汝はアハブに向かえ。そこで私は雨を降らせよう
■ 聖ラプラス女子学院体育館
「汝はアハブに向かえ。そこで私は雨を降らせよう」
その日、予言者エリアはアハブの地に立った。神命によりて祭壇を設えてバアル教徒の対決に臨んだ。
双方の神が予言者たちの呼び掛けに応え、天から生贄に火を降ろせば主の勝ちとなる。エリアはうろたえるイスラエル民に訴えた。「お前たちはいつまでコウモリのようによろめいているのか。もし、主が神であればそれに従い、バアルが神であればそちらに従え」
まず、バアルの司祭が懸命に神の名を呼び、体を傷つけさえしたが、何も起こらなかった。
次に、エリアが御名を呼んだ。すると主の火が降ってきて全焼の生贄と薪と石と塵を焼き尽くし、溝の水もなめ尽した。
三島玲奈は残存兵力を体育館にかき集めて、列王記を引用した。そして、女生徒一人一人に量子アサルトを渡す。
「『主だ。主こそ神だ』 イスラエル人はバアルの預言者たちを捕え、皆殺しにしたんだ。こうしてエリアは異教徒を退け、祖国の栄光を取り戻し……」
そこで言葉を区切り、軒先にしたたるツララを見やった。雪解け水がざあざあと流れ落ちていく。
「雨が降ってきた……」
玲奈は符丁のようにつぶやいた。
■ 体育館シャワー室
だだっ広い浴場には両壁に二本のパイプが通され、等間隔に穴が開いている。しゅうしゅうと湯気が立ち込めるなか、四十人ちかい少女が泡を洗い流している。全員がくるぶしまで水に浸かっている。排水溝には長い髪が馬の尾のようになびいている。
一人の女学生がバッサリと切り落とした黒髪を肩から払いのけると、かぶりを振った。細かい毛くずがシャボンと一緒に飛び散る。
天井から温風が吹き下ろす。少女たちは青々と剃り上げた頭をつるりと撫でて脱衣所へ向かった。
そこでは生徒会長熊谷真帆が注射器を携えて待ち構えていた。同級生たちと同じように髪を剃り落とし、全裸で直立している。
裸の女たちは自分のうなじに針をさしてコロンと横になった。バタバタと崩れるように倒れていく。最後に真帆がワクチンを頸静脈に突き刺した。
「雨が降ってきました……」
そう言い残して息絶える。
《よろしい。恵みを授けよう》
天の声が少女たちに福音を与えた。積み重なった裸体がもぞもぞと蠢く。剥きたての卵そっくりな頭部が輪郭を崩し始めた。にょっきりと角のように耳が尖る。背中の部分に肉塊がもりあがって、純白の羽根が育っていく。
《目には目を歯には歯を背教者には背教者を。神に見捨てられし醜悪は、その似姿に滅ぼされよ。敗北感を味わうがいい》
雷に撃たれたように熊谷真帆が飛び起きた。目を爛々と輝かせ御名を呼ぶ。
《背教者に福音を分け与えよ》
聖ラプラスが命じると四十二名のメイドサーバントが一斉に羽ばたいた。
■ 女学院上空
航空戦艦マルヴィーネ・フッサーリアは予期せぬ歓迎を受けた。
「正面に微細な重力波探知。その数、四十余。敵味方識別符号を発しています」
「何ですって?」
マルヴィーネは照合結果に驚きを隠せない。
「メイドサーバント。航空戦艦アストラル・グレイス号とサンダーソニア号の生体端末を含む四十二体が味方です。
サブシステムが艦の武装を独断と偏見で封鎖した。言う通り味方であればいいが。
願いもむなしく天使たちは術式を撃ってきた。マルヴィーネ号は防呪結界を展開。バリバリと魔力をはじき返す。
「対天使戦闘は想定済みよ。ここに住む計画だったもの」
女は対天使近接防空システムを発動した。12・7ミリ量子機銃に観測弾頭が装填される。戦闘純文学の見当識を狂わすマッハ原理が封入されている。
「この!」
三島玲奈がフッサーリア号のメインマストを狙い撃つ。無反動式量子グスタフが至近距離で炸裂。リーマンアレイ量子レーダーに大穴を開ける。
「やりぃ……って、何だよ? これ」
