エピローグ(一)
かつん、かつんと音を立てながら美亜は薄暗い格納庫を歩く。普段は研究者で賑わうその場所も今は二人だけ。元より就業時間外ではあるが、彼女の用件が済むまでの間誰も入らぬよう念の為に入り口に警備を立たせている。
監視カメラの類も切らせてあるから、ここでの会話は二人の記憶以外に残されることはないだろう。
「起きてますか?」
二メートル四方ほどの真っ黒な塊。そう表現するしかない物の前で美亜は足を止めた。
「暮雪、美亜」
空気が直接振動したような響く声が美亜の耳に届く。おかしそうに彼女は表情を緩めた。
「自分で声を掛けておいてなんですが、本当にその状態で返事ができるんですね」
Y‐01だった物はその機能を完全に停止している。外部スピーカーなんて機能どころかそもそも今は存在してない。機能を停止していて且つ外部に音声を出力する装備も失われてるのだから、それは普通に考えればオカルトの領域だ。
「その理由はわかっているはずです」
「ええもちろん、あなたを生み出したのは私ですからね」
だから理屈で理解はしている…………もちろんそれと納得は別の話だが。なぜなら全てが彼女の理屈通りに進んでいたらこんな結果は起こり得なかったはずなのだから。
「哉嗚は…………無事なのですか?」
「ええ、検査の為に入院していますが大事はないと聞いています」
機体の七割が焼失した状態で回収された時には当然パイロットの生存も諦められていた。しかし蓋を開けてみればコクピット周りは無事でありブラックボックスも原型を留めていた。
もちろん哉嗚も無傷とはいかず重度の熱中症のような状態になっていたが、機体の状態を見れば生き残るには軽すぎる代償だったと分かる。
「大したものですよ、あなたは」
それもこれもユグドと呼ばれる彼女が彼を全力で守ろうとした結果なのだろう。
「あなたに…………お前に褒められても嬉しくはありません」
「でしょうね」
わかり切った事実として美亜は受け入れる。
「まあ、私も別にあなたに好かれに来たわけではありません。これから必要なことを確認しに来ただけですから…………あなたの今後の話とかね」
「っ!」
空気が震えて自分にぶつかったように美亜は感じた。もしも目の前の少女が生身で話していたら歯ぎしりが聞こえたかもしれないと彼女は思う。
「私を、これから出せ」
それは憎悪と殺意の込められた声だった…………従わなければ殺す、そう言った類の。
「別に構いませんが……」
脅しに屈したというわけでもなく美亜はそう答える。元より自身への死は前提として行動している彼女にそう言った脅しは通用しない…………むしろ喜ばしいくらいだ。
「でも、そこから出たとしてあなたは彼の前に出られますかね?」
「…………どういう意味です」
「いやだって、あなたの今の状態ってイレギュラーなわけですよ?」
ゆっくりと、子供を諭すような口調で美亜は続ける。
「本来であればあなたは眠り続けてただエネルギーを生み出し続けるだけの存在です…………それだけなら、必要最低限の物だけがあればいいでしょう? いかに機能だけを残してコンパクトに収めるかが機体設計の基本でもありますし」
「何が、言いたいのですか」
半ば予想しているのか震える声でユグドが先を促す。
「あなた、自分がまともな人の姿をしているとでも思ってるんですか?」
重くもなく、単純な疑問であるように美亜は尋ねた。
「…………」
ユグドはそれに答えない。機体に備え付けられたカメラも内部を移すことはできない。センサーの類もブラックボックスは遮断している…………だが、わかることもある。機体の中でブラックボックスの占める割合はそれほど大きなものではないのだと。
「私は…………私のこの感情が満たされることはないのですか?」
「出来ますよ、私ならあなたを彼と普通に会えるようにできます…………まあ、この戦争が終わったらですけどね」
その言葉の言わんとするところをユグドが理解できないはずもなかった。
