幕間 監視者と運び屋
アスガルドに魔攻士として生まれて自分は幸せだったのだろうか、そんなことを彼、ニール・スレイプは時折考える…………客観的に見れば幸せなのだろうとは思う。戦場に追い立てられ巨人機に怯える下位魔攻士からすれば羨む以外にない立場にあるのだから。
長老会直属の運び屋、それがニールの立場だった。彼が生まれた時に持っていた魔法は空間転移。それは自分以外にもう一人移動させられる程度のものだったが、代わりに移動できる距離だけは長かった。
遠く離れた戦場に魔攻士を送り込むのが運び屋の仕事であり、一瞬で長距離を転移できるニールは高く評価された。数を運べなくてもアスガルドには一騎当千の存在は数多い…………そんな彼らをピンポイントで戦場に送り込める能力は非常に有用だったのだ。
そんなニールが長老会の直属になったのはある意味必然だった。長老会は下位魔攻士をゴミのように扱うが高位魔攻士は丁重に扱う。危険な戦場に高位魔攻士を素早く送り込み、任務終了と同時に安全地帯まで素早く回収することのできる彼は非常に重宝されたのだ。
しかし長老会の直属となると逆に本来の仕事は減った。なぜなら彼らは高位魔攻士を失うことをひどく恐れており、実力の高い高位魔攻士ほど出撃回数が少ないという状態だったからだ。
代わりに増えたのは長老たちの私用や裏の仕事とも言える運搬だった。特に後者で多かったのが監視者を運ぶ仕事だ。
監視者は長老会の直接的な目である。彼ら以外が知る必要のない重要な情報や、確実に入手する必要のある情報を得るために派遣される情報収集に特化した魔攻士。監視者は時にはスヴァルトの重要施設を丸裸にし、時には味方であるはずの魔攻士の動向を把握する。
その仕事の内容がないようだからかニールが運ぶ看視者は時折入れ替わった。単に別の仕事の回されたのか、それとも消されたのか…………いずれにせよ彼は
監視者との関係は付かず離れず…………その方針が崩れたのは一人の少女が目の前に現れてからだった。少女はこれまでに見たどの監視者よりも若く、そして未熟に思えた。
早晩少女はその未熟さの代償を支払うことになるだろう…………そう思ったら自然とニールの口からは忠告めいた苦言が発せられていた。
それが何かの感傷だったのか、自分の中に善人じみた感情が残っていたからなのかは未だにわからない…………ただ一つ言えることはそのおかげで自分はまだ生きているということだけだった。
もっともそれが幸せなのかどうかは、やはりわからないままだが。
◇
「おーい、おじさん。なにぼうっとしてるっすか」
「…………何度も言わせるな、俺はまだおじさんと呼ばれる歳じゃない」
見渡す限りのジャングル。蒸し暑く、お世辞にも快適と言えない場所に張られたテントの前でニールは椅子に腰かけていた。声を掛けられて浮かしたその背は汗で湿っている。不快ではあるが彼の魔法は生活環境をよくできるようなものではない。
「それならもっと若々しい表情をして欲しいっすね」
「…………」
このやり取りももう何度目だろうか。出会ったあの日から思い出すと数えきれない。しかし目の前の少女、イム・ヘダルの姿は当時に比べて随分と大人びたようにも思える。気づかないだけで彼女もやはり成長しているのだろう。
「マジでどうしたんすか?」
そんな彼の様子にイムは怪訝な表情を浮かべる。
「少し、昔のことを思い出していただけだ」
「それこそおっさんのセリフだと思うっすよ?」
「…………」
減らない口だけは変わらないとニールは顔をしかめる。
「ところでここ暑くないっすか?」
「暑いな」
気温自体はそれほど高くはないが、湿度が高いので非常に蒸し暑く感じる。テントや椅子はスヴァルト軍のものを回収したものを使っているのでアスガルドのものより快適だが、それもこの不快感を解消できるほどの性能ではない。
「自分らの任務ってまだ結構先だと思うすけど」
「そうだな」
ニールの仕事は以前と変わらず監視者であるイムを運ぶことだ。しかしそれは指定された期日までに彼女を運べばいいというもので、その期日にはまだ余裕がある。彼の魔法の性能であれば当日に運んでも問題なく間に合うはずだ。
「だが長期の任務となれば下準備も必要だろう」
今回イムの与えらえた監視任務はそれなりに期間がある。状況の変化を見逃せない以上は一旦首都に戻るようなことは出来ずこのジャングルに滞在することになるだろう…………で、あれば事前に過ごしやすい拠点を作るのは必須だ。
「それはまあ、わかるんすけど」
別にイムだって何日もジャングルで着の身着のまま過ごしたいわけではない。その意味で言えばニールの意見はもっともであり非常に助かる。