対空機銃がマスト付近のメイドサーバントを掃射する。玲奈は荒々しく羽ばたいて射線を逃れた。出遅れた何名かが血の塊と化す。
「じゃまはしないでちょうだい。わたしは会いたい人がいるの」
事を荒立てたくないマルヴィーネはやんわりとけん制した。天使たちは引き下がる兆候はない。
「貴女たちは女の子でしょう。わたしも女だから同性同士殺し合いたくないの。他の女子たちを救うためにお話を聞いてちょうだい!」
「「「「「うるせぇ。ババア!」」」」」
極太の光線がフッサーリアを直撃した。すさまじい爆炎と煙が航空戦艦を包む。
「沈めた!」
玲奈がガッツポーズを決めようとして真帆に阻まれた。
「よくあるパターンよ。こういうときは大抵ぬか喜びに終わる」
予言通り、硝煙が晴れると無傷の航空戦艦があらわれた。
「ききわけのない子には純粋マッハ主義ですょ!」
マルヴィーネは堪忍袋の緒が切れた。戦闘純文学でもない、特権者攻撃でもない、財団が編み出したとっておきの秘術を繰り出す。
「【ジャンケンのパラドックス】」
航空戦艦の尾翼が禍々しくかがやき、電光石火の術式がメイドサーバントの群れに向かう。とつぜんの奇襲に防御が間に合わない。
「公平な権威の正当性をジャンケンは平等に破壊する!」
グー・チョキ・パーの指をかたどった魔導のスクリプトが天使たちを捕縛する。ハサミが翼を切り取り、カミが天使を挟撃し、張り倒し、叩き潰し、行く手を阻む。そこへ拳が追い打ちをかけ、猛打撃する。
あわれ白翼の群れは五つ、六つとひとかたまりに撃墜されていく。しかし、なすすべもなく虐殺される天使ではない。
やがて、ジャンケンの行動パターンを理解して陽動できるようになった。
「読まれたわ。でも、徒党を組めば組むほど包囲網がおろそかになるってものよ」
マルヴィーネはマッハ原理エネルギーを収束させて、グループを纏めて焼尽した。最後にダメ押しとばかりに全宇宙の力場を局所的な薄膜して隠れ蓑を造る。メインスラスターに点火。希薄になった敵陣を強行突破した。
「小癪な! ゲーデルの不完全性定理パラドックスで対抗してやんよ!! RPS!!!」
玲奈はジャンケンのルールを拡張してマッハ原理を打ち破った。ジャンケンの勝敗は石紙ハサミの三要素に限定されない。欧米ではRPSと呼ばれ、最大で百近い勝ち方を設定している。ゲーデルの不完全性定理は無限に拡張可能な理論に正解は無い、という原理だ。
「追うよ。真帆」
「ちょっとまってよ!」
真帆がパラドックスのくびきから脱した時、フッサーリア号は遥か雲の向こうに染みついていた。
■
朽ちかけた木造校舎の片隅にその教室はあった。窓ガラスは割れ、机と椅子が乱立し、黒板は色あせている。黄ばんだ掲示物は何世紀も前の日付が記されている。校庭の樹々はみずみずしく、鳥たちの歌も歳月を感じさせない。ただ、ボロボロになったカーテンがときおり風に乗って「その」存在をほのめかしていた。
マルヴィーネはセーラー服のスカーフをまっすぐに直すと、深呼吸をして教室に入っていった。どこからか始業のチャイムが聞こえてくる。
六百五十年前。グスタフ・アルブレヒト記念財団私設実験航空宇宙軍基地の付属高等舎に編入してきた日を思い出す。あの時も一人ぼっちだった。静まり返った教室の前で躊躇する。
自己紹介しなければならないが、言うべき内容は多くない。自分がどこの生まれで、どういう経緯をたどり、どのような将来を望んで
いるのか、ほとんど知らなかった。いや、知らされていないというのが本当のところだ。
半日前にクローン培養槽でめざめた。刷り込まれた記憶には自分の名前と所属、あとは学校生活を送るにあたって必要最低限の一般知識しかなかった。
グスタフ・アルブレヒト記念財団は触法すれすれに入手したメイドサーバントと航空戦艦で密かなリベンジを計画していた。惑星カトブレパス植民はここまで地球脱出教団の力添えで紆余曲折を経て進めてきた。
