パブロフの犬、来襲

 ■ パブロフの犬、来襲


 夜空を彩る星々は幾ら眺めていても飽きない。光の一粒ずつが幾星霜の歴史を背負っている。シアはそう考えて不寝番のシフトをやり過ごした。

「あっ、流れ星」 

 交代しにきた真帆が見上げる。

「世界が平和でありますように」


 さらさらの髪を風になびかせ、星に願いかける次女の姿にシアは癒される。

 厳密に言えば二人は親子ではなく、もう人間ですらない。


 特権者の攻撃で全身を焼かれた真帆を戦略創造軍ギルドが引き取り、愛玩人形のような顔立ちと天使の翼をもつ体メイドサーバントに作り変えた。

 実際に空を飛べるだけでなく、深海を泳ぎ、真空を呼吸し、悠久の時を生きる航空戦艦ライブシップの端末である。

 そんな復讐と闘争心の塊である彼女が血のつながらないシアになつくのは、子供を産めなくなった女同士のさみしさゆえだ。

 社会が安定すれば戦闘能力を建設的な方面に活かして負の感情も昇華出来よう。母娘はそう望んでいる。



 滅亡へ刻々と進む秒針は、彼女達に安らぐ暇を与えなかった。キャンプから数十メートル離れた草むらが爆散した。


 唐突な奇襲は焦りのあらわれと察し、冷静に

「来たわ!」


 そいつらは確かに野犬の群れに見えた。種類は雑多で、いわゆる「ふわもこ」した愛玩犬や柴犬のような番犬が大半で、大柄な狩猟犬もまじっている。


 彼らは飢えた目つきで狂ったように地面を嗅ぎまわっている。


「おいでませ、パブロフの犬」


 玲奈が肩に担いだ音波増幅砲フォノンメーザーを投射する。圧縮された空気の波が犬たちの耳をつんざく。ドップラー効果が超高サイクルの振動を鈍化し、鋭利な空気の刃を投げ返してくる。シアは三人の前方に防御結界を張った。


 パン、パンと乾いた音が破裂する。犬たちは玲奈の攻撃に怯むどころか、涎(よだれ)を垂らして尻尾を振っている。


「なるほどね。まごうことなきパブロフの犬だわ」


「玲奈。感心してないで、あいつらにどういう条件付けがなされているか探って」


 シアは好奇心が旺盛な長女に犬たちの行動を分析するよう指示した。玲奈は上空のアストラル・グレイス号から観測機器を取り寄せ、あらゆる角度から調査を開始した。


 彼女はこの場に徘徊しているモンスターどもを布教の道具だと見抜いた。神器と言い換えてもよい。パブロフの犬は信徒を条件付けする機能があるのだろう。


「マックスウェルの悪魔、パブロフの犬、次はどんな四天王が飛び出すかしら」

 真帆が量子双眼鏡クォンタムグラスで全周警戒する。


「あれはシュレディンガーの猫かしら? かわいそう」


 真帆は草原のど真ん中に大きな鉄製の箱を見つけた。物理学の四天王とやらの分類に当てはめれば、おそらく中に半殺し状態の猫が封入されているのだろう。

「あれはシュレディンガーの猫かしら? かわいそう」

 真帆は草原のど真ん中に大きな鉄製の箱を見つけた。物理学の四天王とやらの分類に当てはめれば、おそらく中に半殺し状態の猫が封入されているのだろう。

「不用意に近寄らないで」

 シアは右腕で真帆を制した。双眼鏡をミリ波モードに切り替えて箱を透視する。内部には放射性同位元素と毒ガスが検出された。

「セシウム137がα崩壊する際に青酸ガスが放出される仕組みよ。放出のタイミングは不規則性がある。あと幽子情報系が少々」

 玲奈がシュレーディンガーの猫らしき生物を箱の中に認めた。生きているとも死んでいるともどっちつかずの状態だ。

「あっ、猫ちゃんが!」

 二人が議論している間に真帆が前に飛び出した。箱のそばに三毛猫が横たわっている。四肢を痙攣させ口から泡を吹いている。真帆は見るからに苦しそうな子猫にそっと手をさしのべた。

 年端の行かぬ少女が正義感に満ち溢れた自身の心に従っただけに過ぎない。だが、その些細なことが恐るべき事態を引き起こした。

 瞬時に箱が爆散し、もうもうたる土煙が真帆と子猫を巻き込んだ。

「しまった! わたしとしたことが!!」

 玲奈がシアの手から双眼鏡をはたき落とす。シュレーディンガーの猫は部外者に観測されることで状態を確定する。うかつにもシアが双眼鏡で透視した行為そのものが不測の事態を招いてしまった。

『もう遅い!』

 化け猫は血のように赤い舌を長く伸ばして真帆を簀巻きにしている。じゅるり、としたたる唾液が彼女の髪を濡らし、シュウシュウと蒸気をあげている。濡れそぼった後ろ髪がドロリと溶け落ちてツルツルの地肌があらわになる。

 スカートのあちこちに穴が開き、両足の間から泡まみれのアンダースコート、少し遅れて濃紺のブルマーが滑るように流れ落ちる。ツルッパゲのエルフ耳少女が化け猫の口へ運ばれていく。

「野郎!」

 玲奈は肩に担いていた対物狙撃銃をおろそうとした。しかし、その銃口に白目をむいた子犬がかみついている。

「この!」

 彼女は銃把をしっかりと支えて引き金を絞った。子犬の背中をバリバリと12.7ミリ弾が突き破る。ちぎれた犬の頭が空中で向きをかえて、ふたたび銃に噛みついた。

「ぶち砕いてやんよ!」

 玲奈は予備弾倉を交換し、連射を続ける。数分前まで愛らしかった子犬の頭が一瞬で血しぶきに変わる。はじけ飛んだ眼球がドロリと銃口にかぶさる。そこからバリバリと稲妻が伸長して銃身を包み込む。危険を察知した玲奈が銃を手放して防御結界を張った。

 直後に閃光と衝撃波が来た。

 パブロフの犬はどこからともなく次々とあらわれ、シアを取り囲んだ。重火器が通用しないとみた戦闘純文学者は得意の術式を発動した。草原に光の波紋が広がると手足をもがれた犬がトビウオの群れのように右へ、左へ舞う。

 たんぱく質が焦げる臭いと水蒸気が入り混じっている。シアは安堵しようとしたが、とてもそんな空気は吸いたくなかった。今は化け猫から真帆を奪い返さねばならない。

「玲奈――」

 一緒に空中に逃れているはずの長女に呼び掛けてみるが返事がない。

 と、シアの視界をひらひらとした紺色の物体がよぎった。【近接召喚】のスキルを行使して手元に呼び寄せる。

「これは玲奈のぶるまー?!」

 布切れの一部が縮れており、ゴム紐が飛び出ている。

 シアはあわてて周囲を見渡してみたが、爆発炎上する草原のどこにも人影はなかった。

「玲奈――! 真帆――!!」

 強襲揚陸艦フレイアスターの量子リンクを通じて惑星カトブレバス全域に思念波を飛ばす。

 すると、意外な場所から返事があった。

『お前は神を信じているか?』

 シアがぎょっとして振り向くと赤い月が心に語りかけてきた。

『聞いている。汝は神を信じるか?』

 急にそんな質問をされても、特権者戦争に勝利し、キリストを名乗る精神生命体を討った人間には答えようがない。

「的外れな質問ね。往生特急とクローン培養技術を手に入れた人類に信仰心なんか必要ないわ。それよりも何者なの?」

 シアはぶしつけな相手に毅然たる態度をとった。ここで返答に窮したりうろたえてしまうようでは戦闘純文学者は務まらない。

『同じことを何度も言わせるな。神の存在を信じるのか、信じないのか。旗色を明確にせよ』

 赤茶けた天体が威圧するように浮かんでいる。目を凝らすと痘痕のようなクレーターや深く刻まれた渓谷が見える。視点の周囲にチカチカと幾何学模様が瞬いて、むず痒さが沸き起こった。

「うっさいわね! あッ!!」

 シアは太ももに焼けるような痛みを感じた。パブロフの犬が膝にしっかりと噛みついている。突き刺さるような感覚と目まいが襲ってきた。

『神を信じるか?』

「ノー!」

 薄れていく意識の中で、シアはきっぱりと言い切った。

『よろしい』

 カトブレバスの第一衛星が灼熱し、彼女の網膜を焼き切った。




 ■奴隷市場

 よく、論争の種になる科学と宗教の両立は考えること自体、無意味だ。どちらも真実に迫る距離感の違いでしかない。奇跡を渇望する人々は免れない死に対する恐怖を減ずる鎮痛薬を欲しがってる。

 閉鎖空間には、ひたすらに許しを請う人々の振り絞るような声が満ちていた。何とか視力回復したものの、ぼんやりしている。


 最初にシアは柔らかいものの上に投げ転がされた。背後で金属の擦過音がした。鞘とナイフが触れ合う音だ。セーラー服の襟元にぐいっと刃物が差し込まれる。泣き叫ぼうとした途端に、翼を縛っていたスポーツブラやスクール水着の肩ひもがぷっつりと切れ、はらりと落ちた。もぞもぞと骨太い指が動いてスカートが剥ぎ取られ、ザラザラした厚手のジャージ生地が太ももから抜き取られた。


 恐怖心が極限まで高まって意識が遠のいた。


 次に気付いたときは頭から黒い袋を被された。男らしい剛力で乱暴に手を引っ張られ、石畳の坂道を突き飛ばされるようして歩いた。蹄の音がコツコツと行きかっている。その前から彼女は周囲の賑わいに気付いていた。繁華街が近い。温かみを帯びた光や人のざわめきが布を透かして感じられる。

 唐突に立ち止まる。荒々しい言葉が飛び交い、シアは別の男に渡された。格子で出来た扉をくぐり錠がかけられた。かんぬきがギリギリと軋んで背筋を逆なでした。独房には小さな明かり窓がある。這い出ることはできない。カトブレパスの赤い月が昇っていた。


 狭い部屋の低い寝台にシアは身を沈めた。嗚咽を漏らすと口の中に鉄と泥の味がした。

 ここはどこだろう。どうしてこんなことになったのだろう。薄汚れた天井を眺めながら一連の出来事を反芻していると、まばたきをした一瞬に閃光と紙のように燃え上がる地平線がよみがえってきた。


 カトブレバス第一衛星コーパスクリスティはこう審問した。

『神を信じるか?』


 裏返せば自分に帰依しろと強要している。拒絶反応に対する仕打ちが監禁生活である。自分はいわれなき劫火に焼かれる無機物でしかないのか。全裸に剥かれた体に冷酷な真理が突き刺さる。白く透き通った肌に欲情する異性もいるかもしれないが、今の自分は無力だ。戦闘純文学の源泉は繊維で編んだヒエロニムス回路にある。鳥かごの中では背中の翼も役に立たない。