「約束、できますか?」
美亜への美亜への感情を堪えるようにユグドが言う。
「私がこの戦争を戦い抜いたら…………哉嗚に会えるようにすることを」
「ええもちろん、約束します」
それだけは真摯な表情で美亜は確約した。
「それは私にとっても希望のある未来です…………素晴らしい、そう思いますよ」
「…………」
「まあ、信用しにくいのはわかっています」
それでも口にしたことが事実であるのは変わらない。
「ですので手付けとして一仕事しましょう…………今すぐそこから出してあげるわけにはいきませんが、彼との時間を増やすことくらいはできますからね」
もちろんその負担は美亜ではなく哉嗚の方へ行くのだが…………そんなことは彼女の知ったことではなかった。
◇
哉嗚が目を覚ますとそこは病室だった。白を基調とした簡素な室内。視線の先にある真っ白な天井は随分と前に見飽きたものだった…………随分と、長い夢を見ていた気がする。再起して戦って戦って戦って最後には炎に包まれた。
「…………夢?」
ぼんやりとした意識で呟いて哉嗚は頭を振る。
「いや、違う」
それは現実だ、紛れもなく自分が培ってきた記憶のはずだ。
「そのはず…………だよな?」
けれどこの病室を見ると不安になって来る。自分はリーフ・ラシルに敗北したあの日から一歩も進んでいないのではないかと…………何もかも、自分が妄想した夢に過ぎないのではないかと。
「哉嗚っ! 気が付いたの!」
「あっ、おい!?」
けれど不意に飛び込んできたその声に不安はどこかへ飛んでいく。起き上がった哉嗚を見た晴香はそのままと彼に駆け寄って飛びついてきた。それを哉嗚は受け止めようとしたが、思ったように力が入らずベッドにまた倒れ込む…………間近で、晴香と視線が合った。
「よかった…………本当に、よかった」
涙ぐむ晴香に哉嗚は困った表情を浮かべ、恐る恐るといったようにその手を彼女の背中に回す…………だがそんな慎重な彼の対応とは対照的にがっしりと晴香の方は彼を抱き締めた。
「嘘つき」
「帰って来ただろ」
「無事じゃなかったじゃない」
「…………そこまでは約束してないだろ」
哉嗚は苦笑する。だがそれも彼女らしい。しかしそれでほっとすると同時に思考能力も戻って来たのか様々なことが頭に浮かぶ。第一は見捨てないと宣言したはずの相棒のことだ。
「っと、ユグドは?」
「あの子も無事…………まあ、正直に言えばあんたもユグドもなんで無事なのかわかんない状態だったけど」
「無事ならいいさ…………ああそうだ、高島さんは? 状況はどうなってる?」
聞きたいことは山ほど湧いて来る。そんな哉嗚の様子に晴香は溜息を吐いて彼から体を話して向かい合う。
「順序よく説明するわよ…………まず、あんたとユグドを発見して回収したのは高島さん。Y-01は機体の七割が失われていたけどコクピットとブラックボックス周りは無事だったみたいね。まあ見た目が炭の塊みたいな状態だったから初めは絶望しされてたらしいけど」
晴香も写真で見たが巨人機をあそこまで燃やし尽くせる方法を想像できないし、そんなものからどうやれば重要部分だけを守りきれたのかがもっとわからない。
「部隊は?」
「残念だけど生き残ったのは二割だけ…………巨人機はほぼ全滅ね」
それでも遺跡の発掘隊は守り切り、そこで得たデータは無事に持ち帰れたらしい。遺跡自体はリーフの魔法で壊滅してしまったようだが、データさえ得られれば意味はある。目的は完遂とは言えないが成功の部類には入るだろう。
「そうか」
それでも失われた八割もの仲間を思えば喜べるものではない。
「ともあれあなたを連れて最寄りの基地まで一旦撤退して…………そこからY-01の残骸と一緒に首都まで移送されたの。けどその後も哉嗚の意識は戻らないままだったからこの病院に移されて今に至るってわけ」
「なんで俺まで? とういうか晴香まで?」