支援者の期待に応えるべく先住精神生命体の駆除作戦が立案された。特権者の世界、人類圏、どちらに与しても地球脱出論者に対する弾圧が待ち受けている以上、自力で安住地を開拓せねばならない。
確率変動を強い人間原理で捻じ曲げる二大魔導勢力にどう拮抗するか。困難な課題を狂科学者たちは果敢に取り組んだ。
「いらっしゃるんでしょう?」
ソプラノの声が廊下に響く。意を決して黒板の前に立つ。ちびたチョークでガツガツと自分の名前を書き綴る。
マルヴィーネは現象学者フッサールの妻として生きた。自分はその(何代目かの)クローンである。ここにいる理由は財団の、ひいては地球棄民の総意である。
「1938年4月13日14時30分。あなたは人類に宿題を出しました」
彼女は病床で耳にした遺言を暗誦する。
「私の生と死が私の哲学者としての最後の努力となった。私は哲学者として生き、哲学者として死のうと試みる」
春告げ鳥のさえずりが遠ざかっていく。コトコトと機械的な音が聞こえてくる。
「あなたはこうも仰いました。『わたしは全く素晴らしいものを見た。いや、お前には言えない、いや』」
終戦直前、アメリカ軍は文学者カミュを議長としてアインシュタインをはじめとする錚々たるメンツで賢人会議を結成した。古今東西の偉人が三途の川縁でアイデアを出し合って様々な超兵器が開発された。メンバーには科学者だけでなく哲学者や法律家、宗教家など幅広い分野から抜擢された。
「どうしてですか?」
マルヴィーネが執拗に問いかける。
招集者の中にフッサールはいなかった。軍当局は特殊部隊まで繰り出して地獄の獄卒たちから情報をかき集めたが死後の消息はまるっきりつかめなかった。彼の魂は幽子情報系に分解してどこかの新生児として生まれ変わったと考えられた。捜索は打ち切られ、当局はフッサールを完全に「死亡」したと認定した。
「現象学的な思考は幽霊を殺すことだ、とあなたはおっしゃいましたね。わたしに隠さなければいけない事実とは何です?」
カランとプラスチック製のコップが落ちてきた。マルヴィーネは拾い上げて勉強机に置いた。
「先入観を徹底的に排除して、五感や直感に表われたものに対して、内在としての絶対性を認める点にある。コップはコップ。机は机として『ここ』に在ること。【『ここ』にある】と感じられることに意味を見出すのでしたわね?」
マルヴィーネが触れようとした瞬間、コップが風に吹かれた。コロコロと床を転がっていく。
ぐしゃりと踏み潰されたように砕けた。
「わたしを不安がらせようと……試しているのですね? 現象学は恐怖、困惑、感情さえも、その本質ではなく、現象に意味を見出すのですよね? 確率変動攻撃は――強い人間原理は――心のゆらぎに過ぎないと……」
プラスチック片が寄り集まって英単語をかたどった。
”GOD”
「これが答えですか!? あなたのたどりついた正解は、哲学者として導いた真実はそれですか? やはり、あなたはここにいらしたのですか?」
夫人のクローンは欠片をつまみ上げてみた。ビリっと電撃が走る。
人の気配を感じて振り返ると、オーランティアカの姉妹が座っていた。
「人間は感覚器官によって得られた外部情報を脳が整理し、意識においてほぼ正確な世界の像を再構成している、と思い込んでいる。そういう独善をノイズとして排除することで真実を把握できる。神はそれをエポケーと名付けたのさ」
「貴女たち、ここにいたの?」
マルヴィーネが玲奈の量子ライフルを払いのける。
「目に見れえ形の裏側には神様がお住まいなのさ。コップの構成粒子は誰がお造りになった? 創造主だよ」、と玲奈。
「フッサール――聖ラプラス先生は幽霊を否定して神と邂逅したのよ。だから惑星プリリム・モビーレに行かなかった」
真帆が衝撃の真実を激白する。
「そんな曲解から貴女たちを救いに来たのよ!」
マルヴィーネはスカートをめくりあげてマッハ原理小銃を構えた。