「ねえ!」

 シアは一か八かの賭けに出ることにした。虎穴に入らざれば虎子を得ず、だ。


「ねぇ! 誰かいるの?」

 レンガの向こうで欲情的な視線を壁穴に注ぐ男を想像しながら声をかける。耳を澄まして返事を待つが、小鳥のさえずりが期待を裏切った。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 衛星コーパスクリスティ。

 聖地を侵犯した無神論者三名を逮捕。


 教義に従い、これより再教育課程を開始する。

 教団本部。これを承認。


 ラプラスの御名によりて――


 ■ 女子寄宿学校

 啓示は前触れもなくやってきた。


 湿気をたっぷり含んだ風が枝をミシミシと鳴らしている。

『――そうだ。求めよ! さすれば扉が開かれん』

 お昼の放送が遅刻者を経典の引用でいましめている。いつもながらの苦しい展開に少女は失笑した。


「まだ神様を疑ってるの?」


 同級生の心配そうな声に振り返ると、木漏れ日が綺羅星のように輝いていた。

「もうすっかり大丈夫よ。ほら、ラプラスの魔がわたしたちを照らしている」


 少女はエイッとわざと声を出して座席から飛び降りてみせた。

「よかった。再発の可能性は限りなくゼロに近いって先生がいってらしたもの」

 もう介助の必要はないと判断したのか女生徒は車椅子を折りたたんだ。


「因果律は演繹的な究極概念の終着点よ。全知にして全能の視点は未来も予見している。間違った量子力学は世界が波動関数で記述できると唱えているけど。不確定性原理に決定をもたらす観測者は神と形容していい。愚かな人間は原子運動の時間的発展を計算できない」


「それを聞いて安心したわ。もう自分は『戦闘純文学者』だとか、『航空戦艦』だとかキチガイじみたことを言わないでね」


「わたしもどうかしてたわ。メイドサーバントだなんて」


 少女はよろけながらも草いきれに満ちた小道を運動場にむかって降りはじめた。グラウンドにはネットが張られて体育の授業が準備されている。


 クラスメイト達は木陰でするするとセーラー服を脱いで白いテニスウェア姿になっている。女子校なので遠慮なく堂々としている。風がふわりとプリーツをまくり上げる。


「シアー」


 旧友が少女を手招きしている。シアはスカートのジッパーを緩めて足の間から引き抜いた。下に重ねている純白スコートを腰の高さに引っ張り上げる。


「ほぉら。ハミぱんつしてる。ラプラスの女神さまが見てるわよ」

「ひゃん! 玲奈。最初っから言ってよぉ」

 シアは顔を赤らめた。後ろ手に裾を直し、ブルマがアンダースコートからはみ出ていないか女生徒に点検してもらう。

「はい。チェックおっけー」


 玲奈は地団駄を踏むように腰をゆすって機用にスカートを地面に落とす。シアはつい相手の背中に視線を這わせた。そこに何か大切な器官が欠損しているような気がしたが、それが何であるかわからない。奥歯に物が挟まったようなもどかしさを覚えた。


 そのかわりにポロシャツごしにピンク色のレオタードとスクール水着の輪郭がうっすらと浮いている。


「なに。何か付いてる?」

 嘗め回す視線に玲奈が気付いた。


「べ、べつに!」

 シアは慌てて否定した。

「まーたメイドサーバントの幻覚を見てたの? 『翼を縛る』ために着てるんじゃないからね」

「と、とんでもない。そ、そうだったわよね。更衣室がないのが悪いのよね。三限目は床運動で四限目は水泳だったでしょ」


「そうそう。予定調和よ。ラプラス神のはからいよ」

 女生徒(れな)はさっさとラケットを手にランニングの列に加わった。


「ぶるまーが裾から見えるのも予定調和なのかしらん」

 シアは腑に落ちない様子で空を仰いだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 惑星カトブレパスに航空戦艦が派遣されて三日が過ぎた。ビュランス教団の拡大はとどまることを知らず、人類圏のそこかしこで宗教対立やテロが散発している。いっこうに進まぬ査察業務に業を煮やした国連安保理は大量破壊兵器撲滅委員会の解体を検討している。


 フレイアスター家の三隻とも連絡がつかないことにメディア・クライン中央作戦局長チーフバスターは焦りを隠せない。大量破壊兵器の摘発を定めた白夜大陸条約機構加盟国はギルドの頭越しに軍事行動を視野に入れはじめた。


「惑星破壊プロトンミサイルでカトブレバスごと粉砕?」


 恐れていた展開にメディアは慌てて思いとどまるよう提案した。

「来るべき時が来たようだ。もはや『量子空爆』で原状復帰(リセット)する、などという対症療法は通用しない。外科手術だ」


 査察機構(ギルド)を管轄する委員たちは聞く耳を持たなかった。

 冥界を人間の手に取り戻した世界において人命はチリ紙よりも薄い。死者の魂は冥界惑星プリリム・モビーレめざして昇天する。それを往生特急(オリエントエクスプレス)が回収し、クローンボディに移される。オーランティアカの姉妹とその養母(ははおや)を惑星破壊ミサイルの巻き添えにしたところで誰も罪に問われない。


「どこに問題があるというのだ」


 じれったそうに異議申し立てを聞き流す委員たちにメディアは最新の偵察データを提出した。赤茶けた第一衛星コーパスクリスティがあばたヅラを晒している。よくあるクレーターだらけの写真で特に不審な点は見られない。


「ご覧ください。衛星のところどころに青白い輝点が見えますでしょうか」

 彼女がお歴々がたの前でレーザーポインターを揮うと唸り声が聞こえてくる。微かな光が拡大して人間の顔の集合体になった。


「お分かりいただけたでしょうか?」

「「「ううむ。これは……」」」


「霊魂のコロニーです。ここから導かれる答えはただ一つ。コーパスクリスティが冥界機能を有しているということです。プリリム・モビーレのように」


 邪教団はプロトンミサイルによる破壊工作を見越してシアたち三名を人質に取ったのだ。


 しかし、査察官よりも無辜の命が際限なく失われていく現状を鑑みれば、ミサイルの発射をためらうべきではない。大多数の意見を中央作戦局長は跳ね返した。


「ハンターを見捨てれば我々は無神論者である事実が確定し、寂寥感に襲われたシアたちの怨念は第二第三のカトブレバスを生み出すでしょう。それに邪教徒たちは彼女たちを殉教者に祭り上げて勢いづくでしょう」


「「では、どうするというのかね??」」

 メディアは満を持して奇策を上申した。

「判った。あと三日だけやる。貴君が戻らねば躊躇なく破壊する」


 ■ 洗礼の時間


 プールサイドに置き忘れた脚立にクラスメイトの一人が接触して転倒した。打ち所が悪かったらしく、瞳孔が開いたままになっている。スクールドクターが通報を受けて駆け付けた。濡れたスクール水着をハサミで手早く切り裂いていく。ぴったりと張り付いたナイロン繊維をバナナの皮を剥くように剥ぎ取ると、女医がビキニのブラジャーを破りとる。小ぶりの胸が浅い呼吸に呼応して上下している。


「「「「真帆」」」

 医師は駆け寄る女子たちを振り払い、患者の身体に自動体外式除細動器を取り付けた。そんな騒動をシアは上の空で眺めていた。興味は同級生の容態より別のことにある。彼女は真帆の背中をつぶさに観察して、うっかり呟いた、


 翼は生えていないのね。


「貴女!」


 女医の目つきが変わった。すぐさま、もう一つ担架が運び込まれた。プロレスラーのようにがっしりとした女が二人がかりでシアを羽交い絞め、スクール水着をビキニごと引き裂いた。


「ひゃん☆」


 シアがアンダースイムショーツを奪われまいとしゃがんだところ、足首を掴まれ、逆さにされた。そのまま無理やり担架に押し込まれ、プールの外へ連れ出された。


 救急車の扉が閉じた瞬間に銃撃が襲ってきた。


「アンジェラ! 構わず出して!!」

 蘇鉄の葉が揺れ、硝煙が漂っている。女レスラーの頭が順番に撃ち抜かれ、爆散した。

「ドローノイドが!」

「いいから。早く!」


 女医が助手席に転がり込むと、意識のない真帆をしっかりと固定した。

 運転手が急発進させる。校門が遠ざかっていく。


 素っ裸のシアが担架から起き上がる。座った眼で呪詛を呟く。


「女神の名において、天罰あれ」


「シア、真帆。目を覚まして! 神様なんかいないんだから」

 女医は、もだえ苦しむ運転手からハンドルを奪い、片手でさばきながら反論する。

「神様はいます。恐れを知らぬ無神論者め!」


 なおもシアは狂ったように叫ぶ。


「あたしはメディア。メディア・クラインよ! 忘れたの? 助けに来たのよ」

「救いが必要なのは貴女たちです!」


「救いようのないバカ。信仰心があるなら八百万の神でも崇めなさいよ。貴女、ヤポネの生まれでしょう」

 メディア・クラインは洗脳をうち破る決定打を放った。


 狂信機械の呪縛から二人を解放できると信じた。もう一人、玲奈を探し出さなければならない。プロトンミサイルの発射まで二日しかない。


 信仰心を取り戻したシアは驚くべき言葉を発した。


「いいえ。わたしたちの女神は『八百万』とは格が違います」


 彼女は揺れ動く車の中でひざまずくと、赤い月に祈りをささげた。

 するとアスファルトの路面が大海原に変わった。海水がフロントガラスを押し破って満ちあふれる。


「創造神(ラプラス)に並び立つ神など、いない!」


 きっぱりとシアが断言する。月の光が二人の信者を天に運び上げた。

 郷にいては郷に従えというが、場所が変われば価値観も変わる。ドメスティックな人生を歩んできたメディアも尻尾を巻いて逃げるしかない。


「マリリン! アップロード、二名! たのむ、早く」

 それが彼女の遺言となった。

 心肺停止した若い女が二人、沈みゆく車のドアから吐き出された。それを鋭い歯をした生き物が噛み砕く。

 航空戦艦マリリン・メーソンは衛星コーパスクリスティの軌道上でギルド幹部たちの魂を回収した。

「よくよく悪神に魅入られた女(ひと)たちね。凸するなんて、無茶もいいとこ。コーパスクリスティに捕まらなかったのも神の御加護かしらん?」


メイドサーバントはクローン培養機の中ですくすく育つ二人をあきれ果てた顔で見守った。




 ■ 航空戦艦マリリン・メーソン


 航空戦艦マリリン・メーソンは惑星カトブレバスの軌道上で三隻の幽霊船を発見した。拉致されたハンターたちの航空戦艦である。第二衛星マウント・カルメルと第三衛生テスタメントの引力に引き寄せられているところを捕捉された。特殊部隊が内部を調査したところ、さながら二十七世紀版メアリーセレスト号乗員失踪事件ともいえる様相を呈していた。戦闘指揮所の食事合成機フードリプリケーターが放置してあり、夜食のメニューが入力してあった。メーソン号はフレイアスター艦隊を曳航し、コーパスクリスティ軌道上に駐留させた。

