十八話 帰る理由

 システムダウンはあっさりとしたものだった。ユグドは名残惜しく哉嗚との会話を続けていたが、時間が来れば関係なくシステムダウンは実行される。

 元々ユグドも了承していた事なので抵抗もなく、文字通りスイッチを切ったようにユグドは沈黙した…………そのあっけの無さは改めてユグドが機械であることを意識させられる。


 ともあれ改修が始まれば哉嗚にやれることはない。ブラックボックスの件もあるので晴香とともども開発局を後にしてホテルに戻った。改修は予定では一週間だが、予定は予定であって確定ではない。終了もしくは延長が決まり次第連絡が来ることになっていた。


 そんなわけで、哉嗚は戦争も軍からも解放された本当の意味で休暇の時間だ。普段は休暇も基地で過ごすので何もかもから解放されたのは本当に久しぶりだった。


「…………」


 しかしそう思うと逆に体の力が入らないような気分も覚えた。真っ白な天井。宿舎のものとは比べ物にならないふかふかなベッド。ちょっと起き上がって電話を取ればルームサービスを頼むことだってできる…………基地とは別世界だ。


「現実味がない……」


 考えてみれば母親が死んでから哉嗚はずっと軍隊にいる。年齢的に孤児院に入るよりそちらの方が喰いっぱぐれがないという判断だったし、今の時代そんな境遇の人間は少なくない。それでも軍隊を支えているのは普通の人間の生活で、そちらから遠ざかって哉嗚は長いのだ。

 

 それに生死の懸かった強烈な体験をしてきたせいか、軍以前の記憶は印象が薄くなっている。

 

 そのうえ軍隊生活が長かったせいか哉嗚は命令されることに慣れ切っている。首都は見てみたかったと晴香には言ったが、それも最初にユグドの改修に同行するという命令があったからだ。それが無かったら多分首都に来ようとは思わなかっただろう。

 その場合どう過ごしていたかは哉嗚は想像できなかった。


「…………デート、か」


 そんなわけで晴香の口にしたそんな単語に哉嗚は困り果てていた。なにせ思春期の盛りには訓練に明け暮れていてそんな経験はない。もちろん哉嗚だって漫画や小説なんかの娯楽はたしなむが、それは物語の中の話であって現実味は感じていなかった。


「むぅ」


 どうすればいいのかと頭を悩ませる。別に哉嗚は晴香が嫌いではない。恋しているかと聞かれれば何とも言えないが、こうして真剣に考える程度には意識している…………とはいえ彼女の方はどうなのだろうと思わないでもない。

 出会いは良好であったとは思えないし、その後も結構きつい言葉は貰っている。整備員とパイロットとしては健全な関係であるとは思うが男女の関係の意識などなく、デートの誘いは不意打ちを喰らった気分だった。


 正直、晴香が哉嗚をどう思っているのかがわからなかった。


                ◇


「晴香は俺のことどう思ってるんだ?」

「え、好きに決まってるじゃない」


 待ち合わせのホテルの前でいきなりそんなことを尋ねる哉嗚もあれだが、それに平然と晴答える晴香も晴香だった。顔を赤らめず表情一つ変えずに返答した彼女のその言葉は、まるで冗談のようにも感じられる。


「好きでもない相手をデートに誘わないわよ」


 そんな哉嗚に淡々と晴香は事実を連ねる。


「あー、うん、そうだな」


 その通りではあるのだがすんなり受け入れづらい。


「なによ、自分で聞いたくせに信じられないの?」

「いや、そういうわけじゃないんだが」


 ではどういうわけなのかと言われれば言葉に詰まる。


「あー、その…………なんでって疑問がな」

「なんでもなにも」


 そんな当然のことを聞くのかと晴香が片眉を上げる。


「気が付いたら瓦礫がれきの中で火に囲まれてて基地も陥落かんらく寸前、そんな状況下で命を救われて敵を全滅させるところまで見せられたら惚れてもおかしくないでしょ?」

「それはまあ、わかるけど」


 客観的に聞くとどこの映画の主人公だという活躍ではある。


「でも、お前はそんな態度じゃなかったぞ?」

「当たり前でしょ、私は整備員なんだから」


 整備員の矜持きょうじとしてあそこで哉嗚を称賛して調子に乗らせるわけにはいかなかった。今でも晴香はあの時の自分の判断が間違っていたとは思っていない。

 万全な整備が行われていないユグドで戦闘してうまくいったのは結果論でしかないのだ…………だからその成功を哉嗚が勘違いして繰り返すような真似は絶対にさせられなかった。