■理科準備室
バリバリと試験管が砕け散る。石造りの流し台にふわりとスカートが覆いかぶさる。運動靴が蛇口を蹴る。ちらりと見えるブルマ。
「罰当たりはあっちよ」
玲奈の指摘を受けて真帆が隣の教室に駆け込む。
「わたしは上の階を封じる。そっちから追い込んで」
バサバサと姉が窓辺へはばたく。
マルヴィーネは標本棚の陰で息を殺している。耳を澄まして敵の出方を伺おうとた瞬間、マリリンの悲鳴が聞こえた。ここからではどうすることもできない。
「どうか持ちこたえてください」
この惑星に狂信者がふたたび蘇生することができないように掃討作戦に専念せねばならない。精一杯の激励を贈った。
ぐずぐすしてはいられない。彼女は必殺兵器で姉妹を駆除する覚悟を決めた。拉致被害者を生きて連れ帰ることは夢物語だ。劣化したフッサールは中性子星から来た縮退物質に憑依されるか吸収されるかして暗黒面に落ちていた。
気の毒だが彼に侵された魂はどんなに浄化しても禍根を残すだろう。人類圏内にふたたび放つわけにはいかない。マッハ原理を用いれば別だが、確証はない。評価試験すら済んでないのだ。
「そこか!」
玲奈の量子弾が棚を打ち砕いた。マルヴィーネはホルマリン標本を蹴り倒す。得体の知れぬ肉塊が爆散する。その隙に特殊弾をリロード。無神論科学の粋を凝縮した凶弾だ。
「聖ラプラスだか何だか知らないけど人類圏に仇なす邪神を信じるの? 他にも神様はいるでしょう?」
マッハ原理照準スコープが人間原理の歪みを追う。一歩先を狙って発砲。椅子が吹き飛び、反撃が来る。
「創造主は無二だ。格が違うさ」、と玲奈の声。
「ちいっ!」
舌打ちして二発目を込める。
棚が左右にスライドして真帆が撃ってきた。マルヴィーネは転がりながら連射。
「原子物理学の標準模型に神は含まれてないわ!」
ガシャンと頭蓋骨が降ってきた。またもやマッハ弾がはじかれる。
「魔熱電球の中に発明者は住んでないよ。でも特許は否定されない」と真帆
マルヴィーネは残弾を確認し、選りすぐった。
「あなたたちの神は現象学に反するものよ。非科学的だわ」
エネルギー反射弾を投射。オーランティアカ姉妹の屁理屈はすべてブーメランになるはずだ。
ひょいと玲奈が飛び越える。
「あんたらには科学の『逃げ』を取り繕う神がいるだろうけどさ。うちらの創造主は絶対真理なのさ」
「――!」
死角から銃弾が間断なく飛んでくる。
「神の存在は証明不可能」
マルヴィーネは分解消滅弾を斉射、敵弾の抹消をはかる。
「不在の証明をしてから言えよ」
玲奈の強弁と弾丸が透過してくる。
マルヴィーネは標本棚の陰で息を殺している。耳を澄まして敵の出方を伺おうとた瞬間、マリリンの悲鳴が聞こえた。ここからではどうすることもできない。
「どうか持ちこたえてください」
この惑星に狂信者がふたたび蘇生することができないように掃討作戦に専念せねばならない。精一杯の激励を贈った。
ぐずぐすしてはいられない。彼女は必殺兵器で姉妹を駆除する覚悟を決めた。拉致被害者を生きて連れ帰ることは夢物語だ。劣化したフッサールは中性子星から来た縮退物質に憑依されるか吸収されるかして暗黒面に落ちていた。
気の毒だが彼に侵された魂はどんなに浄化しても禍根を残すだろう。人類圏内にふたたび放つわけにはいかない。マッハ原理を用いれば別だが、確証はない。評価試験すら済んでないのだ。
「そこか!」
玲奈の量子弾が棚を打ち砕いた。マルヴィーネはホルマリン標本を蹴り倒す。得体の知れぬ肉塊が爆散する。その隙に特殊弾をリロード。無神論科学の粋を凝縮した凶弾だ。
「聖ラプラスだか何だか知らないけど人類圏に仇なす邪神を信じるの? 他にも神様はいるでしょう?」
マッハ原理照準スコープが人間原理の歪みを追う。一歩先を狙って発砲。椅子が吹き飛び、反撃が来る。
「創造主は無二だ。格が違うさ」、と玲奈の声。
「ちいっ!」
