二十一話 侵攻作戦
基地の一角に大勢の兵士たちが整列していた…………その正面に設置された演説台に立つのは辻孝政、スヴァルトの全軍を指揮する総司令官である。そんな重要人物が最前線の基地に来ることなど滅諦にないことであり、集まった兵士たちの中には直接顔を見るのは初めてだという者も少なくはない。
好奇、
「…………」
良い兵士達だと辻は思う…………その彼らをこれから死地に送ることに躊躇いはない。目的を果たす為であればいかなる犠牲も払うことは当の昔に決めている。しかし死にゆく彼らに虚言を吐かなくてはならないことには罪悪感を覚える。
だが、それでも辻は表情を変えない。威厳を纏ったままにその口を開く。
「我々の先祖はアスガルドから逃げ出した民だった」
遠い昔をはせるように辻は視線を僅かに上へと向けた。
「彼らは魔法の強さが全てである国で虐げられ、この遠い地に逃げ延びてスヴァルトを興した」
それがどれほど長い旅路であったのかは想像するしかない。今でこそあの果てしない荒野も容易に移動が可能だが、古代文明の遺産たる科学技術無しで渡ることなど無謀でしかない。
例え先祖が弱いながらも魔法が使えたのだとしても多くの犠牲を払ったことだろう。
「だが我々は敗北者ではない」
先祖たちが国から逃げざるを得なかったのは敗北だと言える。だが敗北者が敗北者と呼ばれ続けるのは一つの条件の場合のみだ。
「なぜなら我々は立ち上がったからだ」
遠い地に逃れて怯えて暮らしていたわけではない。いつか来るであろう祖国との望まぬ再開に備えて牙を研ぎ続けた。そしてその間も変わらぬ体制を続けたアスガルドに対し実際に戦う選択肢を選んだ…………これまで戦い続けてきたのだ。
「そして我々は遂にかつての旅路を逆行する」
その言葉に整列する兵士たちの表情が高揚する。作戦内容はすでに通達してあった……だがそれを総司令官の口から聞くというのは現実味が異なる。
それが本当に実行されるのだと、自分達がそれを成す一員であるという実感が兵士たちに染み渡る。
「そう、我々は遂にアスガルドの地へと侵攻するのだ」
その言葉を口にしたその瞬間は辻も万感に震えた。彼自身はそれが兵士たちの思い望むものにならないことは知っている…………だが、それでもスヴァルトの人間にとってその言葉の意味は大きい。
遠い地に逃げ延びた末の建国。祖国との望まぬ再会から始まった戦争。多くの犠牲を払った国土の防衛戦。巨人機の投入による戦線の巻き返し…………そして長く続いた膠着。スヴァルトのその歴史においてアスガルドへと侵攻するのはこれが初のことなのだ。
「もちろん、諸君らが知っての通りこの侵攻はまだ戦争を終結させるものではない。我々にはアスガルドの首都を陥落させる力はないのだ…………だが、この侵攻によってそれは得られることだろう」
スヴァルトの兵器はYー01のような例外を除いて古代文明の遺跡から発掘された技術を利用している。他力本願と言ってしまえばそれまでだが、遥かに進んだ技術がそこにあるのに使わない理由はない。
しかし建国以来発掘に努めていたこともあり国内の遺跡は概ね掘り尽くしてしまった。それはつまりアスガルドに対抗する兵器は新規開発するしかなくなったということになる。
しかし古代文明の技術は解析すら容易ではなくそれを上回るような技術開発は難しい…………Y―01は例外中の例外であることを辻はよく知っている。
故に結論としてはやはり遺跡を発掘するしかない…………それがこの侵攻の目的だ。自国の遺跡を掘り尽くしたのならアスガルド側の遺跡を発掘するというだけの話。
「そしてその先にあるものが我々の勝利であることを私は疑っていない。この作戦はその勝利への第一歩であることは今更確認するまでもないだろう…………諸君らの優秀さを私は信頼している。この第一歩を成功させ、我々はさらに先へと進む」
そう口にして辻は改めて兵士たちを見回す。彼らの目には彼の信頼に応えるという強い意志が宿り始めていた。戦争に終止符を打ち平和な世界で暮らす未来を描いた者もいるだろう…………果たしてこの場の何人がその未来に辿り着けるのか。
「諸君らの健闘を祈る」
散々虚言を並べた後で寒々しい言葉だと自覚しながら、辻は出兵演説をそう締めくくった。
◇
哉嗚の目の前のモニターには延々と続く荒野が広がっていた。それは巨人機のパイロットであれば見慣れた光景だが、風景は変わらずとも変わっているものがあった…………ここはすでに境界線を大きく超えたアスガルド側の領土だ。
