惑星カトブレパス

 ■ 惑星カトブレパス


 夕闇が深まって来た。つづら折りになった遊歩道をあがると木々の間から弱い日差しが淡い光の矢となって、谷底にわだかまる闇に虚しい戦いを挑んでいた。

 ブレーキのきしみに似た音がときおり、遠い断末魔のように丘陵の斜面を駆けあがっていく。

 ここに悪魔の育成をしている集団がいると言えば、大半の人は聞こえないふりをしたり、憐れみの眼で受診を薦めたりはしないだろう。

 確実に脅威の存在を信じ込ませる凄みがある。


「昆虫の熱源ひとつ検知出来ないわ。今日中に片付かなきゃ確実に赤字よ」


 暗視装置ノクトビジョンを小一時間ほど覗き込んでいたシアがぼやいた。


 待ち構えていたように玲奈が糧食レーションの袋を噛み千切る。


「長期戦略の展望を討議する前に充分なカロリー摂取が推奨されるべし」


 言い訳がましく、高蛋白質なサワークリームたっぷりのクラッカーを口いっぱいにほおばる。


「おか~さん、食べないの?」


 ぷりぷりのエビを鼻先に突きだされて、シアはゴーグルを外した。


「食後の眠気は命取りになるわ。夜戦を想定してるんでしょ? めっ!」


 無造作に食い破った銀紙ごとクラッカーを奪われて、玲奈は涙目になった。


 陽の光が稜線に隠れるころ、小高い丘をひとつ越えた草原に蛍光ブルーの光がきらめいた。

 二十一世紀の第五世代戦闘機を思わせる流麗なデザインの艦が、何もない空間からじわじわとにじみ出る。

 船尾のハッチが開き、丸顔のエルフ耳少女がスカートの中身をふわりと見せて着地する。



 きょろきょろと周囲を伺うと、彼女は虚空に呼びかけた。


戦略創造軍星図ギルドログ 仮符号/SGC-10457 カトブレパス七号星のパトス島……ここでよかった?」

『真帆? 今、着いたの? 玲奈と一緒にビュランスの谷で野営してるわ』

「おか~さん。あれ、持ってきたよ。おね~ちゃんの艦に積んである」

悪魔憑きデモナーたちに気付かれないように宙から降ろしてね』


 真帆は短いやりとりを終えると、純白の翼をオレンジ色にそめて西の空へ飛び立った。


 ■ ビュランスの谷の邪教団


 合流した母親と姉妹は突入作戦の準備に着手した。


 ギルドの依頼書に拠ればビュランスの谷の奥底で邪教団が悪魔とやらを育成中だというが、具体的な施設や人員構成など詳細は一切不明だった。


 風で乱れた前髪をかきあげながら、シアが一冊のパンフレットを取り出した。A4の両面印刷を二つ折りにした簡素なものである。


「てっきり武装の配置や規模ぐらい掴んでると思ったのに……」 


 ギルドのいい加減さに呆れつつ、乏しい手掛りから情報を読み取ろうとシア達は手に取った。


 古びた超高層ビル街を背に、くたびれた顔の中年男性がうなだれている。陳腐なメッセージ性を含んだ表紙だ。

 教団のあらましには「人類の歴史は無神論との戦いだ」と総括してある。


「なになに? 無神論……」


 こういう方面に目が無い玲奈が身を乗り出してきた。目を輝かせてむさぼり読んでいる。彼女が醸し出す怪しげなオーラに照らされてうっかり入信してしまっては大変だ。


 シアと真帆はそっと、その場を離れた。


「またお姉ちゃんの厨二病が始まっただ」 真帆が肩をすくめた。

「放っておきなさい。何か私たちが見落とした情報を嗅ぎ分けるかもしれない」


 カトブレパスの赤い月が中天にさしかかり、すっかり冷たくなったコンビーフの缶詰を温めていると、蝮酒を飲んだかのように瞳をぎらつかせた玲奈がやって来た。


 裏返った声で何やら同じ言葉を繰り返している。


「どうしたの? これでも飲んで落ち着きなさい」 シアがいれたてのジャスミンティーを差し出す。

