GoTo異世界
水原麻以
「おい嘘だろう?」
「おい嘘だろう?」
「今さらふざけんなよ!」
「こんな12月半ばにいわれても!」
「今さら人生変えられっかよ!」
寒風吹きすさぶ師走の空に怨嗟の声が渦巻いている。しかし、いくら叫べどわめけどそれらは虚しくかき消される。
いや、そもそも下界に届く事はなかった。
一方、対応に追われる側は空調が行き届き、飛沫感染とも無縁の快適な湿度管理のもとで対応に大わらわだ。
「はい!それはまことにお気の毒で」
「心中お察しします」
「いや…その…返せと申されましても…」
「他の償いでしたらいくらでも…」
ひっきりなしに電話は鳴り響く。対応する職員は三交代制で当たっているが人数に限りがある。部屋の隅の簡易ベッドには疲労困憊した担当者の屍累々だ。
目元に隈をつくり髪は汗と埃にまみれべとついた肌でシーツに倒れ込む。横になっていた交代要員がむっくりと重い腰をあげる。動作はスローモーション。
まるで生きる屍のようだ。
「なぁ…」
しわがれ声で隣の男が問いかけた。
「なぁ。新田、これじゃどっちが死んでいるんだかわからねえぜ」
「俺もだ…」
ゾンビがボサ髪を手櫛で撫でつける。
「そうだな。考えてみりゃ生きてるか死んでんだか区別がつかねえよな」
「俺もそう思う…でもよ…
新田は血走った目をした自分を鏡面に見出した。そして自問する。何で死んだも同然の連中のために死んだようになって働かなくちゃいけないんだ。
「ちょっと、新田君!」
鳴り響くベルに負けじと担当部長がトーンをあげる。収穫した秋ナスのごとく右手に受話器が四つぶらさがっている。
その一つがヒステリックに苦情を訴える。
「…どうしてくれんの? うちの人を返してよ」
新田は脱兎のごとく駆け寄った。そしてコードを解きほぐし、くだんの受話器を耳にあてた。
「お電話かわりました。新田と申します」
電話の主は新婚ほやほやの若い女だ。新郎一家が出発したまま帰ってこないという。自分は業者のトラブルで出遅れた。その矢先にこの騒ぎだという。
「どうしてくれんの! 大金持ちになって帰ってくると言ってたのにー」
どうやら酔っぱらっているらしい。電話口でギャン泣きを始めた。その悲痛な想いが新田をザクザクとえぐる。
(泣きたいのは俺のほうだよ。行くこともできやしない)
その日、新田の職場のみならず異世界観光庁は機能が完全に麻痺状態にあった。
政府が閉塞状況を打開すべくしかけた起死回生の大事業。
GoTo異世界がとん挫したのだ。
事態悪化を回避すべく首相官邸は苦渋の決断を迫られた。
未明に急転直下、鶴の一声で決定した「GoTo異世界中止」。
縦割り行政打破をめざした鳴り物入りの政策が裏目に出た。責任の所在が横断的に分散したため関係各所の調整に手間取りかえって足手まといとなったのだ。
当初の計画では国民に異世界転生をうながし、トラック運転手の自動車危険運転致死罪と賠償責任を政府が肩代わりすることで余剰人口を異世界に傾斜させることになっていた。
異世界に転生した当該者は資源も自然も豊かな環境で立身出世し成功者となって再び現代日本に戻ってくるといういわば他力本願的かつやけっぱちな奇策だった。
ところが濡れ手で粟の目論見が盛大に滑った。
「後手後手の何乗かというぐらい遅れた結果、かえって国内経済に多大な打撃を与えてしまった。政府は万死に値する!」
野党は怪気炎をあげた。
それに対し聴衆から「おめーが死ねよ!おめーがよ」
「GoToに反対してた癖に止められない無能」
「死んでわびろ!」
街頭演説会に四トントラックが突入した。野党党首と支持者が輪禍の犠牲となる。現場は騒然とした。
横転した運転席から血まみれの男がよろよろと降りてきた。
「お前らがちゃんと責任もって逝った人々を連れ戻してこい」
言い終えると血の海に沈んだ。
『恨めしや…』
いつもと違う活気の死んだ街に後悔と慚愧の念が漂っている。
◇ ◇ ◇
「本当に何と言ってお詫びしてよいやら…まさか異世界が転生勇者の魂をロックダウンしてしまうなんて…ええ…ご冥福をお祈りいたします」
新田はようやく相手を納得させると電話コードで自身を絞めた。
「やめなさい!」
担当部長に受話器をもぎ取られる。
「わたしだって死ねるものなら死にたいわ。でも、転生したってどうにもならないってわかったじゃないの」
ゼイゼイ、と咳き込む新田に馬明日が寄り添う。
「俺も死ななくてよかったとつくづく思う。なぁ…ここからは俺の推測なんだが…GoToって体のいいゴミ掃除だったんじゃないか」
新田もうなづく。「陰謀論的人口削減政策って奴か。そうかもしれないな」
すると担当部長がタイトスカートに腰をあてて怒った。
「二人とも生きる証を立てて頂戴。ゴミみたいな雑談してないで」
「へぇへぇ。働きますよ」
新田が机を松葉杖がわりに立ち上がった。
「人使いの荒い人だ。あんたがGoTo…」
馬明日もついペースに巻き込まれて軽口をたたいた。
「ぁんですってぇ! 断捨離するわよ!!」
「すんませんすんません。うへぇ。部長、電話が鳴ってますよ」
「うるさい!」
二人は棚をなぎ倒し申込書類を蹴散らしてくんずほぐれつ喧嘩を始めた。
「やれやれ…またかよ」
新田は重い足取りで箒を取りに行った。
GoTo異世界 水原麻以 @maimizuhara
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます