二十八話 終結
今この時ほど勘なんてものは意味がないと哉嗚が思ったことはない。不意に現れた男を見た瞬間に彼は直感していた…………勝てない、と。
だがこの状況でそんなことが確信できても絶望を感じるだけで意味なんてありはしない。
「…………」
声も出せなかった。ゆっくりとリーフに近づく男を見ている事しかできない。
「グエン!」
男を見てリーフが叫ぶ。それで哉嗚は目の前の男が何者かを即座に理解した。
「グエン・ソール…………!」
戦略魔攻士第一位…………アスガルドで最強の魔攻士である男。
「なんで、ここに」
安堵ではなく警戒するよう視線をリーフは彼へと向けた。
「ここで戦略魔攻士が負けるわけにはいかないといっただろう」
「っ!」
答えながらグエンがリーフに視線を返す。それは彼女の敗北を
「させない!」
「おっと」
リーフが何かしようとするよりも早くグエンが彼女の額に手をかざす。たったそれだけで彼女は意識を失って倒れ込む…………その体をグエンはそっと支えた。
「全く、相変わらずほっておけない奴だ」
ぼやきながらリーフを小わきに抱えるとグエンはユグドの掌を蹴って宙に身を投げる。そして何事もなく地面へと着地するとそこにいた男へとリーフを預けた。
「頼む」
グエンが告げると男は頷いてリーフごとその姿が消えた。転移能力者。つまりはグエンを連れてきたのもその男で、グエンはそういった能力は持ってないということだ。
「さて」
ユグドを…………哉嗚をグエンが見上げその視線が合う。それは哉嗚という人間を値踏みするような目だと彼には感じられた。
「お前、この戦争を終わらせたいか?」
その声は大きくはなかったが哉嗚にははっきりと聞こえた。
「それなら、俺を殺せば終わるぞ?」
挑発するようにグエンが肩を竦めて見せる…………だがそれは事実だ。スヴァルトの勝利はこれまでたった三人の戦略魔攻士によって妨げれていた。その頂点であるグエンを倒すということはそのままアスガルドに勝利することに等しい。
だがそれは目の前の男を倒すことができればの話で、哉嗚はその可否をすでに確信してしまっている。
「…………やってやるさ」
それでも哉嗚はグエンを睨みつける。元々リーフ相手にだって勝ち目は無かったのだ…………それでも、足掻き続けるのだと当の昔に哉嗚は決めている。迷わずに後ろに飛んで哉嗚はコクピットに倒れ込む。すぐにハッチが閉まってモニターに周囲の光景が映し出された。
「哉嗚、勝てません」
「知ってる」
ユグドの忠告に哉嗚は即座に答える。
「だがどうせ逃げるのも無理だ」
そもそもこの瞬間に哉嗚が死んでいないのもグエンにその気がないというだけだ。なぜだかわからないが彼は哉嗚が自分に立ち向かうことを望んでいるらしい…………逃げようとすれば多分その気が変わるだろう。
その証拠にグエンは何をするでもなくユグドを見上げたままだ。
だが焦れれば気も変わるかもしれない。
「レーザーガンを最大出力で」
「哉嗚、それだと銃身が持ちません」
「一発は撃てるか?」
「可能です」
「ならそれでいい」
どのみちそれが効かないのであれば二発目は必要ない。
「ユグド」
「はい、哉嗚」
「最後まで足掻くぞ」
「もちろんです、哉嗚」
迷いのない返答に哉嗚は唇を緩める。
「ぶっぱなせ!」
そして躊躇いなくトリガーを押し込んだ。その限界以上にエネルギーを注ぎ込まれたレーザーガンが銃身を破裂させながら光の奔流を生み出してグエンへと放つ…………それが両手から二本。相手がリーフであったなら防ぐことに全力を注いでなお防ぎきれたかはわからなかったことだろう。
だが、グエンは平然とそこに立ち続けていた。彼が特別何か意識したようには見えなかったのに、ユグドから放たれた光の奔流はその手前で弾けて消えてしまった。
「レーザーガンの完全な破損を確認」
「修復は?」
「不可能です、哉嗚」
事実をはっきりとユグドは告げる。
「これでこの機体の武装は無くなりました」
「そうか」
巨人機の兵装は元々少ない。魔攻士の多彩さに力づくで押し切る戦法であるがゆえに、純粋にリアクターの出力を活かせるエネルギー兵器以外を使う必要が無いからだ。それはつまり力推しの通用しない相手には取れる選択肢がないということでもある。
「…………」
もう終わりかと言うようにグエンが無言でこちらを見ているのが哉嗚にはわかった。もちろん終わりではない、終わりであってたまるものか。
「ユグド」
「はい、哉嗚」
「あのすかした顔をぶん殴ってやろう」
「ええ、ぶん殴ってやりましょう」
勘は働かない…………正確には働いてる。何をやっても無駄だと結果を示している。
結局のところ技術や戦術が通用するのは相手が同じ土俵に立っている時だけだ。格上を奇襲で倒せることはもちろんあるだろう…………けれどそれは結局のところ元々勝てる可能性があったということに他ならない。つまるところ格上であっても同じ土俵の範疇の相手だっただけだ。