「惑星全土爆撃弾倉(プラネットボンバー)まで準備万端して拉致られたなんて……」

 メイドサーバントのマリリンは凄腕査察官一家の失踪が腑に落ちないようだ。

「ボイスレコーダーに最後の会話が残されています。何者かが第一衛星からシア・フレイアスターに呼び掛けています」

 サブシステムが不審点をつまびらかにした。

「問題個所を再生して」

 メインスクリーンに激戦の様子が生々しく繰り広げられる。

「三島玲奈と熊谷真帆がモンスターに捕らわれたあと、シア・フレイアスターが惑星全土に思念波を飛ばしています。それを何者かが傍受したと思われます」

「艦隊共同交戦システムの解読鍵は身内しか持ってないはずよ。仮に入手したとしても量子暗号は傍受した時点で盗聴がばれる。シアは対策しなかったのかしら?」

 確かにおかしな話だ。戦闘純文学者なら即座に逆探知して先制攻撃するだろう。

「発信源を特定できないかしら?」

「そもそも、射撃統制装置に敵影が記録されていません」

 サブシステムは量子レーダーの索敵結果を余すところなく羅列して見せた。

「量子通信回線に介入するからには強力な線源が必要よ」

 コーパスクリスティのどこかに大規模な設備が隠されているか、戦闘世界文学者級の術者が潜んでいるに違いないとマリリンは判断して、第一衛星の徹底的な再スキャンを命じた。

 すると、サブシステムはため息をついた。彼女は機械ではない。朴訥な性格が災いして下界で暮らすよりもカプセルに引き籠って、航空戦艦に寄り添う暮らしを選んだ専門家(ヲタク)たちだ。

「あのねえ。ふつう、ピンと来ませんか? 貴女も戦闘純文学者でしょう。『実体として存在しない』可能性があります」

「うっさいわね!」

 サブシステムに嫌味を言われてマリリンは憤慨した。動画は終わりに近づいている。最後に正体不明者がシアの信仰心を試したところで映像が途絶えた。

 実在しない事と定量的に存在しないことはイコールではない。「それ」の正体が何であれ、物質に干渉できる能力があるなら物理現象として理論上は解明可能だ。

「貴女が言う通り精神生命体の関与も可能性も考慮してみましょう。コーパスクリスティが冥界機能を有していることも関係しているかもしれない。惑星上のエネルギー分布を計測してみて」


 マリリンは艦にカトブレバスの受動的探査パッシブサーチを指示した。レーダー観測やドローン派遣などアクティブな調査ではつかめない「何か」を微量でも検出できないかと考えた。計測誤差に紛れてしまう「ギリギリの何か」が掴めれば解決の糸口になる。

「音波から長波、極超短波、可視光領域、紫外線、X線ガンマ線、素粒子バーストに至るまで異常は認められません。典型的な地球型惑星です」

 調査結果は空振りに終わった。

「惑星カトブレパスかぁ……」

 戦闘純文学者はリクライニングチェアを倒して、ぐんと背筋をのばした。行き詰ったときは原点回帰と温故知新。それが打開につながる。惑星破壊ミサイルの到達まで猶予は残り少ない。マリリンは何が何でも難題解決せねば依頼主から既定の報酬が貰えない。そして、当の本人はまだ試験管の中にいる。

「こういうときは原点回帰、温故知新ですよ」

 サブシステムが仕切り直しを提案した。星系名の由来であるカトブレパスは邪眼能力を持つ形而上の生物だ。ギリシャ語でうつむく者という意味の名をもち、目撃者を石化させるといわれている。

「カトブレパスといえば、二十世紀以降さまざまなサブカルチャーが題材にしています。その嚆矢はフロベールの『聖アントワーヌの誘惑』でしょう。砂漠で禁欲的に暮らしていたアントニウスが悪魔の誘惑に打ち勝つ物語です。サルバドール・ダリの絵画が有名ですね」

 サブシステムは立て板に水のごとく蘊蓄を語った。

「ほかの人の作品も見てみたいわ」


 マリリンはメインスクリーンをスワイプしてしばし名画を鑑賞した。一枚の画像が彼女の目に留まる。白鬚の老人が廃墟に横たわっている。異形のモンスターが瀕死の病人にのしかかっている。

「グリューネヴァルトのイーゼンハウム祭壇画ですね。老人は黒死病(ペスト)患者です。施療院に奉納されたものです」

「どうしてこんなグロ画を献上したのかしら? 嫌がらせ?」

「いえいえ。当時、ペストは『アントニウスの火』と呼ばれ恐れられていました。不治の難病を克服したい患者の願いを抽象化したといわれています」

「恐れと願いねぇ。この星の命名者はアントニウスを意識したのかしら」

 マリリンは解決の糸口を見出そうと貪欲にヒントを探している。

「さぁ。そこまでは存じません。国際天文連合(アイエーユー)のデータベースを検索しますか?」

「やって頂戴」


 数分後、地球からカトブレバスの詳報が届いた。命名の提案、候補選考のいきさつ、関係者の証言など多岐にわたっている。その中からマリリンは鍵を見つけた。惑星の名前はサブシステムが示唆した通り、数々の名画に着想を得ている。


「1945年、エルンスト・マッハの作品に起因しているそうよ」

 送られてきた資料の冒頭十ページを割いて解説されている。

「それを象徴する事件が開拓当初に起きたんですって」

 戦闘純文学者は添付画像を拡大した。

「エルンスト・マッハはシュールレアリストの中でも手練れですよ。いろいろな作風に通暁している。これは……」

 サブシステムが息をのんだ。抽象画というよりは二十世紀後半に勃興したSFアートと呼んでも遜色ない。一言で言えば異星の凌辱画だ。アントニウスらしき聖者が機械的な節足動物に捕食されている。横たわって白目を剥いた男の目鼻口をメカニカルな触手が抉りだそうとしている。死体に群がっているのは自販機のコイン投入口そっくりな目をした異形の機械動物どもだ。黒光りする翼をもつものや兎に似た小動物、大きく咢を開いた猛獣、人面を背負った昆虫もいる。

 アントニウスの背後には瘴気が煙る湖沼が開けていて、性器をあらわにした女の首なし死体が一枚岩に張り付いている。背後の壁には河童のような顔が彫刻されていて、無数の配線が女を接続している。

 これは何を意味しているのだろう。

 あまりに異様な構図に二人は言葉を失った。にわかに信じがたい話だ。


「もしかしてエルンスト・マッハって、あの『マッハ』? 音速単位の?」

 何気なくマリリンが尋ねる。

「そうですよ。彼はマルチタレントです。思想家、画家、物理学者……」

「その絵にかいてあるような事件が実際に起きたというの? つまり、それはファーストコンタクト?」

「第一上陸者は言葉を濁していますが、実際に多くの死傷者が出た模様です。詳細は個人情報保護の名目で伏せられています。私的な探検隊だったようです」

「報告書は生存者がもたらしたものなの? つまり、惨劇を後世に伝えるために命名したと? こんな大事件、ハンターギルドが動いてしかるべきじゃない? どうして埋もれたままになっているの? 生存者はその後どうなったの?」

「発狂して拳銃自殺しましたよ。命名申請は遺族によるものです。故人の遺志を汲んだと思われます」

「ちなみに、それっていつ頃の話?」

「二十一世紀中葉、特権者戦争の真っただ中です」

 それを聞いてマリリンは疲労感に襲われた。「六百五十年前の故事をいまさら詮索しても仕方がないわ。おまけに戦時中。特権者の仕業ってこともないんでしょう?」

「念のためにベローゾフ・ジャボチンスキー反応検査をしますか?」

 仇敵の干渉を懸念するマリリンのためにサブシステムはそれを払拭しようと薬液を準備した。

 マリリンは人類圏を渡り歩いて査察官として我慢ならないほどの凄惨を目の当たりにしてきた。

 赤と青の試薬が試験管の中で混ざり合う。カオスが渦巻いて二色の間を渡り歩く。赤から青、青から赤。とめどなく循環する。

「ごらんなさい。確率変動を操る輩はこの空域にいませんよ」

 大宇宙の意思に背き、因果律に抗う連中も今やエンケラダス停戦条約を締結して人類と平和に共存している。

 それを聞いてマリリンはぐったりして横になった。

「逆に特権者の力を借りたいぐらいだわ。あーあ、完全に詰んだわ」

 今回の報酬は諦めて別の稼ぎ口を探した方がいいかもしれない。査察官が三人死んだところでギルドが潰れはしない。


 と、思われた、やさき。

 反応が出た。

 液体が真っ赤に染まったまま、変化しない。これは恣意的な「力」の干渉をあらわしている。



「ベローゾフ・ジャボチンスキー反応 撹拌パターン『赤』 背徳者です!」

 試験液は精神生命体ではない「人間的」な影響を検出した。

 魔導師か、老練な戦闘純文学者か、強力な霊能者か、はたまた神通力の持ち主か、それともサイキックか。


 マリリンは思わず椅子から転げ落ちる。


『お前は神を信じるか?』


 戦闘指揮所のメインスクリーンにでかでかとルーン文字があらわれた。


「わざわざ御降臨(おでまし)かい」


 待ってましたとばかりにメイドサーバントはターボ胎盤を起動した。クローン培養装置の緊急促成モードである。メディアとアンジェラを強制転生させて三人で敵襲に立ち向かう。


 ■ クローン培養装置


 受精卵は残りわずか753秒で8199時間分の成長を遂げ、くりくりした目の女の子に育った。人工子宮から取り出された直後に羊水がしたたる産毛にバリカンが射し込まれ、愛らしい顔が頭蓋ごと破壊された。摘出した脳髄は生後1088日相当の女児に移植され、高蛋白高栄養入りの成長爆発促進剤を投与された。

 そして、1696秒後には15万7788時間分の新陳代謝を終え、再び黒髪がそり落とされた。外科機械がツルツルの後頭部にマイクロ光ファイバーを埋め込んでいく。ぎらつく閃光が暫定献体・楢島真紀(ならしま・まき)のグリア細胞にメディア・クラインの記憶を刻んでいく。