 玲奈が興奮冷めやらぬ目で指し示すのは、悪魔というイメージとは全くかけ離れたピカピカのメカニズムだ。

 写真によれば四畳半ほどの平たい金属板に大きな水晶球が鎮座し、その周辺を人間の腕ほどのパイプや配線の束が這い回っている。


「これが悪魔を実装する技術?」 メカは友達だと標榜する真帆の琴線に触れたようだ。 


 魔法陣とも、血まみれの供物とも無縁そうなハイテク然とした施設だ。どこに悪魔が宿る余地があるのだろう。


「機械的な悪魔召喚はありえなくもないわ」 


 シアが言うには、悪魔を精神的なエネルギーの集合体だと定義すれば、エントロピー保存の法則に従うはずである。そうでない場合は存在すら許されない。


形而上学的な化け物バーチャルクリーチャーの存在を正式に認めている学問があるのよ。マックスウェルの悪魔、ラプラスの魔物、シュレーディンガーの猫、パブロフの犬は『物理学の四大生物』と言われてるわ」

「四天王かっ」

「ほ~ら、もうこの子、喜んじゃって。ノリノリじゃない」


 すかさず厨二反応を示す玲奈と、そんな隙を与えた養母を真帆がたしなめる。


「とにかく、敵の正体がだいたい絞りこめたからには殲滅あるのみよ。玲奈、厨二戦乙女を気取るならちょっとは仕事なさい」

「おねぇちゃん、おか~さんが、忌憚なき心眼で邪心軍団を聖太陽のもとに晒せってさ」


 梃子でも動こうとしない玲奈のプライドを、妹はいつも通り、母親のいいつけを翻訳した。


 厨二チックなプライドを刺激された姉の顔が、ぱっと輝く。


「戦乙女の名にかけて!」


 玲奈は肩にかかった髪をかき上げると、エルフ耳をそばだてた。彼女は分身である航空戦艦「アストラルグレイス」に脳波を送った。

 軌道上の艦は赤道上空で赤外線からガンマ線にいたるあらゆる手段で谷をスキャンした。

 チャンネルごとに撮影された詳細な映像が、脳波リンクを分かち合う母と妹に転送された。


 宇宙から降り注ぐミリ波の反射をとらえたところ、谷の斜面のそこかしこに砲台やミサイルランチャーが擬装されていた。これでは暗視装置にひっかからない筈だ。


 これらのカムフラージュは「空気を読む」仕様、つまり周囲の気温や電磁波を検知して、それに溶け込むように自信を適応させているようだ。

 分厚い大気を突破するミリ波を中和しようとすれば、莫大な電力を必要とし逆に目立つから無駄だ。


「マックスウェルの悪魔が徘徊しているッ」


 忌憚なき心眼ミリバンドレーダーで数々の隠匿物資をあぶり出してきた玲奈が嬌声をあげた。四大生物の一匹はもちろん毛皮を纏って咆哮をあげるような実体を伴った獣ではない。簡単にいえば、混ざった砂糖と塩を結晶ごとに分別して、混合する前に戻すような曲芸をやってのける仮説上の存在だ。物理学的に不可能に近い困難を実現できる者は悪魔しかいないとされる。


「睨んだとおりだわ。こんな技術を拡大発展すれば、いかなる混乱収拾にも応用できる。モビックハンター シア・フレイアスターはこれを大量破壊と認定します。皆さんはいかが?」

「戦乙女的にも同意」

「サンダーソニア・オーランティアカは二名以上による認定を確認。正式にこれを記録しました」

「「「レディ! 執行開始シーズ」」」


 玲奈が真っ先に声をあげ、コンマ数秒遅れて二人の女が声を重ねる。

「玲奈は、艦を降ろして」

「真帆は惑星爆撃機プラネットボンバーの準備よ」


 三人の天使はてきぱきと弾薬箱を積んだり、重火器のセーフティを解除したり、夜襲の準備をはじめた。

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