舌打ちして二発目を込める。
棚が左右にスライドして真帆が撃ってきた。マルヴィーネは転がりながら連射。
「原子物理学の標準模型に神は含まれてないわ!」
ガシャンと頭蓋骨が降ってきた。またもやマッハ弾がはじかれる。
「魔熱電球の中に発明者は住んでないよ。でも特許は否定されない」と真帆
マルヴィーネは残弾を確認し、選りすぐった。
「あなたたちの神は現象学に反するものよ。非科学的だわ」
エネルギー反射弾を投射。オーランティアカ姉妹の屁理屈はすべてブーメランになるはずだ。
ひょいと玲奈が飛び越える。
「あんたらには科学の『逃げ』を取り繕う神がいるだろうけどさ。うちらの創造主は絶対真理なのさ」
「――!」
死角から銃弾が間断なく飛んでくる。
「神の存在は証明不可能」
マルヴィーネは分解消滅弾を斉射、敵弾の抹消をはかる。
「不在の証明をしてから言えよ」
玲奈の強弁と弾丸が透過してくる。
「しぶとい子ね。根拠もないのに信じるなんて!」
マッハ主義者の銃撃が真帆のアサルトを直撃する。あわてて手放す真帆。爆散し、天井に大穴があく。
「コーパスクリスティもマウント・カルメルも実在するんだけど」
真帆が背負った予備銃をおろす。
「幽霊は暗闇を恐れる人間の妄想に過ぎないわ。現象学はそう説明しているわ」
机の陰からマルヴィーネが狙い撃つ。
「神を恐れる科学者の妄想だよ」
二対一の銃撃戦は膠着状態に陥った。上空のメーソン号がいつまでももたない。マルヴィーネは攻勢に出た。
「唯一神を戴く宗教は諸派あるじゃないの。統一できない。どれも間違っているからよ」
銃口にアタッチメントを装着。二人の居場所を掃射する。空になったカートリッジを交換。これでもかと撃ちまくる。
「科学だって同じじゃん」
玲奈が全弾撃墜する。
もう、なりふり構わぬ段階じゃない。マルヴィーネは非人道殺傷弾を持ち出した。マッハ原理を局所的に乱反射させて標的を寸断する。
「聖ラプラス教徒は無差別テロリストじゃない。これが神のやること?」
彼女の足元が崩れ落ちた。壁も天井も崩壊。断面がどろりと溶けている。臭気がツンと鼻につく。下敷きになる前にマルヴィーネはベルトのマッハ原理ドライブを駆動。校外へ逃れる。
「自然淘汰は無慈悲だよね。でも進化に必要だわ。これは悪魔の所業かしら?」
蒸気の向こうから真帆の声が聞こえてくる。
ぐらりと景色が歪んだ。青空が海面のように波打つ。マルヴィーネは光学的な攪乱を引き起こした。
「神がテロを煽るはずないわ。あんたらが曲解してるだけじゃないの」
ミミズのように敵の射線がよじれる。そのすべてが自分に向けたものだ。彼女はゆらぎの外へ跳躍した。
永久に続くかと思われる闘い。
玲奈は終止符を打とうと聖ラプラスの支援を仰いだ。アハラノフボーム効果が一発の銃弾に集中する。
「禅問答はこれで終わりだぁぁぁぁ!」
マルヴィーネも最後の一発に命運を託した。
高速飛翔する銃弾が激突した。
時間の流れが粘ついた。
「おばさん! 耳を揃えて証拠提出してやんよ。すべてを受け入れる覚悟はあるかい?」
眉間にゆっくりと12・7ミリ弾が接近する。
厨二病が勝利の笑みを浮かべる。
「――!」
マルヴィーネは一瞬の慢心を見逃さなかった。
「かかったわね! 中学生!!」
フッサーリア号に一撃必殺の量子リンクが飛ぶ。無人の戦闘指揮所がパッと白熱する。
【超越論的主観性 臨界】
大小さまざまなディスプレイに同じ文字列が並ぶ。
【還元 開始】
航空戦艦のマストから一条の光が伸びる。心細いビームが星の瞬きに重なる。
次の瞬間、ビシッと衛星が凍り付いた。天体そのものが多面体の氷に包まれている。まるで冷凍ミカンそのものだ。
「クソババァーー……何を……」
玲奈が言い終わらぬうちにボロボロと崩れ去っていく。真帆の愛らしい顔がひび割れて爆散する。