 その隣では鳩山瑞乃(はとやま・みずの)が待機している。彼女はアンジェラ・ライプニッツの前世を背負うことになる。


「「ぎゃっ☆!」」


 培養タンクから放り出された二人は生まれたままの格好でヒップをぶつけ合った。

「痛ぁ〜」

 真紀がおしりをさすっていると、ぐらりと部屋が傾いた。上から瑞乃が降ってくる。

「うぎゃ」

 機械触手が伸長して四肢を掴んだ。二人は絡み合ったまま吊るされた。スキンヘッドにタップリとクリームが吹き付けられる。

「ちょ」

「熱ッ」

 摂氏四十三度のシャワーが豪雨のごとく降り注ぐ。息をつく間もなく熱風が二人の翼を乾かす。

「こ、今度は何?」

 瑞乃の両脚をメカハンドが押し広げていく。つま先に紐のような物が引っかかった。

「ちょ。ヤダ。ぱんつぐらい自分で履けるわよ」


 機械はぐいぐいとアンダーショーツを腰まで引っ張り上げる。真紀の鳩胸にタオル地の布が巻かれた。ビキニ姿のメイドサーバントを装置は手際よく着替えさせていく。


 戦闘指揮所ではマリリンが衛星コーパスクリスティを相手に押し問答を続けていた。


「そういうお前は神を信じているの?」

『もう一度聞く、お前は神を信じるか?』

 衛星は彼女に一切返答しない。

 さて、次が最後の質問だろう。どう返すべきか。マリリンは考えた。シアはノーと答えて捕らえられた。信仰を拒否すれば強制的に改宗させられるだろう。さりとて、肯定して入信するわけにもいかない。



「信じるも何も、わたしが神よ!」


 彼女が自信満々に答えると、物凄い力が艦をとらえた。有無を言わさず惑星に不時着させられる。幸い、航空戦艦はそれ自体が戦闘純文学者だ。マリリンの体細胞からできているのだから分身といっていい。反射的に防御結界を張って摩擦熱に耐えた。


 乗り上げた浅瀬の先に学校らしき平屋建てがある。グランドからわいわいという嬌声が聞こえてくる。

「右舷三百メートルに集団殺意。百四十五名。対人殺傷準備」


 サブシステムが武装勢力の接近を警告する。

「どうやらこいつがモノをいうときがきたようね」

 マリリンは武器庫からアンチマテリアルライフルを担ぎ出した。自動小銃と弾倉をガンベルトに装着。エアロックを出る。

 砂の上にはセーラー服姿で完全武装した二人が待っていた。

「真紀、瑞乃、いくよ」



 ■ 聖ラプラス女子学院・寄宿学校


「無神論者の慟哭が聞こえてくるわ」

 意識を取り戻した真帆は校舎の屋上から航空戦艦を見渡した。古代ロシア空軍のスホーイ第六世代戦闘機に似た流線型の機体は鶴のように首をもたげ、ボディをカトブレパスの黒潮に半ば沈めている。袖に生徒会と書かれた腕章を巻いている姿からして、彼女はリーダー格の一員らしかった。

「マリリン・メーソンを繰り出すとはハンターギルドもいよいよ焼きが回ったようですね。委員長(いいんちょ)」

「風紀委員。航空戦艦CVA/BB−333は積極攻勢と奇襲戦術を使い分ける策士よ。注意が必要だわ」

 委員長は量子オペラグラスを傍らの委員に手渡した。接眼レンズに戦力評価が蛍光色で浮かび上がってくる。

「フン。大したことない。咬犬(パブロフ)でもけしかけてやれば尻尾を巻いて逃げる」

 買いかぶり過ぎだと言わんばかりに風紀委員は双眼鏡を放り投げた。

「玲奈。油断大敵よ」

 メイド服姿の女生徒が受け取って、のぞき込む。マリリン・メーソンが乗り上げた浅瀬に閃光がいくつも瞬き、ところどころに小さなキノコ雲が巻き起こっている。


「戦闘純文学者風情が聖ラプラスの御業に抗えるはずがないでしょう。小笠原さんはまだ神を疑っているんですか?」

 風紀委員がねめつけるような視線で睨む。

「えっ? ま、まさか。そ、そんなことはないわ」

 シアは恥じ入ってしまった。紅潮した顔を見られないようにエプロンで隠した。

「創造主はいたるところに遍在(おられ)するのよ。無知は罪です。償いとして殲滅教室に加わりなさい」

 委員長はズシリと重い機関銃をシアに支給した。敵を倒すことなく生きて帰るなと厳命する。シアは後悔と恐怖が入り混じった表情でよろよろと非常階段を降りて行った。

 ■ 不時着地点


 太古の昔から暗闇や雷鳴など防衛本能を刺激する現象に対して人間は特別な感情を抱いてきた。自分の不十分な知識で説明できないもの、理解できないものに対して肯定派か否定派かと聞かれれば多くの人々は前者を選ぶだろう。人間は神を恐れ、畏敬するように進化してきた。それは己の生物学的脆弱性を理解し、自ら無謀を律することで危険を回避する生活の知恵でもあった。


 マリリンは戦闘純文学者である。確率変動の偏向によって生じる非日常の原因を究明し、是正し、必要なら攻撃する。彼女は航空戦艦の精密感覚をフルに活用して包囲網の実態把握につとめた。構成員は百四十五名。全員がヒューマノイドの女性でフルオートマチックライフルで武装している。量子観測銃弾でなく拳銃弾を携行している。

「こいつら、戦闘純文学者に通常兵器(ノーマル)で勝とうというの?」

 真紀が信じられないという風にかぶりをふった。

「神はサイコロを振らないという諺もありますわ」

 瑞乃がプリーツスカートをめくり、純白アンダースコートの上にゼロ分丈スパッツを重ねる。ぴったりとヒップを覆う漆黒の布地は艶めかいだけでなく、戦闘純文学者たちの量子兵器を補強する妖しさを秘めている。

「きをつけて。映像記録にあったパブロフの犬を連れている」

 マリリンが顎をしゃくると敵は制服を一斉に脱ぎ捨てた。濃紺の二重サイドライン入りブルマーに赤縁取りのクルーネックシャツ姿になる。胸のゼッケンには「殲滅教室2−B」とマジックで手書きしてある。その足元にはいつの間にか子犬が寄り添っていた。

「かわいい……」

 さっそく真紀が敵の術中にはまった。つい、手を伸ばしてしまう。彼女の腕をマリリンは銃把で思いっきり叩きのめした。

「ひゃん☆」

 真紀が砂に尻もちをつく。注意をそらした隙に犬どもが一斉に牙を剥いた。つづいて、女どもが銃を乱射しながら後続する。

「畜生めら、引っかかった!」

 一条の光が条件反射に支配された犬どもを解放した。何が動物から抑制を奪うのだろう。食欲や性欲といった繁殖したい衝動が攻撃本能を突き動かすのだ。正気を喪う根拠は過剰反応と来るべき快楽への欲望である。

 だから、マリリンは生存欲求の上に立つ充足を敵に与えた。パブロフの犬たちは鼻を鳴らして飼い主に甘える。

「ちょ……」

 目鼻口をペロペロと嘗め回されて殲滅教室の足並みが乱れる。こともあろうに銃を飼犬に向ける者もいる。その中から絶叫が聞こえた。一人が片腕を完全に食いちぎられた。白砂青松が鮮血に染まる。破れかぶれになった少女がブルマーのポケットから小さな容器を取り出した。荒ぶる犬めがけて投げつける。破裂音とともに群れが四散した。

「いまのうちよ」

 瑞乃が航空戦艦から個人用のフライヤーを呼び寄せた。翼を広げて、せっかくの装備を破り捨てるわけにはいかない。挙動を察知した少女たちが銃撃してくるが、パブロフの犬たちに翻弄されて狙いが定まらない。

 三機のフライヤーが砂塵を巻上げて海岸の奥へ侵攻する。

「置き土産よ!」

 マリリンは追いかけてくる犬たちに缶詰を放り投げた。中身は真空だ。ただし、缶の内側にラベルが印刷してある。犬用ペットフードだ。これは何を意味するものか。裏返せばパブロフの犬を含めた全宇宙がペットフード缶に内包されていることになる。

 そんな馬鹿な理屈が成り立つものか。ナンセンスだといぶかる行為は根拠なく神を妄信する事に等しい。

 なぜならば、缶の内側に立つ観測者から見れば、壁の向こうは幾何学的には容器の内部であると定義できる。宇宙のここからが缶の中で、ここからが缶の外だと線引きすることはできない。もし、可能だと強弁するならアインシュタインが葬った絶対的時空間が自動的に復活し、相対性理論が破たんする。

「「「クゥン、クゥン」」」

 パブロフの犬たちは何もないはずの空間をいつまでも咀嚼し続けた。


 ■ 聖ラプラス女子寄宿学校 体育倉庫裏


「ちょwwwパブロフの犬がwwww。超受けるwwww」


 マリリンの突拍子もない戦術に風紀委員が失笑している。

「シアは何をしているんだwwww」

「どうせあっさりやられちゃったんでしょ。神はいないとか大口をたたくやつに限って大したことないね。あいつらだってそう。全滅教室なんて縁起でもない命名するからよ」

 委員長は生徒たちに命じてマクスウェルの悪魔を校舎周辺に張り巡らせた。


 分子運動を恣意的に分別する精神生命体は隠れ蓑になってくれるだろう。恒星アモンの輻射熱と惑星カトブレパスの反射に埋没するようにして施設全体を冷却することができれば熱力学的な不可視(ステルス)を実現できる

 。実際には気体分子の位置情報を測定して精密に制御できるフィードバック・ループ機構を設置しなければならない。愚かな人間どもはそのような稚拙な工学に頼るだろう。神の御業によって創られし校舎においては、創造主の全知全能が無限大の情報処理を実行するのだ。

「熱力学の第二法則はどうなっているの。情報処理は力学的でいう『仕事』と同じよ。エネルギー保存則に反する。聖ラプラスは無限大の秩序を持っているの? それって『何もできない』ことと同義よ。エネルギー消費が供給においつか……うぐぅ」

 捲し立てる女生徒のみぞおちにグーパンが命中した。ごつい女子柔道部員が担ぎ出して保健室へ連れていく。べりべりと布が破れる音がして、喘ぎ声が遠ざかっていく。風に吹かれて、制服の袖口やゴムひもが飛んできた。

「かわいそうに小笠原さんに感化されちゃったのね。その子をちゃんと治療してあげてね☆」

 委員長は聖ラプラスに全幅の信頼を寄せていた。




「ふーん。まごうことなきマックスウェルのステルスか」

 裏山から見下ろす敷地は完全な更地と化している。マリリンは航空戦艦に極低周波からミリ波帯に至るまでありとあらゆる波長を照射させてみたが、そこには綺麗さっぱり何もなかった。

