第8話 風呂場でご主人さまと僕に囁いている 8

「こんな時に……」

 と言いながら銀河が電話に出ると、彼にとって聞き慣れた、綺麗な声が聞こえてきました。

「もしもし、天河くん?」

「あ、うん……」

 その声は、銀河の彼女の一人である、天宮綾音でした。

 地元の名家天宮家のお嬢様である彼女は、銀河とは親密な仲です。

 しかし今はこの場にトレアリィ、さらに美也子もいます。

(なんでこんな時に綾音が……。こんな状況、知られたら修羅場確定だ)

 銀河は、とりあえずその場をやり過ごそうと、声を整えて言いました。

「ちょっと今立て込んでいるんだけど……」

「わかっておりますわよ」しかし、綾音は何もかもお見通しという声で言いました。「その上で申し上げますが、これからそちらの方にお伺いいたしますわ」

「え……?」

 銀河は、その言葉で衝撃を受けました。

(こっちに誰か居ることを既に知っている……? やっぱり、さっきのは……)

 その時、銀河は気が付きました。スピーカーから流れる、車の走行音や鳥が鳴く音。

 そして、近くで女性、しかも若い子達が喋っている声に。

 銀河は、綾音に矢継ぎ早に質問しました。

「今外にいる? それと誰かと一緒にいる?」

「ええ」綾音は、気がついてほんとうに嬉しいというような声で答えました。「今、外でございますわ。北村さんと、東山さんと、南野さんと、西川さんと一緒ですわ。みんなもそちらに向かいます」

「あ、ああ……」

 北村さん達は、銀河と仲のいい女子グループの一つですが、どちらかというと綾音の取り巻きと言った方がいいグループです。

「じゃあ天河くん〜。後で会おうね〜。じゃあね〜」

 綾音が最後の挨拶を、別人のような可愛らしい声ですると、そのまま電話は切れました。

 銀河は、静かにスマホを机の上に置きました。

 トレアリィのコップが、汗をかいていました。

「どうしたの? 誰から?」

 美也子が、猫のように目を細めながら言いました。その視線は厳しいものです。

「いや、友人から。ちょっと遊びに行かないかって誘われたんだけど、忙しいって言ったらわかったって」

「ふーん……」

 彼女は、銀河の言葉を少しも信じていませんでした。

(どうせまた彼女の誰かから誘われたんでしょ? まったく、このハーレムモテ男が。またいつものこと。いつものことだけど……。なんか、悔しい)

 ただ一つ、美也子はため息をつくのでした。

 それから美也子は、銀河から視線を移し、テーブルの上に置いてあるトレアリィの黒い端末に目を向け、質問します。

「そういえば、そのスマホ、一体どうなってるのよ? ホログラム出せたり、メイドを呼び出せたり……」

「さっきも言ったように、最新鋭の量子コンピュータに、様々な機能がついているでやんすね」

「とにかく小さくてすごいコンピュータと考えればいいわけ?」

「あんさんがそう思うんであれば、そうなんだろうけどな、あんさんの中では……」

「なんかバカにされてる気が……」

「そうでやんすかね?」

「……」

 美也子の抗議を、ディディは見事に受け流しました。彼女は一枚も二枚も上手のようです。

「あと、これには転送能力も備わっているでやんすね。人数とかは限定されるでやんすが、結構遠距離まで転送できるでやんす」

 ディディの説明を聞いた瞬間、美也子の片目が、キラリと光りました。

 それはまるで獲物を見つけた猫のようでした。

「ははーん……。ねえ」

「なんでやんすか、美也子はん?」

「それで母船へ転送すればいいじゃない? みんなも心配しているし、帰ったらどう?」

「追っている相手に傍受されて、横取り転送される可能性があるやんすよ。なので、安易な転送は危険でやんす」

 とディディは間髪入れずに回答します。美也子はそれを聞き、小さく舌を一つ打ちました。

 そのとき、ソファの近くに立っていた銀河がトレアリィの横に座り、

「……わかった。僕がそのストーカーから守れるだけ守ってあげるよ。何ができるのかはわからないけど」

 トレアリィを見つめました。その視線には優しさがあふれていました。

 その時美也子は気が付きました。銀河の雰囲気が変わったことに。

(またいつもの、モテ癖が出たわね……。こういうクサイセリフを言う時は、ああいう感じになるのよね……)

 それを知ってか知らずか、トレアリィの目が、潤みます。

「本当、ですか……?」

「うん」

「ありがとうございます、ご主人さま……」

 トレアリィは銀河にすり寄りました。

 彼女の姿は、まるで可愛がってもらったあとの犬のようです。

「うわ、犬みたいに銀河にすりよるな!」

「?」

「どうもあんた、犬っぽいのよねぇ……」

「犬って……。それって、ザウエニアにいるブリンク・ドッグですか? それともダイア・ドッグですか? それともハデスにいるケルベロスですか?」

 その言葉に、美也子は顔をしかめました。

「ケルベロスって……? あの三つ首のでっかい犬?」

「そうですよ? あの大きな三つ首の犬です。警察犬や軍事犬としてよく使われる」

 そう聞くなり、銀河と美也子は顔を見合わせました。

「あ、ああ……? トレアリィ?」

 そう言いながら、銀河はソファから立ち上がり、リビングの本棚にしまってある百科事典を取りに向かいました。

「えっと、犬は……っと。あった」

 大きな百科事典を開いて持ってきた銀河は、トレアリィに犬の写真を見せました。

 すると彼女は嬉しそうな顔で、笑いました。

「あ、これですかー。私達の星やザウエニアにも、こういう犬は一杯いますよー。レンジャーとかドルイドの人達とかがよくペットにしていますよー」

「レンジャー? ドルイド……? なんでファンタジー……?」

 美也子の疑問を打ち消すように、銀河は、

「地球の犬がわかったところで、ごはん食べようか。ミャーコが夕食持ってきたしね」

 満面の笑顔で、異星の姫様に告げました。

 トレアリィは、餌を見つけた猫のような表情で、はい、と一つ首を振りました。

 すると美也子も、銀河の言葉に、昔見た景色を再び見た時のような顔をして、言いました。

「そうだった。冷蔵庫に入れたままだったわね。ごはんや味噌汁も作らないとって、銀河?」

「なに? ミャーコ?」

 美也子の怪訝な顔に、銀河は顔を斜めに傾けました。

「あんた、ナチュラルに異星人と仲良くしているけど、その子人間じゃないのよ? それでもいいわけ?」

 美也子の問いに、銀河は、人には二本の脚があると同じだろ、というような顔で言いました。

「え? そんなもの決まってるじゃない。可愛いからいいんだよ。それに、よくわからないけど、困っているらしいから助けるのは当然でしょ?」

 美也子は、顔を大きくしかめました。

 男らしいといえばそうなのですが、彼女からしてみれば心配で仕方がありません。

「あんた、騙されても知らないわよ……? と言うか完璧に恋愛商法に騙されてる人のそれよ、あんたの発言……?」

「騙されてもその時はその時さっ。さあ、ごはんにしよう」

「どうなっても知らないけどね……。さて、ごはん作らなきゃね」

 美也子は表情を無理やり変えると、袖をまくって立ち上がった、その時でした。

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