「エポケーよ。思い込みの一時保留。超新星由来の神が正しいかどうかはともかく。全宇宙の意志に判断を預けたの」
マルヴィーネは邪神の巫女に弔辞を述べると、起爆装置を作動した。
航空戦艦がクの字に折れ曲がり、まばゆい光がカトブレパス星系を覆い隠していく。
おそるべきマッハ原理爆弾が炸裂した。
森羅万象はまず現象から相関を考察すべし、というエルンスト・マッハの思想。それをフッサールが整理整頓し現象学に昇華させた。
その原理とは宇宙全体と個人は不可分であり運命共同体であるという、至極単純なことわりである。
またの名を、両成敗。
■ 航空戦艦マリリン・メーソン号周辺
《どういうことだ? 余は――余は――》
超新星由来縮退物質が逆流する無神論に翻弄されている。彼は厨二病者三島玲奈を主軸にしてありとあらゆる背徳をかき集め、回心(改心ではない。神の道へ心を向けること)の原資に利用した。
だが、マッハ原理の作用により「全宇宙」に対する信仰を強いられる結果を招いた。
「「「「「「あなたを信じる前に」」」」
「「「「「我々を信じますよね?」」」」
アンドロメダ星雲から、馬の首暗黒星雲から、髪の毛座超銀河団から、帰依の請願が来た。
《そっ……それはッ》
《わたしをしんじるわたしをしんじるわたしを》
三つの衛星が自己撞着に耐えかねて爆散した。
《余の天国と地獄と聖書が……神も仏もあるものか……》
「カトブレパスが爆発します!」
メーソン、グレイス、フレイアスター、ソニア、四隻のサブシステムが共同して拉致被害者の霊魂を回収。超長距離ワープに突入した。
■ エピローグ
聖ラプラス教団は総本山の自壊によって自然消滅した。一部の原理主義勢力はテロを続行したが、全宇宙からあまねく降り注ぐマッハ原理のリバウンドによって、じょじょに冷静さを取り戻した。
ハンターギルドはグスタフ財団の全資産と当該事件の関係資料を一括して大量破壊兵器認定。押収武器庫へしまい込んだ。
フッサールとメイドサーバント・マルヴィーネの魂はようとして行方がしれない。今度こそ彼らは素晴らしき場所へ召されたのだろう。
アムンゼン・スコット空軍基地。雪かきの終わったゲート前には献花台が置かれている。無差別テロに遭い
蘇生術が当たり前になった世界にも根源的な「死」は健在だ。
「
募金箱を抱えた女性が列をなしている。
小笠原母娘が黙とうを捧げていると小さな女の子がスカートを引っ張った。
「あなたは神を信じますか?」
小笠原・シア・ホシミ・フレイアスターはにっこりとほほ笑むと、コインを投げ入れた。
「わたしは貴女を信じます」
女児はカラカラと募金箱を揺さぶって答えた。
「おばちゃん、ありがと〜」
脱兎のごとく献花の列に駆け寄り、母親らしき女性を呼び止める。
「ママ―。あの鴨のおばちゃんがね〜」
玲奈が睨みつけると、女性は顔を赤らめて娘をひっぱたいた。「鴨のおばちゃんじゃなくてメイドサーバントのお姉さんよ。さぁ、寄付しましょう」
シアが複雑な顔をしていると、真帆がたまらなくなって笑い転げた。
アムンゼン・スコット基地の構内放送が定時ニュースを読み上げている。
『今回の一連の事件に関して地球脱出教団―メフロンティアの一部反主流派が国連に対する抗議声明を発表しており、その内容によれば教団からの分離独立も辞さずと……』
『新教団設立の会見が先ほど終わりました。新しい宗教組織の名前は朗読教会……』
『人類圏、特権者、概念の海三者休戦協定であるエンケラダス条約を玉虫色の欺瞞と非難しており……』
『朗読教会はありとあらゆる手段で人類の過ちを糾弾していく、と強硬姿勢を表明』
『国連安保理は今夜、緊急招集され、大量破壊兵器認定を含めた強力な対抗策を協議』
カノカゼ~彼女の恋は風まかせ 水原麻以 @maimizuhara
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