「膨大な演算処理装置が埋もれているはずよ。廃熱を探すことが早道よ」

 真紀が赤外線スコープを取りだそうとして瑞乃にとがめられた。

「昼間は無理よ。さりとて、夜まで待てない」

「そうね。惑星破壊プロトンミサイルは絶賛カウントダウン続行中よ」

 マリリンは悠長に待っていられないとばかりに背嚢をまさぐっている。

「今度はどんな四次元アイテムを披露してくれるの?」

「うっさいわね。真紀。中央作戦局長なら言わずもがなでしょ。つか、手伝ってよ」

 戦闘純文学者が怪しげなパーツを投げてよこした。

「わぉ。そう来たか」

 瑞乃は楽しそうにそれを受け取ると慣れた手つきで組み立て始めた。

「全能の神を数論で苦しめるなんてね。貴女、フリーランスにしとくの勿体ないわ。中央作戦局に来ない?」

「考えるまでもないよ。却下」

 マリリンは瑞乃の秋波を鬱陶しそうに受け流した。

「アムンゼン・スコット基地で隙間風に震えるよりは、太陽風に吹かれるていた方がいいに決まってるじゃないさ」




「わたしはまったく神の関心を集めていない」

 彼女は浜辺に出てすぐにそのことに気付いた。波打ち際はピンク色の波が砕け、ぼろ布のように柔らかな塊がいくつも浮いている。砂粒にまみれた白い棒。それが流木ではなく動物由来のものであると知った瞬間の焦り、掌に滲む冷や汗、危機感、喉の渇きが彼女の脳細胞を刺激した。

 ごうごうと耳を弄する大自然のいぶき。

 潮風を纏ってクルクルと風車のように長い袖を振り回している「それ」は女子生徒の制服だろう。中身のないスカートが酸欠にあえぐ老人のように無意味な呼吸をしている。

 創造主ラプラスを崇め奉る生活が生きがいだと信じていた。神は遍在すると教えられて、それを認識することができな自分に焦りを感じて遺体の間を歩き回った。殲滅教室受講生たちはパブロフの犬に食い荒らされていた。骨格をとどめていればいい方だ。大半が波にさらわれたり海鳥の餌場になっている。

 堅い岩を踏み砕いたと思って右足をあげると靴先に茶色の藻が絡みついている。その先端に髪留めを発見して、それが何であるのか理解した瞬間、腰が抜けた。

 小笠原星見は侵入者を倒すまで生きて帰るなと命じられた。だが、この惨状を見ると倒すべき敵と味方の境界が曖昧に思えてきた。神とは一体何か。敵とは何か。聖ラプラスを脅かす者だ。全能者はどうして神すらも恐れぬ存在を創造してしまう失態を犯したのか。彼女の中に疑問が噴出した。

 信仰の盲目を治そうと彼女は狂ったようにラプラスを探し求めていく。

 十代少女の肉塊を見て慟哭も興奮もしなかった。彼女は感動を完全喪失した自分自身に苛立ちを覚えた。内なる声に誘われるまま彼女は一心不乱で足を運んだ。それが呵責から生じた自家製の免罪符だと承知しており、自己欺瞞だと知りながらも、ついつい縋ってしまう罪悪感が停まらまい。彼女はとうとう泣き出した。

 浅瀬の先に小高い岩場のようなものが見える。ところどころに金属製の棒が生えており幾何学的な飾りがついている。それは明らかに人工物だと思われる。何かの遺跡だろうか。

 足が自然とそちらの方向に向く。内心いやいやながらも、じょじょに好奇心が頭をもたげてくる。胸中は憂鬱いっぱいで、とても対象について考察する気分になれない。だが、接近するにつれ、その遺跡の正体が予想から確信に変化していった。

 航空戦艦だ。

 間違いない。

 何となれば、崩れ落ちた尾翼とおぼしき部分に戦略創造軍(ハンターギルド)の紋章が刻まれているからだ。

 平和の卵を産む雌鶏が塩害にさらされてなお、色香を醸し出している。戦略創造とは正式には積極攻勢武力行使型戦略的平和創造活動という。

 最初は平和創出と呼ばれた。1990年代の国連ソマリアPKF活動を皮切りに国連軍は世界各地で紛争介入している。

 特権者戦争が終わって、大量破壊兵器が宇宙に流出した現在でも武器摘発の名のもと、戦略創造が続いている。

 彼女は目を凝らした。わずかな痕跡から識別番号が読み取れる。

 グスタフ・アルブレヒト記念財団 私設実験航空宇宙軍基地 所属番号 EGAH/CVA―716 マルヴィーネ・フッサーリア

 ひしゃげた船体の右舷に明かりが見える。慎重に近寄ると朽ち果てたエアロックに格子状の光が点滅していた。枠だけになったドアの外側に四インチ翡翠タブレットが埋め込まれている。そっと指を這わせてみた。

 パッと光の帯が広がって、小人が踊り始めた。将校の家族だろうか。身なりのいい子供たちが兵舎の庭でフォークダンスをしている。

 グスタフ・アルブレヒト記念財団がどこの国の組織かわからない。朽ち果てた機体の損傷具合からおおよそ七百年前、特権者戦争が終わるか終わらないかぐらいに進宙している。

 惑星プリリム・モビーレの地獄大陸で冥府軍と人類が凄惨な本土決戦を展開していた時代だ。

 彼女の心を未だ体験したことのない衝撃が貫いた。熾烈を極める戦いが今もなお続いているなか、地球から遠く離れて幾星霜も経た廃船の上で天真爛漫な女児たちが歌い踊っている。ホログラムの子供たちはフレアスカートをふわりと翻して、可愛らしいフリルのついたパンツをのぞかせている。血と硝煙が染みた戦争遺構を虚構(バーチャル)の子供たちが楽しそうに走り回っている。普段であれば恐れ震えあがり、近寄りもしないだろうに。

「何かが違う」

 彼女の中に疑問符が燃え上がる。ある思いが充満し臨界に達した。そして彼女なりの真実として核融合した。

 もしEGAH/CVA―716が公園として整備されていたら動画の子供たちはどんな反応するだろう。そこに刻まれた戦乱など一顧だにせず、思い思いの遊びを興じるだろう。児童はどんな境遇も遊び場に変えてしまう錬金術を持っている。

 換言すれば、本能という信仰に準じて活発化しているのだろう。

 聖ラプラスを崇めねばならないといった教義に拘泥するあまり、彼女は信仰の本質を見失っていた。神は己のうちにあるのだ。グスタフ基地の子供たちはいとも簡単に彼女の固執を解凍した。

「そうだわ! ユーレカ(これだわ)」

 小笠原星見(シア・フレイアスター)は銃を投げ捨てて航空戦艦の内部へ踏み入れた。

 マルヴィーネ・フッサーリアはライブシップである。航空戦艦が不沈とうたわれるゆえんは二重の生存戦略にある。第一はメイドサーバント。艦の生体端末でもある人間態が不老不死な人生を艦のメンテナンスに費やす。艦が大破すればあの手この手で再建に尽力する。第二はクローン培養システムである。メイドサーバントに万一の場合があれば、受精卵と成人させて最新バックアップ記憶を植え付ける。その機構はナノマシンのレベルで維持される。航空戦艦を殺すには二正面作戦が必要になる。

 ゆえに船がまだ形状を保っている以上、マルヴィーネは受精卵かヴァーチャルデータの形でどこかに生きているはずだ。

 星見は船と量子リンクしようとしてふと気づいた。

 自分はメイドサーバントではない。理由は定かでないが、教団の手によってヒューマノイドに転生させられている。

「ええい!」

 通路の壁をまさぐって非常用ライブシップ建造キットを探しあてた。生身の人間をメイドサーバントに遺伝子改造するナノマシン粉末と一抱えほどの小さな航空戦艦が封入してある。救命ボート代わり備えてある。に誰か適正者が貧乏くじを引く形でライブシップに転生するのだ。取説を開くとガールスカウトの幼女でも簡単に扱えるように図解してある。特権者戦争は年端もいかぬ子供たちが自衛を迫られるほど激しかった。シアはその渦中へふたたび身を投じる覚悟を決めた。スキンヘッドに量子リンクを密着させるためm電動バリカンのスイッチを入れる。前髪をかきあげ刃先をすべりこませた。蠅の王が唸るような振動音が頭蓋に響く。

 ■ 計算可能性爆弾、炸裂♪

 奇策戦術で知られる戦闘純文学者マリリンの次なる手はマックスウェルの悪魔を十二分に悶絶させたるだろう。

「コンピューター科学には計算可能性という計算分野があるのよ、聖ラプラスは宇宙規模の運動を決定できる容量を持っているらしいけど、組み合わせ爆発っていう割と原始的(プリミティブ)な手口でやっつけてあげる」

 彼女は涼しい顔でマックスウェルの悪魔に挑んだ。裏山の斜面に太陽光発電システムらしきパネルがずらりと並べられた。マリリンが術式を唱えると盤上にアラビア数字が行列をなした。チカチカと点滅して無理数が目まぐるしく変わっていく。そして四角い素子の各頂点には毛よりも細い針が生えている。そこから目に見えない熱線が校舎の敷地めがけて放射されている。

「5センチ角のセンサーセルが気温をモニタリングしているの。針はアルゴンレーザーを兼ねている。任意の座標をピンポイントで加熱できる」

「それでフィードバック・ループを攪乱するというの? あんたのカラクリも敵のフィードバックに吸収されると思うだけど」

 さっそく真紀が鋭い突っ込みをいれる。

「そうは問屋がアウトオブストックよ♪」

「アウトオブストックぅ?」と瑞乃が首をかしげる。

「欠品?」と真紀。

「そうよ。卸したいんだけど卸せないっていう、このムズムズした感覚。わかるかなぁ?」

 マリリンは翡翠タブレットとパネルの数値を同期させた。

「ここにあるのは現在の観測値。摂氏32.7711576……。摂氏32.7720133……」

 赤い行列の各桁から斜め45度下に指で打消し線を描く。

 そして、別のウインドウには今なぞった数字が行列していく。

「これは斜めの数字を抽出して作った新しい値。この惑星上のどこにも存在しない数値よ」

 マリリンが作りだしたのは対角線論法という群だ。分数で表記できない数字を無理数という。整数同士の隙間、例えば0と1の間に無理数は無限にあるのか、有限なのか検証する際に対角線論法が用いられる。正解は「無限に存在する」である。任意の無理数を羅列して、マリリンがやったように「斜め」の数字を拾い上げて並べると既存の列に存在しない新しい無理数を造ることが可能だ。このように幾らでも際限なく無理数を製造できる。