これまでも哨戒任務で境界線を越えることはあったがここまで大きく踏み込んだことはない…………それも小隊ではなく大隊規模で、だ。
けれど風景がまるで変らないだけにその実感は薄く…………だからこそよくわからない不安のようなものが胸の内に溜まっていくように感じられた。
「宮城中尉」
その感覚を打ち消すように小隊用のチャンネルで通信が入る。哉嗚の部隊は変わらず二機編成のままなので相手は高島しかいない。しかしいつも冷静な声色の彼と違って僅かに高揚しているような感じがした。
「どうかしましたか?」
尋ねながら念のためにレーダーに視線を巡らす。そこに映っているのは大量の味方の機体の表示のみで敵性反応は表示されていない。襲撃の報告というわけではなさそうだ。
「いえ、もう一時間ほど進むと荒野を抜けるとのことで報告です」
「もうそんなに進みましたか」
「そのようですね」
初の侵攻と言ってもスヴァルト側には様々な情報を得る為の技術があるので、アスガルド側の土地の情報も把握している。巨人機による偵察も行われているが基本的には多数の使い捨てのドローンによって得られた地形情報だ…………古代文明には宇宙から地表を監視できる機械もあったらしいが現状では実用化されていない。
「もうしばらくしたら風景も変わって見える事でしょう」
そう口にする声色はやっぱり高揚しているようで、珍しいなと哉嗚は唇を緩める。
「もしかして高島さん興奮してますか?」
「っ、それは…………ええ、はい」
虚を疲れたように言葉に詰まりつつも高島は肯定した。
「やはりその、初の侵攻作戦ということで高ぶりを抑えられないようです」
恥ずかし気に応えるその声色はやはり普段の彼らしくない。
「やっぱり、違うものですか?」
正直に言えば哉嗚には高島ほどの高揚はない。もちろん重要な任務だという緊張感はあるが、それは普段の任務の延長線上にあるものだ。
高島の感じているそれとは大きく違うことが哉嗚自身にもよくわかっていた。
「正直に言えば遂に、といった心境ですよ」
軍に入る理由は人によって様々だ。哉嗚のように生活の為に入るものもいれば、戦死した肉親の仇を取るためのような個人的な理由で入る者もいる。そしてもちろん国を守り戦争に勝つための貢献をしたい理想を抱いて入る者もいる…………高島もそうだった。
だが理想を抱いて入隊した者はしばらくして現実の壁にぶち当たる。それは国を守るための貢献は出来ても勝つための貢献は出来ないという高い壁だ。戦線は膠着しており攻めることも大きな侵攻を食い止めるようなこともない…………起こるのは散発的な遭遇戦だけだ。
もちろんそれも国を守るためには意味のある戦闘ではあるが、戦線に大きな影響を与えない戦闘はただ無為に殺し合いをしているだけという虚無感を与えてくる…………それは理想を胸に抱いて軍に入った者からしてみれば拷問にも近い。
これが生活や個人的な目的の為であれば仕事と割り切れたのだろうが、仕事に理想を重ねてしまったがゆえに割り切れない感情を胸に抱え続けることになってしまったものは多い。
だがその感情は遂に報われたのだ。遺跡奪取を目的としたアスガルドへの侵攻という作戦を伝達された時には高島も思わず叫びそうになったほどだ。
「もちろん作戦に支障は出しませんし、命令も冷静に従いますが」
「ああいえ、別にそういうつもりじゃなかったですよ」
ベテランである彼を哉嗚は信用している。
「ただちょっと珍しいなと思っただけです」
「お恥ずかしい」
「いえ、なんだかほっとしました」
なんというか高島という人間の根元を知れた気がする。
「そう言われるのもむず痒いものですね…………しかしこう言っては何ですが宮城中尉は軍歴の割には落ち着いてらっしゃいます」
前置きで断った通りにその言葉は哉嗚を嘲るのではなく、むしろ褒めた口調だった。軍歴とはすなわち経験であり、経験とは慣れだ。失敗の許されない任務、死の迫る窮地、そういった場合に心の冷静さを保たせてくれる。
そして高島の知る限り哉嗚はあらゆる状況下において冷静さを保っていた。それは彼の軍歴の短さからすれば稀有な事だと言える。
「一度死ぬ目に遭ってますからね」
短く、苦笑するように哉嗚は答えた。初陣でのリーフ・ラシルとの遭遇。良くも悪くもあの経験は大きすぎた…………大抵のことはそれに比べれば陳腐で動揺するに至らない。
