辺境伯令嬢チェルシア・メイプルフォード

「こんなに積み上げて地震でも起きたらどうするんだね。それにこれは何だ」

うら若き乙女の聖域に焦げ茶色の怒号が響き渡る。糊のきいたシーツをめくってみれば出てくるわ出てくるわ古文書の類。それもびっしりとベッドサイズに平積みされている。つまり愛娘は本の床に就いていた。そればかりでなく書架が撤去されかわりに学術書が壁を築いている。まるで本の家だ。

メイプルフォード伯爵はどうしたものかと考え込んだ。確かに勉学に励めとはいった。しかし何事にも限度がある。忌まわしい過去は未来の栄光に照らされる。転生処置後の身体は心もまだ不安定でチェルシアという新しい名前に本人も馴染んでいない。しかし連合王国の義務教育制度は個人的な事情を酌量してくれなかった。彼女が毒杯を仰いだ時期が桜の咲く前で幸いだった。古城が丸ごと買えるほどの礼金を積んで魔導士の扉を叩いたのだ。新学期は着任したばかりの辺境伯令嬢として元気に登校して貰わねばならなった。何が何でもだ。

家庭事情を抱えたままあらぬ噂を立てられ統治に支障を来す余裕はなかった。規定以上の収穫をあげ租税で古城を買い戻すのだ。亡妻のためにも。

過去を忘れることだ。それが一番の薬になる。伯爵は娘に言い聞かせた。

「しかしお父様。こうして安静にしておりましても天井のシミや窓から射す月明かりが不定形なわだかまりとなって私を苛みます」

チェルシアは枕に伏した。そこで辺境伯は父の威厳を示した。

「学生の本分は勉強だ。迷うことなく励め」

激励の結果がこれだ。そして娘は今朝も翼竜の背にひとかかえの百科事典を載せてアカシア学園へ飛び立った。

「お館様」

侍従が心配そうにベッドサイドで佇んでいる。辺境伯も責め立てる気は毛頭ない。むしろ娘の異変を臆せず報告してくれた。モニカを追及から護ってやらねばならない。チェルシアは父親の侵入に激怒するだろう。即座に問いただすつもりだ。ただ戒めの言葉が浮かばない。

「どうしたものか…君の知恵を借りたい。同じ女としての…」

「あいにく私めの子はおりません。産まれてすぐに値札を貼られました」

「そうだったな」

メイプルフォード拍は気まずいまま部屋を出た。

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