやると、俊介は僕の頭に掴みかかってきた。
「こいつめ~、心配してやってるんだぞ~」
頭を絞め付ける圧迫感が、何故だか心地いい。抵抗しながらも、こんな時間がずっと続けばいいと思う。でもそれは、贅沢な願い。限りが知れている自分だからこそ、この何気ない時間を永久にと願う、矛盾した贅沢な願い。
「お兄ちゃん」
その時、後ろから声を掛けられた。僕が絞められたままでいると、俊介が振り返って、おお、美玖ちゃんと声を掛ける。
「俊介さん、こんばんは」
僕の頭はそこで解放される。振り向くと、確かに美玖だった。
「美玖、部活の帰りか?」
「うん、今日も楽しかったよ~」
美玖は中学に入ってから、すぐに合唱部に入った。小さい頃から歌が好きだった美玖にしては、なかなか賢い選択だったのではないかと言える。秋にコンクールがあるらしく、夏休み中にも関わらず毎日学校に通っている。
「んじゃ、涼、俺はここで」
「おう、じゃあな」
俊介はそう言うと、夕陽の向こうに消えていった。
「あ、お兄ちゃん買い食いしてる。いけないんだぁ」
アイスの棒を笑顔で睨みながら美玖が言う。
「いいだろ? 夏休み中なんだから」
「夏休みでも、制服着てるんだよ?」
「あれだろ、お前も食いたいんだろ?」
「あ、話が早いね。私チョコレートがいい」
言うが早いか、美玖は素早くコンビニを見つけると、そのままさっさと中に入ってしまった。
「部活、楽しいか?」
「うん、楽しいよ」
言いながら、美玖はクスクスと笑い出した。
「何?」
「何かお兄ちゃん、お父さんみたいな事言ってるから」
「そうか?」
「そうだよ」
明るく笑う妹を見ながら、ふと、嬉しさが込み上げてきた。
小学生の頃から伸ばしてる髪は、もう肩よりも背中に近い。中学生の幼さを残しつつも、ピッと制服を着こなしている。ふいに、その頭をクシクシと撫でてやる。
「や、髪乱れるよ。どうしたの、お兄ちゃん?」
「いや、大きくなったなって、思って」
遊んで遊んでってせがんで来たり、一緒に寝ようと言っていた小さな美玖が、何だか、すっかり大人っぽくなっていた。
「どうしたの急に?」
「いや……」
『女の子はね、みんなレディーなんだから』
美玖の寝顔と、ククの言葉を同時に思い出した。
――レディー……か。
「美玖、お前彼氏とかいるのか?」
「やだ、ちょっと、何よ、お兄ちゃん。いないよ、そんなの……」
赤くなる妹を見ながら、彼氏はいなくても、好きな男くらいはいるのだろうと邪推する。
沈んでいく夕陽は、昨日と何も変わらない。でも、隣に居る妹は、こんなにも変わっていた。
部屋に戻ると、僕のベッドでククが寝ていた。正確には、僕のベッドの上で、寝ているのだろう。起こさないようにそっと制服を脱ぎ、部屋着に着替える。
ベッドに腰掛け、ククを見る。ククは、初めて出会った時から、何も変わらない。でも、僕にはわからないだけで、もしかしたらククも、少しずつ変化しているのかもしれない。僕が鈍いから、それに気づけないだけなのかもしれない。
ククの頭にそっと手を触れる。触れられる筈が無いと解っていても、温もりが伝わる気がする。頭のある部分を、優しく撫でてやる。すると、ククの表情が自然と綻ぶから、不思議だ。そのまま手を押し込めば、勿論すり抜けるんだろう。でも、僕はそんな事をしない。もうそれは、ずっとずっと昔に何度も何度もしてきた行為で、そんな事をしてもククが喜ばない事を知っているから。そして、頭に、手に、顔に、ククに触れようとするだけで、ククが喜ぶのを知っているから。
「ククさん」
優しく、声をかけてやる。
「今夜は私と、踊って戴けませんでしょうか?」
ククが今夜中に目を覚ましたら、もう一度言ってやろう。そして、久しぶりに一緒に踊ってもらおう。
心だけで触れ合うダンスを、僕の方から求める事になるとは、あの頃の僕には想像もつかなかっただろう。
「レディーをダンスに誘えるのが、大人なんだもんな」
ククの寝顔は、相変わらず安心しきったままだった。
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