「失言でした」
「いえ、それにある意味では俺も期待はしてるんです」
「期待、ですか?」
「ええ、もしかしたらこの作戦で遭遇する可能性もありますし」
アスガルドへの侵攻がかの国に与える影響は大きいだろう…………それこそその迎撃に切り札をぶつけてくる可能性があるくらいに。
「戦略魔攻士、ですか」
高島のその声が苦み走ったものになる。
「正直に申し上げれば私はその期待が外れることを願いますよ」
「まあ、その可能性は高いですけどね」
この侵攻作戦の最大の懸念点はまさにその戦略魔攻士だ。ゆえに今回の作戦は部隊を複数に分けてアスガルド各地の遺跡を同時に奪取する内容となっている。
アスガルドがこちらの動きに対応する前に遺跡の奪取を完了するのが理想であり、そうでない場合も被害を最低限に済ますために分散して侵攻にあたっているのだ。
「でも、ここまでアスガルドの魔攻士と一切遭遇してません」
それはこれまでの哨戒任務と照らし合わせても異常だ。偶然魔攻士と遭遇していないと考えるのはさすがに無理がある。
「侵攻は察知されていたということでしょうか」
「どうなんですかね。向こうも何かあるとは思ってたでしょうし」
侵攻前に兵士たちに与えられた休暇によって前線への圧力は一時的に弱くなった。相手も馬鹿でなければ何かの為に力を貯めているのだと感じたことだろう。
「警戒して退いていたのか、それとも部隊の数に慌てふてめいて逃げているのか…………後者の可能性は薄いとは思いますが」
「私は後者の可能性もあると思いますよ、なにせアスガルドは我が軍のような統率された軍隊ではありません」
スヴァルトが統制された軍事行動をとれるのは人を率いる訓練を受けた士官たちによる司令部と、それに従い行動する訓練を受けた兵士という構図が確立されているからだ。現場の兵たちは司令部の命令を信頼し個人の判断で動くことはない…………故に予測された作戦行動にぶれがなく、それが結果にも現れる。
だがアスガルドはよくも悪くも実力主義だ。あちらでは人を率いることの才能ではなく単純な個人としての強さで上下関係が決まる。いくら強大な力を持っていても兵を率いる才能がなければそれを活かすことはできない…………現にあちらの下級の魔攻士は使い捨てのように扱われていることがほとんどだ。
「何かあると予測はしていても、準備は出来ていなかったのかもしれません」
首脳部のある首都を固めて他はおざなりという可能性だってある。
「…………まあ、相手の無能に期待するのは止めておきましょう」
逆に言えばそんな適当な軍隊にスヴァルトは長い間攻勢に出られなかったのだ。軍隊組織としてざるであったとしても油断をすれば足元をすくわれる。
何せ相手は単独で戦略を覆す個の存在する国なのだから。
「それもそうですね」
話している内に落ち着いたのか高島の声色も普段に近いものになっていた。
「ところでそちらのA……ユグドは珍しく静かですね」
「そういえば」
指摘されて哉嗚も気づく。基地を出発してすぐの頃は盛んに話しかけてきたのが、国境を越えてからは次第に少なくなっていた…………そして気が付けばその声が聞こえていない。今の高島との会話にも割り込んでくることはなかった。
「ユグド?」
「…………なんでしょう、哉嗚」
話しかけると声が返って来たことに哉嗚はほっとする。
「いや、しばらく静かだったからどうしたのかなって」
「すみません哉嗚、少し考えこんでいたようです」
いつものように淡々とした口調でユグドが答える。AIが考え込むとか晴香が聞いたらまた何か言いそうだが、哉嗚はもうユグドはそういものだと受け入れている。
「もしかして、緊張しているのか?」
「緊張…………そうかもしれません」
納得したような間があった。
「そうですか……これが、緊張」
そしてその感情を確認するように繰り返す。
「哉嗚」
「うん?」
「私たちの目的を果たす時が近いと私は判断しているようです」
だから緊張したらしいのだと、ユグドはそう告げていた。
「そうか」
いつものような哉嗚の勘はまだ働いていない。だが、ユグドが言うならそうなのだろうと哉嗚は思う。
ちょうどそのタイミングで、視界の先で荒野が開けて緑が現れ始めていた。
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