「いやでも、最初だけじゃなかったような…………」


 それどころか態度そのものは今に至るまで変わってなかった気がする。


「そんなの」


 ここでようやく晴香は側頭ではなく少し言葉に詰まる。


「は、恥ずかしかったからに決まってるじゃない」


 そして顔を赤らめて少し目を背けた。


「あ、うん」


 そのギャップに思わず哉嗚も言葉に詰まる。


「…………」

「…………」


 しばしの沈黙。


「えっと、そろそろ行くか」

「…………うん」


 とりあえず、二人は歩き出した。


                ◇


 基本的に戦争と言うものは経済を停滞させる。なぜなら戦争とは消耗し続けるだけの行為でありマイナスでしかないからだ。特に戦争で失われた兵士の損失は大きい。本来であれば働き手であり消費者である彼らが失われるのは経済の循環の中で二重の損失でもあるからだ。


 もちろん戦争は不利益ばかりというわけではない。勝てば領土や賠償が手に入り大きなプラスになることだってあるだろう…………しかしそれは決着が付けばの話だ。アスガルドとスヴァルトの戦争は長い膠着戦となっており消耗は少ないものの利益はまるでない。

 失った領土こそないものの得る物はなく消耗し続けるばかりなのだ。


 だがスヴァルトの首都は賑わっていた。長い戦争が続いているのに厭戦えんせんの雰囲気もまるで存在していない。


「みんな慣れちゃってるのよね」


 人の行きかう繁華街を歩きながら晴香が呟く。


「生まれた時から、そのずっと前から戦争してるんだもん…………戦争してるのが当たり前のことだからそれを受け入れてる」

「まあ、そうかもな」


 哉嗚にしたって最後の肉親だった母親が死んだ時に軍に入ることへ疑問を覚えなかった。そうすることはほぼ慣習のようなもので、周りも止めるどころか推奨している。社会の流れに戦争が組み込まれていて誰もがそれに反対するような気持ちは抱いていないのだ。


「でも別に戦争を喜んでるわけじゃない」

「それはわかってるわよ」


 受け入れていても、誰もが終わるべきものだと思っている。


「講和出来たらそれが一番いいんでしょうけど」

「それは無理だろ」


 スヴァルトは元々アスガルドから逃れてきた難民が興した国だ。故にアスガルドが魔法の力を持たない民に対してどういう扱いをするかよく知っており、だからこそ建国当初からアスガルドは仮想敵として存在していた。


 とはいえ建国から接触までかなりの時間が建っていたことから当初は講和も検討されたらしいが、アスガルドの方から即座に開戦して来たという話である。あちらの国の主義主張は何十年経とうが変わりはしなかったらしい。


 それからずっと二つの国は戦争を続けている…………それはつまりそれだけの間両国の戦死者の数は積み重なっているということだ。


 身内や知り合いが殺されれば誰だって相手を恨む。講和をしようとしても国民感情がそれを許さないだろう。両国ともに講和をするには長く戦いすぎたのだ。 


「それに魔法使いと俺たちは違う生き物すぎる」


 スヴァルトの人間も元はアスガルドの魔法使いではある。しかし力が弱すぎて迫害される程度の存在であったし、国を興してからは魔法の力自体を忌避して使うことはなかった。

 結果として必要とされない力は退化して今のスヴァルトの人間は魔法の使い方自体知らない。古代文明の遺産である科学技術が無ければ魔法使いに対しては無力な存在だ。


 すぐ隣に拳銃を持った相手がいて落ち着いていられる人間は少ない。ましてや拳銃なら取り上げることも出来るが魔法は取り上げることはできない…………魔法使いに対する恐怖は消しようがないのだ。


「私たちは巨人機があって初めて対等だもんね」

「それも全体で見れば、の話だがな」


 むしろ全体で見れば巨人機は魔攻士達を上回っている…………全てを覆すのは一部の例外たちだ。そしてそんな例外が突然生まれるのが魔法使いという人種であり、だからこそ共に暮らすことは難しい。