「私も待機してた基地から急に呼び出されただけだから…………でも多分、ユグド絡みだとは思うわよ?」
晴香には他に思い当たるものはない。あのわがままで子供のようなAIが心を許しているのは今のところ哉嗚だけで、そこから大きく離れて一応の付く晴香がいる。あんな状態から暴れたりするのはまず不可能だが、別の機体への換装が行われるなら必要にはなるだろう。
「…………全体の状況は?」
「私は所詮一整備員だからそんなに詳しくは聞いてないけど…………作戦が成功したのは七割くらいだって話よ。戦略魔攻士やそれに準ずる戦術魔攻士が迎撃に現れたところが駄目だったみたいね」
「…………そうだろうな」
哉嗚は自分が特別だとはうぬぼれていない…………だが、少なくとも自分にはY‐01とユグドという相棒があった。その差は一般のパイロットたちと比べれば限りなく大きい。そうでなければリーフを相手にした時点で哉嗚は負けていただろう。
「戦争、どうなるんだろうね」
「さあな」
こちからか侵攻をかけたことで膠着状態は崩れた。アスガルドは守りを固めるかもしれないし逆に侵攻をかけてくるかもしれない。問題はその中でどれだけ戦略魔攻を動かしてくるかだろう…………もちろん遺跡から奪取したデータの内容次第では対抗できる可能性はある。
けれど生半可なものでグエン・ソールをどうにかできるとは哉嗚には思えなかった。
だが、それでも…………それでも、だ。哉嗚はぐっとその拳を固める。
「まだ戦うの?」
「戦うさ」
倒すべき相手は見た。その巨大すぎる壁は登るとっかかりすら見えなかったが…………それでも、諦めないと決めたのだ。
「約束、忘れないでよ」
「ああ…………無事に、とまでは約束できないけどな」
「…………馬鹿」
苦笑する哉嗚に晴香が小さく頬を膨らます。二人はそのまま無言で見つめ合って…………少しその距離が縮まりそうになった。
「入りますよ」
そこに水を差すように声が聞こえ、次いで病室の扉に何かがぶつかる音がした。
「開けてください」
「…………この声って」
その機械的な音声には二人とも聞き覚えがあった。
「開けろと言っています」
「…………私が開けるわ」
嫌な予感がしつつも病人の哉嗚を動かすわけにはいかず、晴香が立ち上がって扉に向かう。
「遅いです」
開くと同時に声が聞こえ、晴香の足元を何かが通り過ぎていく。それは地上走破型の小型ドローンだった。楕円形のその体を軽やかに滑らせながら哉嗚のいるベッドへと近づいていく。
「無事で何よりです、哉嗚」
「…………ユグド、だよな?」
「はい、もちろんです」
わかっていても困惑する哉嗚にユグドはいつも通りの声色で返答する。
「あー、その、それは…………なんだ?」
「遠隔操作用の端末です。私が使えるように美亜がドローンを改造してくれました」
「そ、そうか」
余計なことしやがってと哉嗚は思うが、それを口に出さない自制心が彼にはあった。
「これでいつでも一緒にいられますね、哉嗚」
「…………そうだな」
コクピットに監禁される可能性があったのとどっちがマシかはわからないが。
「あー……ところで、だ」
「なんですか、哉嗚」
「まだ、やれるか?」
「…………当然です、哉嗚」
答えるその言葉には力を感じた。
「私は、あなたとこの戦争を終わらせます…………必ず」
「そうか」
ふっと哉嗚は微笑む…………そんな二人を少し離れたところで見ながら晴香はまだ口にしていない言葉があったことを思い出す。それは約束を果たして帰って来た彼と、その彼が連れ帰ると宣言した彼女に対して晴香が言うべき言葉だろう。
「おかえり」
二人にそう声を掛けると、少しきょとんとしたような表情を哉嗚は浮かべ…………ユグドは操作するドローンのカメラを戸惑うように晴香へと向ける。
「「ただいま」」
けれどすぐに、二人の言葉は重なって晴香へと届いた。
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