「ああ。何となくわかってきた。要するに架空のフィードバック・ループを挿入しようってわけね」

 瑞乃が言う。無理数を観測データに置き換えれば、対角線論法で敵のデータに無い数値を産み出せる。

「そーよ。マックスウェルの悪魔か何だか知らないけど想定外の観測値を混ぜられて大混乱になるわけ。これで計算不可能性の組み合わせ爆発、一丁あがり」

 マリリンが鼻歌まじりに画面を叩く。ソーラーパネルがぎらついた。フィードバック・ループが飽和した。

「危ない」

 瑞乃がとっさに防御結界を張った。溢れ出るエネルギーを避けきれるかどうかわからない。航空戦艦マリリン・メーソンが牽引ビームを発射して三人を回収。緊急ブースターを点火して成層圏に逃れる。敷地だった場所にキノコ雲が沸き立つ。


 パトス島は直径数キロ。小さな島の東半分が跡形もなく吹き飛んだ。クレーターの縁は黒土が硬質ガラスに変化している。航空戦艦マリリンは原子野戦部隊輸送機を地上に派遣した。高レベル放射性廃棄物あふれる都市制圧を前提とした完全放射能防護型大気圏往還機アトミックシャトルである。

 コックピットから見下ろすパトス島はやせ細った三日月に見える。

「我ながら凶悪な破壊っぷりね」

 マリリンは荒廃した世界を眺めて驚きを禁じ得なかった。

「地獄大陸の再現だと言われれば信じてしまうかも……」

 真紀はビュランス渓谷があった場所に量子オペラグラスを向けた。残留放射能は毎時750マイクロシーベルト。けっこうな線量である。もっとも戦闘純文学者の与圧結界なら余裕で防げる。

 黒焦げた大地の一部が赤紫色に変化した。量子オペラグラスが重力異常を検出したのだ。真紀は接眼レンズの映像をマリリンたちに量子リンクした。

「ほら、あそこの窪地。指で押したような楕円形のへこみが見えますか。その地下に花崗岩の構造物が埋まっています」

「真紀。そこじゃなくて少し東の方にレンズを向けて。高レベルのニュートリノ加熱が起きてるよ、あれは何かしら」

 瑞乃が自然環境には在り得ない異常放射を発見した。

「たぶんニオブ92かしら。放射性同位元素は反ニュートリノと融解熱を放射するの。高濃度のニオブ92は地球型惑星誕生の初期段階で生命発生に貢献したらしいわ。半減期は三千五百万年。惑星カトブレパスは地球よりも若い星なのかしらん。そう見えないけど」マリリンは理論と観測値のつじつまが合わないことに何らかの意図を感じた。

「あの付近だけ大気中のニオブ窒化物の濃度があがっている」

 真紀がオペラグラスの助言を読み上げた。

「真紀、オペラグラスに水素濃度を測定させて」

「双眼鏡、マリリンのいう通りにして頂戴」

 《測定完了しました》

 三人の視野にスペクトル分光結果が表示された。酸素分圧がカトブレパス大気中の平均値を二割ほど上回っている。

「これだわ! こいつが正体よ。どうしてもっと早く気づかなかったのかしら!!」

 瑞乃は自分の鈍感さをとても悔しがった。

「あそこで、いったい……何が……起こっているの?」

 マリリンがじれったそうに身を乗り出す。

「そうね。どこかの中二病者っぽく表現すれば、超新星から飛来した無機質知性体が無神論を摂取して繁殖行動している!」




 ■ ニオブ92の謎

「『超新星由来の無機質知性体』だなんて! 馬鹿みたいな表現しないでちゃんと答えて!!」

 一人蚊帳の外に置かれた真紀が怒りをあらわにした。

「あの近辺で人工的な光合成が起きているの。それだけじゃない。水が電気分解されている。酸素と水素が増加傾向にある。燃料電池が自然発生しているのよ。ニオブ92が恐らく触媒の働きをしているんじゃないかしらん」

 ウランをはじめ多くの放射性同位元素は超新星爆発の際に生成される。そのほとんどが惑星誕生の際に内核部分に滞積する。地球内部がドロドロに溶けているのも放射性同位元素の融解熱によるものだ。そのうち、ニオブ92はまだ惑星がドロドロに溶けている段階で揮発する。

 マリリンが瑞乃を捕捉した。

「つじつまが合わないのよ。それにニオブ92は超高効率の量子デバイスなの。戦闘純文学者の立場から言わせてもらえば、これは『認識を実体化させる能力』を持った知性が『因果律をねじまげ、大宇宙の意思に背いている』ことになる」

 このように大胆かつパワフルな宇宙論を振り回すのが戦闘純文学者リテラリストだ。

「つまり、あそこで酸素だの水素だの神様がせっせと創造しているってわけ? それはわかったけど、超新星から来た神様? が、どうして無神論を燃料にしているわけ?」

「認識を実体化させる人間原理に強弱があるように、無神論にも弱い無神論と強い無神論があるのよ。前者は神の存在を消極的な姿勢で忌避するのに対して後者は積極的に超越者を否定するのよ。わかる? これもある種の認識、精神活動よ」

「そして、心の活動は人間原理に働きかけて確率変動を操る。積極背教力(アクティブ・アポスター)」

 瑞乃とマリリンが声を揃えて、惑星プリリム・モビーレを滅ぼした人類の総意自体が強力なサイキック・エネルギーと等価なのだ、という。

 真紀は二人の話を黙って聞いていなかった。「あんたら本当に大丈夫? 超新星から来た神とやらに毒されちゃったんじゃない」

「調べてみれば? 幽子情報系(ソウス)スキャナーと精神波分光計は向こうよ」

 マリリンが操縦室後方の操作卓を指した。

 真紀がモニタスクリーンを見るまでもなくオーバーフロー警告が鳴り響いている。

「まだ信じられない! 超新星に神様が棲んでいるなんて聞いたことがない!!」

 彼女は頭で理解できても感情的には受け入れられない、とかぶりをふった。

「じゃあ、貴女に聞くけど」

 マリリンは逆に質問した。戦闘純文学がこれほどまでに世界を記述できる理由はどこにあるのか。理論は経験から独立した思考の産物である。

「それが物理的実在である対象と巧く合致する理由は何故なの? 戦闘純文学はあたしたち女子が発明した道具なの? それともどこかに真実の世界が実在していて、単に発見しただけなの?」

「そんなのわかるわけないじゃん! そもそも神と何のこと関係もないわ」

「正解は後者よ!  荷電粒子が磁場のない場所で磁場ポテンシャルを受ける現象がある。アハラノフ・ボーム効果。いわゆる『引き寄せ』とか赤い糸とか以心伝心とか、イケメンを見てピピッと来たってやつよ。アハラノフ・ボーム効果は運命的出会いを説明するわ」

「それって『考えるな、感じろ』って?」

「そうそう。超新星残骸の内部で電子の縮退圧が極限状態にある時、ループ量子重力理論の特殊解はアハラノフ・ボーム効果が顕著になると予言しているの」

「――じゃあ、『悟り』を得た縮退物質があってもおかしくないと?」

 真紀が絶句した瞬間、第一衛星コーパスクリスティが問いかけた。

 《神を信じるか》

 ■

 彼女は逡巡したあと小瓶を床にぶちまけた。非常用ライブシップ建造キットといえば物々しいイメージがあるが実際には粉薬である。大匙三杯ほどの粉末がもぞもぞと蠢いて棺桶を形作った。肋骨のような触手が逃げようとした少女をがっしりとらえる。

 うなじに刺すような痛みが走った。部分麻酔が彼女の首から下の筋力を奪う。小笠原星見g剃髪の辱めを受けるのは生涯二度目だ。キュッと瞼に力を込めた。アムンゼン・スコット基地でスカートをぱんつごと切り裂かれ、長い髪を無残に剃られた日を思い出す。生身の人間が航空戦艦になるためには戦闘純文学者の素養を身に着けねばならない。そのためには衆人環視の元で公開処刑を受けねばならない。認識を実体化させる能力は、不特定多数に認識されることから始まる。羞恥心が確率変動を操る力に火をつける。

 彼女は無数のカメラアイに取り囲まれた。性欲すら具有した機械知性の衆目が彼女に特別な視線を注ぐ。

「ひぁ……」

 目をそらした瞬間、額に痒みを感じた。頭蓋骨がビリビリと震える。はらり、と前髪が落ちた。バリカンがこめかみから後頭部へ、リンゴの皮を剥くように青白い地肌を際立たせていく。ロングヘアがドサドサと肩に積もる間、小笠原星見は航空戦艦シア・フレイアスターになった経緯を振り返った。

 特権者だ。何もかも特権者のせいだ。

 作戦ミスで彼女よりも幼い女子中学生二人がファイアードラゴンのブレスに焼かれた。確率変動を、在り得ない現象を日常茶飯事に変える精神生命体が、ファンタジー小説のドラゴンを実体化させ、罪のない少女に重傷を負わせた。

 だから、自分が――数少ない適合者である自分が――撃って出なければならない。

 《そうだ。原罪を背負うのだ。償え》

 コーパスクリスティの声が心の中に聞こえてきた。

「うっさいわね! わたしは自分の意思で艦に――」

 麻痺していた筈の上腕が発条のように動く。星見、いやシアは機械の肋骨をじわじわと押し広げていく。腐食した竜骨が倒壊し、カルシウムがぬめりながら自己組織化していく。朽ち果てた外装材が瘡蓋のように剥がれ落ちて、みずみずしい装甲が現れる。

 EGAH/CVA―716 マルヴィーネ・フッサーリアの戦闘指揮所に灯がともる。夜の街にネオンが輝くようにコンソールが賑わいを取り戻していく。ナノマシンは手近な資源をとことん利用するよう設計されている。朽ち果てた航空戦艦は格好のプラットフォームと評価されたようだ。分子機械が貪欲に惑星の地下資源を採掘し、再建資材を調達。みるみるうちに破損個所が修復されていく。やがてCVA―716は進水当時の輝きを取り戻した。

 天井から円筒形のガラスケースが落ちてきた。ガシャンと割れて瘴気と粘液をぶちまける。エメラルドグリーンに光るゼリーの中で裸体が絡み合っている。背中に鵞鳥のような羽が生えている以外に体毛はない。

「んっ☆」

 マルヴィーネ・フッサーリアは七世紀ぶりにあくびをした。「ん~~」っと大きく背筋を伸ばして、眼前の異変に気付く。

「なっ――何なの? この子」

 膝の上に自分と同じ年恰好の女の子が眠っている。しばらく戸惑っているとデータベースが更新された。

「……LCC−577 シア・フレイアスター?」


 CVA-714は映画の予告編を早送りするようにシアの遍歴を垣間見た。彼女が眠っている間に特権者戦争は史実になっていた。グスタフ・アルブレヒト記念財団は地球を見捨てて牡牛座のイプシロン――カトブレパス星系に新天地を見出した。だが、第一次予備調査隊は予想外の被害を出して植民地建設事業――と言えば聞こえがいいが、本当のところは人類の隠里(かくれざと)だ――から撤退した。