「というか何でこんな話になってるんだ?」

「哉嗚が始めたんじゃない」


 歩きながらふと首都の光景に別世界のようだと哉嗚が呟いたのが発端だ。


「そう感じたんだからしょうがないだろ」


 直前の晴香とのやり取りで気持ちがふわふわしていたせいもある。


「それは哉嗚が地に足ついてないからよ」

「どういう意味だよ」

「それが分からないなら重症ね」


 嘆息するように晴香は続ける。


「哉嗚の戦う目的は?」

「この戦争に勝つことだ」


 ある日個人の気まぐれで敗北が決定づけられる戦争…………その恐怖を、怯える日々を覆すために哉嗚は勝つために足掻くことを決めた。


「なら、勝った後は?」

「え」


 不意打ちを喰らったように哉嗚は目を丸くする。


「ほら、地に足がついてない」


 そんな彼を呆れるように晴香は見やる。


「戦争に勝つっていうのは目的であっても過程なの…………普通はその先にあるものが目的で戦争はその達成のための手段でしかないのよ」


 そもそも戦争事体が目的あって始まるものだ。アスガルドの目的はスヴァルトの滅亡で、スヴァルトは国家防衛になる。国が滅びれば殺されるか良くて奴隷だ。そんなことは是が非でも避けなければならないから個人の人生より優先して軍人は戦うのだ…………勝利したその先で本来の人生を取り戻すために。


「哉嗚は戦争に勝ったら…………戦争が終わったら何をしたいの?」

「…………そんなこと急に言われも困る」


 その返答こそ晴香の所見が間違っていないことの証明だった。


「その先が無いってことは命を引き換えにできちゃうってことよ」

「その話はもう終わっただろ」


 昨日の話を蒸し返すような言葉に哉嗚は顔をしかめる。


「あれは整備員としての話よ」


 素知らぬ顔で晴香は答える。


「それでこれは皆島晴香という女としての話」

「…………どう違うんだ」

「あんな場所で本音で話せるわけないでしょ」


 晴香は美亜という女を信用していない。あれはこの世の全てを目的の為の研究対象と見なしているような女だ。哉嗚と晴香もユグドの監視物として確実に監視されていたはずだ。あの時の会話も全部聞かれている事だろう。


「本音じゃなかったのか?」

「整備員としては本音よ…………女としては別」


 だからデートに誘ったのだと言外に晴香は告げた。


「死なないでよ」


 端的に、けれど強く感情のこもった声で晴香は懇願こんがんした。


「元から死ぬ気はない」


 その気がなくても死ぬ可能性があるのが戦場というだけだ。


「でも、必要だったら死ねるのよね?」

「それは…………」

 少なくとも死地に飛び込む命令があっても哉嗚は躊躇ちゅうちょしない…………そういう覚悟は最高司令官である辻と話した時に決めていた。

 そして軍隊という場所は全体の為に個人に死を求めることが珍しいことではない。


「哉嗚が勝つのは誰のため?」

「自分と皆のためだ」


 あの時感じた絶望と恐怖を払拭するため、死んでいった部隊の仲間たちの犠牲を無駄にしないために。


「皆って死んだ人達よね」

「っ!?」

「死者はいたむものだけど、死者の為に生きるのは間違ってるわ」


 それでは死人に引っ張られると晴香は言った。


「哉嗚にその先の目的がないなら私がその目的になる」


 死者ではなく生者の為に哉嗚が戦えるように。


「晴香、俺は」

「私のところに帰って来てよ」


 悲し気に顔を歪めて晴香は懇願する。


「私の為に、生きて帰って来て…………そのために戦ってよ」


 そう告げて、晴香は哉嗚に抱き着いて胸に顔をうずめる。


「…………晴香」

「返事」

「いや、その…………すごい見られてるんだが」


 ごまかしと羞恥しゅうちが半々で哉嗚は呟く。なにせ人通りの多い繁華街だ。急に始まったメロドラマに注目する通行人も少なくなく、多くの視線を哉嗚は感じていた。


「知ってる」


 けれどそれすらも味方にしていると言わんばかりに晴香が答える。


 戦闘以外でこんなに追い詰められた気分になるのは初めてだと哉嗚は思った。

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