「でもそれならニールがここにいる必要はなくないすか?」
彼はあくまで運び屋でありそれ以上の仕事はない。端的に言えばニールはイムをこの場に運びさえすれば滞在する必要はない。一度首都に戻って指定された回収日に再び転移してこれば済む話なのだ。
「拠点を作って放置というわけにもいかんだろう」
人の気配がなければ動物はやって来て荒らすものだ。
「お前の方こそ俺に付き合う必要はない」
ニールとしては任務の下見としてイムを連れて来ただけだ。それが済んだのだから当日まで彼女は首都で任務の為の英気を養うべきだろう。
「いやだって、私だけ帰るのはなんか悪いじゃないっすか」
本来の仕事でもないニールだけに自分の為の拠点の維持をさせるのは座りが悪い。
「気にするな」
「気にするっすよ」
イムは大きく溜息を吐く。昔の彼はイムに対してもそっけなく、何をやるも自由だが自分を巻きこむなというスタンスだったはずなのだ。
「あー、もしかして国の方に居たくないんすか?」
思い至ったようにイムが尋ねる。国から離れたいから言い訳が効く範囲でこのジャングルに留まる…………単純ではあるがそれほど間違っていないように思えた。
「…………」
ニールはそれに答えなかった。正しいから答えないのだとイムにはわかった。
「こちらに付いたこと、後悔してるっすか?」
「お前には感謝している」
首を振り、正直な気持ちをニールは返す。
「お前の保証がなければ俺は今生きていなかっただろう」
グエンによる長老会への反乱がおきる数日前、ニールはイムからこれから起きる反乱について聞かされた。最初は無謀だと思ったがグエンの呪いが解かれていることを聞かされると、それは成功するものだと確信した。
なぜ自分にそれを明かしたのかニールがイムに尋ねると、反乱に際して彼も排除対象となっていることを伝えられた。長老会を逃がすわけにはいかないグエン達からすれば運び屋を警戒するのは当然のことだろう。
事前に味方にできそうな運び屋には声を掛けていたらしいが、長老会に近いニールはその対象から外されていた。
それに反対し半ば独断でイムはニールに
「ニールの力なら、グエンからだって逃げられたかもしれないっすよ?」
「いや、無理だろう」
その仕事柄グエンの実力はニールもよく知っている。
「俺が逃げられる範囲程度、炎の魔王は焼き尽くすことが出来るはずだ」
馬鹿馬鹿しいがそれが事実だ。
「イム」
だから、とニールは少女を見る。
「俺はお前の誘いに乗ったことを後悔しているわけではない」
死ぬよりは生きていた方がいいと彼は思っている。
「だが、炎の魔王やその取り巻きを俺は好きにはなれん」
それが二―ルの素直な気持ちだった。長老会時代も、ムスペルの時代になっても彼はその立場を維持することが出来た…………だが自分は幸せなのだろうかと迷い続けている。それはつまり自分の仕事に意義が持てない、ひいては彼らに忠誠心を抱けていなかったからだろう。
長老会は言わずもがな、その支配からの解放を掲げたはずのグエン・ソールはよりひどい独裁体制を敷いている。彼は自らの敵を認めず、それどころか敵になりえないはずの弱者すらも必要ないと粛正している…………それを良しとし彼に媚びるその取り巻きたちもニールには気に入らなかった。
「…………そうっすか」
それを悲しそうにイムは受け入れる。ニールは彼女とグエンの関係を知らないが、その態度からイムが彼を慕っているのはわかる。だとすればグエンのあの変貌ともいえる独裁にも何か理由があるのかもしれないが…………それをニールは知る気もしない。
「俺は小心者だ」
不意にそんなことをニールは口にする。結局のところ全てはそれなのだ。だからこそ気に入らない相手にも
そして今も彼女から詳しい事情を聞くことを恐れている。聞く事で自分が引き返せない場所に踏み込んでしまうことを避けるために。
「い、いきなりなんすか?」
それに困惑した表情をイムは浮かべる。
「一度だけだ」
そんな彼女に構わずニールは言葉を続ける。
「一度だけ、お前が望むならどんな仕事でも俺は引き受けてやろう」
だがそれでも、小心者にも意地はあるのだ。
「誰をどんな場所にでも、俺は運んでやろう」
命を救われたのだから、一度くらいは勇気を振り絞るのも悪くはない。
「だから、いきなりなんなんすか!?」
「覚えておけ」
困惑するイムに一方的にそう告げて、ニールは再び椅子に背を持たれる。周囲は相変わらずのジャングル…………しかしその不快さは僅かに和らいだように思えた。
それが自身の心境の変化のせいかどうか、ニールは確かめようとは思わなかった。
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