「むにゃ☆」

 ハゲ頭のエルフ耳天使がうわめ遣いでマルヴィーネを見上げる。視点が定まらないようすだ。遺伝子改造がまだ完了してないのだろう。

「わたしはグスタフ・アルブレヒト記念財団 EGAH/CVA―716 マルヴィーネ・フッサーリア。シア・フレイアスターちゃんね?」

「あふ♡」

 少女は不安そうに吐息を漏らす。

「とりあえず、シャワーを浴びましょう。積もる話はそれからよ」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「耐Gコルセットなんて使いません。今はセパレートハーネスで翼を留めるんです。はい、あんだ~すいむしょ~つ」

 シアはCVA-716の超生産機能を器用に操ってペラペラのショーツを織った。つま先をピンと伸ばし、裾に通す。


「あらあら。すっかり過去の人なのね」

 マルヴィーネは苦笑しながらそれを受け取ってビキニの上下を着る。シアに教えてもらいながら羽根をジャンプ傘のように折りたたみ、ホルターネックのタンクトップとレーシングショーツで縛る。

「はい。すく~る水着とれおた~ど」

 シアがするすると肩ひもを引っ張りあげる。旧式メイドサーバントのマルヴィーネは胸を収めるのに苦労している。

「授乳する必要があったんですか? 成長加速器があるのに?」

 鳩胸っ娘が物珍しそうに見つめる。

「第一次予備調査隊を最終移民団に格上げする計画があったのよ。戦況によっては……。プリリム・モビーレの無い星で次の世代を育てなくちゃいけない。幻におわったけどね」

 マルヴィーネはそれがよかったのか悪かったのか言葉を濁しながら丸首体操服クルーネックシャツとブルマを履いた。

「結局、人間はキリストを斬首し、閻魔大王に勝ちました。はい、ポロシャツとアンダースコート」

 白いスコートのホックを留めて、マイクロミニ丈の車ひだスカートをつまみ上げる。

「海軍の服を着るのね?」

「そうです。三途の川を最初に制したのはネイビーです」

 シアは赤いスカーフの結び方を教えながら答えた。

「ヅラを被って、はい、かわいい戦闘純文学者エロフさン♪」

「あらまあ。六百五十歳のロリババアには見えないわね」

 姿見の中のマルヴィーネが相好を崩す。

 ◇ ◇ ◇ ◇

 衛星軌道上のシア・フレイアスターがふたたび息を吹き返した。艦隊共同交戦システムを通じてマリリン・メーソンに無事の報告が入る。

「……ようするに、六百五十年前に地球を見捨てた自己中難民が先住民の返り討ちに遭ったと?」

 真紀は露骨に軽蔑してみせた。人類が一丸となって戦っている時に、終末思想を拗らせたカルト集団がいたのだ。彼らは地球脱出教徒と名乗って狂信的な富裕層から移民船の建造費を募った。

「ここで蒸し返してもしょうがないでしょ。今は玲奈と真帆を奪還する場合でしょうが!」

 シアは不毛な論争に水を差した。

「攻略法を考えましょう。超新星残骸は予備調査隊の資材を転用して衛星にプリリム・モビーレを実装したようね」

 瑞乃がカトブレパスの全体像を共同交戦システムにアップロードした。

「神は天国と地獄を建設したのね。死に対する恐怖で人々を律するために。天国はこれ……ていうか、コイツ」

 マリリンが衛星コーパスクリスティの「声」を再生して見せる。「彼」はしきりに踏み絵を迫っている。

「聖骸(コーパスクリスティ) キリストの死体を名乗るとはふざけるにもほどがあるわ。三番衛星の聖書(テスタメント)はいいとして、マウント・カルメルって何?」

 シナイ山脈よりも荒涼とした衛星を真紀が眺めている。

「地獄の大公爵よ。六十六個師団を率いる筆頭ともいわれる。そのバアル信者を予言者エリアが絶滅させた場所が、カルメル山」

「なるほど。瑞乃。地獄がらみってわけね」

 真紀が納得した。

「天国、地獄、聖書の三点セットまで揃えちゃって神様気取り満々じゃない」

 難攻不落に見えるカトブレパス儀を真紀がくるりと回した。神を名乗る惑星は人類圏に満ちあふれた無神論を滔々と汲み上げて、形而上への階段を登っている。人類圏星間量子放送キューエヌエヌは急進的聖ラプラス教徒に対する国連の無策ぶりを糾弾している。

「ねぇ。さっきから何を眺めているの?」

 マリリンがシアのパンフレットを覗き込んだ。

「邪教団のプレスリリースよ。御本尊を大々的に讃えてる」

 見開きページいっぱいに写真を掲載してある。本尊というのは偶像でも祭壇でもなく純然たる機械だ。四畳半ほどの平たい金属板に大きな水晶球が鎮座し、その周辺を人間の腕ほどのパイプや配線の束が這い回っている。

「ニオブ、ニオブ……」 瑞乃は顎に手を当てて、明後日の方向と交信している。

「そうだわ!」

 ポンと手を打ち、とっさの思いつきを喋りはじめた。

「その水晶はニオブ酸カリウムリチウム圧電単結晶に違いないわ。大量破壊兵器押収品武器庫ギルドアーカイブで見たことがあるもの」

「ハンターギルドのアーカイブにそんなものまであるんですか? どこが大量破壊兵器?」

 シアが目を丸くする。何でもかんでも、最近では「ウザい人物ですら大量破壊兵器認定してしまう」と悪評高いギルドであるが、人畜無害に見える占い師の商売道具まで目の敵にするとは!

「ピエゾ効果ってご存知? 水晶のような結晶体に圧力をかけると内部に電流が生じるの。逆に電気信号を振動に変換できる。古代のレコード針やイヤフォンに使われていたのよ」

「それの何処が大量破壊兵器? 確かに音波テロに悪用しようと思えば……でも、大量破壊は難しいんじゃない?」

「ピエゾ効果は人間の脳波にも影響を及ぼすのよ。ニオブカリチウム・ボールは人間の第六感を励起する」

「確かに非局在な通信機には使えなくもないけど、量子通信より効率悪そう。そのボールで全人類圏に邪念を飛ばして布教するには無理っぽい」

「ピエゾ効果がサイコキネシスを惹起するとしたら?」

 瑞乃はビュランス渓谷の地層断面図をホログラム投影した。教団施設の埋まっている地下部分はピエゾ効果に親和性が高い成分を含有している。

「だいたい見えてきたわ。拉致った人間をサイキックパワーの素子に利用しているのね。でも、どうやって破壊する? 目には目をサイキックにはサイキック? 戦闘純文学者とガチ勝負した前例はないわ。勝てるのかしらん」

 真紀がギルドアーカイブにアクセスして戦史を紐解いた。検索キーワードを工夫してみたがそれらしい記録はヒットしない。

「あります!」

 マルヴィーネがすっくと立ちあがった。


「六百五十年前の古典的な方法が通じるものかどうか、わかりませんが。グスタフ・アルブレヒト記念財団が独自開発した方法があります。対人類圏、対特権者を見据えた惑星植民地本土決戦用試作兵器が」




 知的生命体の存在証明はまず居住建造物に幾何学的な規則性を見出さねばならない、と言われる。ビュランス渓谷の偵察映像には確かに地下墳墓とおぼしき幾何学的紋様が鮮明に撮影されている。

 長方形の開口部は縦横二十メートル。北欧伝説に登場する巨人の住居を思わせる。入り口付近は白っぽい土砂がなだれこんでおり、計算可能性爆弾の破壊力を物語っている。

 しかし、人間の科学力が神に対する武器になる、とは手放しで喜べない。この建物は理論上無限大のフィードバックループに耐え抜いた。堅牢な神殿は理論物理学の枠外に建っている。狂信者はここぞとばかりに奇跡を主張するのだろう。


「ぶったまげたわ。これぞ『神』の懐深さってとこ?」

 マリリンが操縦席から転げ落ちる。真紀が邪教神殿の詳細を探ろうと量子オペラグラスをかけ直した途端に再び神の声が響いた。第一衛星聖骸コーパスクリスティが鷹揚に言う。

「目の前の真実を受け入れよ。神はここにおられる」

 瑞乃が即座に反論した。自明の理を前提として単純に神の存在を定義できない。その証明には主観でなく物理的客観性が不可欠だ。

「神は無神論者の妄信を打ち破ってみせた。眼前の奇跡を認めよ」

 なおも、み使いは猛反発する。

「救世主の押し売りはごめんだわ」

 マリリンは強要に屈することなく奇策戦術に打って出る。「奇跡だなんだともっともらしく言ってるけど、とどのつまりこいつは道具主義の権化よ。人間の物理学が奇跡の原理を記述できないからといって屈服する義務はないわ」

 瑞乃も黙っていない。

「狂信者の手合いはすぐ、断定したがるのよ。観察不可能な対象について語ることは形而上学の役割である。科学者の仕事ではないって」

「少なくともわたしは戦闘純文学者だわ。業務の範囲をわきまえている。信念に基づいて神を定義できる」

 航空戦艦マリリン・メーソンが可変翼をゆっくり伸長した。彼女は有能な賞金稼ぎである。狩猟の道具に不足はない。兵装パイロンに吊るされた青紫色の化粧箱がキラキラと輝く。それは見掛け倒しではない。

「いくわよ。プラグマティック弾ウィズ術式ぜんぶ乗せ!。戦闘世界文学【信念とは、ある人がそれにのっとって行動する用意のある考えである】」

 装弾架ウエポンラックがぱっくりと開き金盥のような臼砲が覗く。砲口の中心に燐光がじわじわ集中して白球が燃え上がる。

 パッと筒状のビームが薄くのびて、その内側を太陽が駆け抜けていく。マリリンは捕らわれた人々の安否などまったく配慮してない様子だ。二発、三発と白熱した砲弾を撃ち込んでいく。四発、五発目で島が空に舞った。文字通り、海抜部分が見えないスコップですくい上げていくように浮上し、宙返りした。続いてマグマが怒髪冠を衝く。

 戦闘世界文学はこの間の永劫回帰戦争で特権者カミュが人類に授けてくれた才覚だ。戦闘純文学の上位バージョンにあたる。天地創造に及ばないが、黙示録級の災厄ぐらいは朝飯前だ。第一衛星は沈黙を保っている。ぐうの音も出ないようだ。