仮に蟻が世界最高の武術を身に付けても相手が違う土俵の存在である象であったら勝ち目など絶対にないだろう…………これはそういう話なのだ。例え哉嗚が勘によって最良の結果を選び取れたとしても元々もともと存在しない勝ち目を拾うことはできないのだから。
それでも、哉嗚は操縦桿を倒して機体をグエンへと突っ込ませる。振りかぶった右腕にユグドは余力の全てを注ぎ込む。
真っ直ぐ突っ込んでぶん殴る…………そのことだけに二人は全てを集中する。
「「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」」
叫ぶ。結果など考えずただその意思を示すために。
「いい気迫だ」
目の前に迫る巨大な拳も気にした様子もなくグエンは呟く。
「あるいは、アイズの野郎くらいになら勝てたかもな」
それは掛け値の無い称賛だった…………しかしそれで彼の対応が変わるわけでもない。目の前に迫った拳をグエンは蒸発させた。まるで最初からそんなものがこの世にはなかったようにあっさりと一瞬で。
「な!?」
防がれるというのは哉嗚も予想していた。しかし攻撃していたはずの、斥力障壁でがちがちに固められていたはずのユグドの拳が一瞬で蒸発することなど想像も出来なかった。
「これが、お前の倒すべき敵の高みだ」
ただ淡々とグエンは事実を告げる。
「全力で守れよ?」
そして誰に告げたのか呟き、その手をかざす。
「退…………っ!」
口にするよりも早く哉嗚は操縦桿を引いていた。脳裏に浮かぶのは世界を埋め尽くすような朱い色。下ろうが曲がろうが飛ぼうがどこに逃げてもその色から逃れることはできないと彼は確信していた…………けれど諦める事だけはできない。
「哉嗚っ!?」
悲鳴のようにユグドが叫ぶ。
その瞬間にモニター全てが朱く染まり、哉嗚の意識は暗闇に落ちて行った。
◇
リーフが目を覚ますとそこは先ほどいたのとはまるで違う場所だった。自分が生み出したはずの樹海はそこにはなくただ土と岩だけの荒野が広がっている。その事実に呆けながらもすぐに気を失う直前の記憶を思い出す…………焦るように彼女は周囲を見回した。
「おー、目が覚めたか」
すぐ脇にグエンは立っていた。
「グエンっ!」
起き上がって即座にその細い腕を振りかぶる。お世辞にも鋭いといえないその拳をグエンはあっさりと掌で受け止めて苦笑する。
「哉嗚をっ! 哉嗚を…………どうしたの?」
語尾は震えるように弱い声だった。
「心配しなくても生きてるだろうよ」
やれやれと言った口調でグエンが答える。
「俺が欲しかったのはあの場で戦略魔攻士が勝ったという事実だけだからな。わざわざお前のご執心の相手を殺す必要まではない」
グエンがそう話すとリーフの身体から力が抜けてその場にへたり込む。
「私はどうすればいい?」
「どうもこうも戻って侵攻して来た部隊は全滅させたって報告すりゃいい。実際ほとんどはお前が倒してるし奴らの目的だった遺跡とやらもぐっちゃぐちゃだ。長老会の目に関しては加工してごまかしてあるしな」
唯一の懸念はスヴァルト側が勝利に沸き立ちこちらの工作と齟齬が出る事だったが、それもグエンが潰した。あちらは戦略魔攻士に負けたと思ってくれていれば概ね問題はない。
「そう」
納得したのかしていないのか、ともあれリーフは頷いた。
「ところで俺も一つ聞きたいんだが」
「なに?」
「あの新型機について何か感じたか?」
「何かって…………強さとかってこと?」
リーフは首を傾げる。
「それは大体把握できてる…………そうじゃない部分だ」
「…………気持ち悪かった」
最初に感じたその感情を素直にリーフは口にした。
「気持ち悪い、ね」
納得したようにグエンは頷く。
「なんでなのかグエンにはわかるの?」
「お前は知らない方がいい」
「そう」
あっさりとリーフは引き下がった…………グエンの答えるその声色は彼女をいたわるようだったからだ。
哉嗚のことで相容れない点があるにせよリーフはこの世で二番目にグエンのことを信用していた。そんな彼がそう言うのならそうなのだろう。
「しっかしどうするかね」
呟いてグエンは大きく溜息を吐く。
「グエンはこの後どうするの?」
「俺はこの場にはいないことになってるからな、さっさと帰ってアリバイ作りをやってくれてるやつを労うつもりだった」
語尾は過去形で、つまりは予定が変わったということだ。
「俺は少し確認しに行くことができた。お前はさっきの言った通りに戻って敵は全滅させたとだけ報告しといてくれ」
「うん」
リーフは頷く。そんな彼女から視線を外してグエンは思案するように呟く。
「さて、事と次第によっちゃ向こうの上にはまとめて消えて貰わんといかんな」
ただあるかもしれない未来を、その身に纏う圧倒的な暴力と共に。
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