「あの馬鹿、奇跡認定だけが信者獲得要件だと思い込んでる。やったれやったれ♪」

 奇策戦術のパイオニアに煽られてシア・フレイアスターも術式を揮う。

 島の周辺ではドカン、ドカンと花火のように溶岩弾が打ち上がる。

「ちょ、ちょ、大丈夫なの? 中に拉致被害者がいるのよ?!」

 木っ端微塵に吹き飛ばす様子に真紀は戸惑いを隠せない。

「人質ならあそこにいるわ」

 背後のディスプレイを指さすマリリン。第三衛星マウント・カルメルが病んだ姿をこちらに向けている。

「とっくに死んでいるってこと?」

 あっけにとられた真紀が天井を指さすと、マリリンはこくこくと頷いた。

 ずっとやり取りを聞いていたマルヴィーネが口を挟んだ。

「それならばわたしが参りましょう。これはグスタフ・アルブレヒト記念財団の根源的な問題です。ケリをつけねばなりません」


 ■ 第三衛星マウント・カルメル

 長大なトンネルに入ると誰でも閉所恐怖に陥る。その不安の原因はそこが不気味な暗闇だからというより先行きが判らないことにある。人生で経験する困難も同様だ。進退窮まって八方ふさがりに閉じ込められた時、今にも落盤するような圧迫感が試練となる。人は陥穽の中で無間地獄を味わうのだ。しかし、必ず出口はある。

「神は誠実な方ですからあなた方に受忍できない程の試練は与えません。むしろ、忍耐力と脱出の道を備えてくださいます」ラプラス生徒会長熊谷真帆は酷寒地獄のキャンプで陣頭指揮を執っていた。計算可能性爆弾で焼き払われた校舎は神の慈悲により間一髪で月へと逃れた。

 第三衛星マウント・カルメルは諸宗教の聖地であるイスラエルのカルメル山に肖って名付けられた。現地には予言者の再臨を願って発電所や工業プラントが建設されたのと同様、この星にも第一次探検隊が小規模な自家用超生産設備を整備している。

 生徒たちは雪下ろしに難儀している。女生徒が重いスコップで何度も何度も何時間もかかってようやく降ろし終えたのもつかの間、猛吹雪になり、除雪した量よりも多く降り積もった。

 ある生徒がうんざりしてスコップを崖から投げ捨ててしまった。

「なんで人力でやんなきゃいけないのさ。除雪機を造れば済む話じゃん!」

 カァンと金属音が谷底からこだました。その僅かな衝撃が雪洞に張り付いて大きく垂れさがった氷柱を揺さぶった。少女は胸に赤い花を咲かせて斜面を滑り落ちていった。

 助け上げようと数人が滑落現場に寄り集まる。脱いだ衣服でロープを造った。それを真帆が静かにたしなめた。どこからか鳥の鳴き声が聞こえてくる。針金よりも細い光を目で追うと、日差しに照らされた氷が少しずつしたたっている。

「空の鳥をみなさい。耕作も収穫も貯蔵もしません。けどあなた方の主がこれを養って下さいます。あなた方は鳥よりも進化しているではありませんか」

 真帆が託宣を述べると人々は泣きながら原罪をわびた。神は姑息な道具など用いずとも生きとし生けるもの皆を扶養しているではないか。生徒の一人がそっとスコップを手に取った。人々は聖ラプラスの名に恥じないよう勤労に邁進した。


「実践すればするほど聖ラプラスは真理だとわかるよ」


 三島玲奈は来るべき本土決戦に備えて残存兵力と弾薬を再点検していた。ハンターギルドはなりふり構わぬやり方で改宗者を奪還しにくるだろう。惑星破壊プロトンミサイルで星系を消滅させれば一千人の慙愧が人類圏に宗教改革の嵐を巻き起こすからだ。いったん、原理主義勢力が立ち上がれば民主制廃止のドミノが始まるだろう。ミサイル発射を延期する選択肢はない。狂信者の武装蜂起で人類圏はあと幾日も持たないからだ。国連安保理の最悪シナリオは惑星破壊後にラプラス教徒を武力鎮圧――虐殺することだ。たとえ奪還作戦が成功したところで、改宗者の社会復帰は望めまい。それどころか、彼らが溶血性大腸菌のようにモーダルシフター社会を蝕んでいく。

「どう転んでも神様の勝ちだよ。かあさん」

 対物狙撃銃が小笠原星見の肖像に向いた。


 ■

 残留ストロンチウムが渦巻く爆心地をふくよかな太腿が往く。薄く静脈が浮かぶナマ脚。臀部と脚部の境界線上で薄布がはためいている。堅牢を極めた神殿も戦闘世界文学の猛攻を耐え忍ぶことはできなかったようだ。冷え固まった御影石が蝋細工で出来た異世界を彷彿させる。


 地上に降り立ったのはマリリン、シア、瑞乃の三文士。放射線防護結界ごしに御神体を仰ぐ。磨き抜かれた水晶球が神々しい。

 マリリンの睨んだ通り建造物はピエゾ効果を最大限に活用したつくりだ。神代の昔からあまたの巨石文化が祭礼の場として築かれた。石材は人間の大脳と電気的に親和性が高い、。詠唱は石柱を震わせレコードの溝のように刻まれる。風や地電流など自然発生的な歪は蓄積され、参拝者や司祭の脳電流を刺激する。

 その電流がチクチクと頭皮に突き刺さるようだ。シアはたまらなくなってウイッグを脱いだ。


「こんなに硬い敵はみたことないわ」

 マリリンがセンサーを向けると縮退物質特有のアハラノフ・ボーム効果を検出した。硬度計が振り切れている。

「結局、人類は特権者戦争に勝っても神に負けたのかしらね」

「これが神だとは思えない。お粗末すぎる」

 瑞乃がシアの見解を否定した。

 宗教は世界史上で何度も自壊している。しかし文明が発展するにつれ幾らでも信仰が復活している。森羅万象を統べる者の凄みを理解していないからだ。

 《神を信じるか?》

 いきなり淡古印フォントが女たちの脳裏に飛び込んできた。


「あなたは?!」

 瑞乃が楷書体で問いかける。

 《汝らが神と崇めている存在だ》

「信者を募る存在のどこが超越者なの? 自分の複製したのなら、わざわざ信仰心を植え付ける必要ないでしょう」

 至極当たり前の質問をマリリンが投げた。神はボールを投げ返さず、天誅を下した。真紀がのたうち回る。

「返答に窮して逆ギレですか!」

「瑞乃。ここまでお粗末な本尊はみたことないわ。単なる中性子星産の野良AIじゃない。さっさと壊して帰りましょう」

 シアが強襲揚陸艦に惑星絨緞爆撃装置プラネットボンバーユニットのロック解除を命じる。

「そうね。第三衛星のほうはマルヴィーネに任せましょう」


 航空戦艦から召喚術が放たれた。三人の帰還を見計らってプラネットボンバーユニットが展開。タングステン弾頭が投擲された。ずっしりと重い金属の塊が位置エネルギーを加速度に転嫁する。御本尊がパッと発光する。猛煙が吹きあがり花崗岩が爆散する。


 マリリン・メーソン号の戦闘指揮所に喝采があふれる。


 《それは余の抜け殻だよ》

「「「――?!」」」

 《今度はずっと余のターンだ》

 淡古印フォントが嘲笑うと三人は悶絶した。猛烈な金縛りが肺をキリキリと締め上げる。窒息死しそうだ。

 《余はとっくに死んでいるのだよ。でなければ、何故に神などと名乗ろうか》

 ”はめたわね?!”

 瑞乃が叫ぼうとするが声にならない。

 ビュランス渓谷跡が水蒸気爆発した。火山灰が成層圏にまで達する。粉塵が激しく摩擦して放電が発生した。バリバリとほとばしって、航空戦艦を鞭打つ。

 《死ね》

 メーソン号のサブエンジンポッドに落雷した。

『右舷欺瞞永久機関モーダルシフターがやられました』

 サブシステムが悲鳴をあげる。

 機体がぐらりと傾く。ゆっくりと反時計方向に回転をはじめる。

 《我が寝所に召されよ》

 聖ラプラスの慈悲がメーソンの主翼を打った。中腹部分が爆散し、片翼がぐしゃりと捥げ落ちた。



 ■ 第三衛星マウント・カルメルとマッハ原理爆弾


「六百五十年前の古典的な方法が通じるものかどうか、わかりませんが。グスタフ・アルブレヒト記念財団が独自開発した方法があります。対人類圏、対特権者を見据えた惑星植民地本土決戦用試作兵器が」


 航空戦艦マルヴィーネ・フッサーリアが豪語して見せた決戦兵器とはいかなるものであるか。

 それは地球を捨てる決意をした人々の命運を握る重要課題でもある。特権者と人類が宇宙の「主観」を奪い合う世界で植民地が独立を保とうとすれば二正面作戦を強いられる。


 かたや大宇宙の意思に背き、かたや因果律に抗う知性体。そんな剣客と真っ向から対立して勝てるはずがない。


 財団がいくら気が狂った資産家の集まりでもそんな資源があるはずもない。もともとは、地球最後の日を憂いて地下核シェルターなぞ自宅に建造しちゃう偏執狂の親睦会である。だが、気違いじみた頭脳が結晶して確率変動攻撃を打ち負かす技術を完成させた。


 マッハ原理爆弾である。

 その原理を一言でいえば自然の摂理を逆用するものだ。


 水が入ったバケツを振り回すと遠心力が働いてこぼれない。この時、バケツが動く代わりに全宇宙が回転していると考えたらどうか。バケツは静止しているので水はこぼれない。だが、「運動の双方向性」を主張する相対性理論では、遠心力の代わりに全宇宙のあらゆる物質がバケツの水を抑えつけると解釈する。


 実証実験は不可能だ。それでも理論上は正しいとされている。

 そんな馬鹿な話はない。仮にその力が働くとして、この宇宙にはバケツ以外に回転する物体が無数にある。その一つ一つを認識してピンポイントに作用するというのか。また、無限の運動を御するためには無限大の力が必要だ。そもそも、エネルギー保存の法則はどうなるのか……。


 その真偽は揺れている。揺らぎあるところに確率変動あり。


 グスタフ・アルブレヒト記念財団の狂科学者たちはヒエロニムス回路にマッハの原理を組み込んだ。

「マッハ原理爆弾は大宇宙を味方につけるの」

 性懲りもなく入信の勧めが聞こえてくる。

 マルヴィーネはおせっかいな誘いをガン無視していた。


「アルブレヒト、あなたの見た『すばらしいもの』を見せてちょうだい」


 航空戦艦は軌道修正バーニアを吹かして第三衛星の軌道に乗った。




【後書き】

次回、最終回。




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