八話 僚機

 哉嗚がユグドと共に別の前線基地へと移動して二週間が経った。

 とは言え大きな変化は特になく、淡々と出撃して敵魔攻士を倒しているだけだ。強いて言うなら新しい基地に来て顔見知りが減ったことだろうか…………まあ、前の基地も滞在だけは長かった割に友人と呼べる人間は一人くらいしかできなかったのだけれど。


「晴香」


 そしてその一人の姿は変わらずにそこにあった。


「ん、どうしたのよ哉嗚」


 何かのチェックをしているのか携帯端末を片手に晴香がこちらへと顔を向ける。その向かいにはユグド。基地も変わり、格納庫も変わり、しかしその光景だけは変わらなかった。


 結局美亜はユグドのわがままを呑んで晴香を整備員として同行させることにしてくれた…………ブラックボックスには触れさせない条件だったので彼女は不満たらたらではあったが。


「ちょっとユグドの相手をしにな」

「あー、助かるわ」


 感謝を口にしながら晴香は露骨ろこつに顔をしかめる。


「また何かされたのか?」

「少し前に油圧用のオイルぶっかけられたわね」

「…………すまん」

「あんたのせいじゃないわ」


 悪いのは哉嗚が顔を出さないだけで晴香に性質の悪い悪戯をするユグドである。整備員である彼女からすればパイロットである哉嗚は休むのも仕事だ…………迷惑だから休まずわがまま娘の相手をしてくれなどとは口が裂けても言えない。


「機嫌は取っておくから少し休んだらどうだ?」

「そうするわって言いたいところだけど…………いざという時に助ける人間いるでしょ?」

「あー、うん…………確かに」


 隙あらばユグドは哉嗚をコクピットに閉じ込めておこうとする。言葉遣いは大人びていてもユグドの行動や発言は子供じみたものが多い…………そしてそれは機体の製造と同時に彼女が生まれたと仮定すれば不思議ではないのだろう。


 だとすれば生まれたばかりの彼女にしてみれば哉嗚は親か兄のようなもので、それが離れる事に不安を感じるのも不思議ではない…………だからと言ってコクピットに閉じ込められて過ごすのはさすがに哉嗚も勘弁願いたいが。


「ユグドは馬鹿じゃないし、その内わかってくれるとは思うけどな」


 今はまだ初めて覚える感情の抑え方がわからないだけだろう。しかしその感情にもいずれ慣れて冷静な判断ができるようになるはずだ。


「そもそもAIが感情抑えられないってのがおかしいのよ」

「まあ…………戦闘の時は問題ないから」


 さすがに戦闘時までおかしかったら哉嗚も困るが、幸いにして戦闘の際にはユグドは優秀なAIとしてサポートをしてくれる。


「本当よくわからないわ…………なんでこんなAI作ったのかしら」


 兵器を扱う晴香からすればAIに自我を持たせる必要が無い。最初から感情が無ければそれを抑える成長を待つ必要もないし、そもそも感情があることによるデメリットは大きい…………例えば恐怖を学習した場合には戦闘を拒否してしまう可能性だってあるだろう。


「まあ、研究者には俺らが理解できん理由があるんだろう」


 ユグドの設計者だという暮雪美亜からしてまともな人間ではなさそうだった。彼女がAIであるユグドのプログラミングまで行っていたのかはわからないが、ああいった人間が集まっているなら無駄と思えるものにも意味があるのかもしれない。


「どうかしらね」


 理解できないと言うように晴香は嘆息たんそくする。


「あの女は信用できないわ」


 隠し事が多すぎる。それも同じ軍の人間相手にだ。


「哉嗚」


 話している間にこちらに気づいたのかユグドの外部スピーカーが起動する。


「ようユグド、調子はどうだ?」

「問題ありません」


 取澄とりすましたような口調でユグドが答える。それに晴香が影で小さく、何が問題ないのよ散々愚痴ってたくせにと呟くが哉嗚は聞かなかったことにした。


「それで哉嗚、何か御用ですか?」

「いや、ちょっとユグドの顔を見に来ただけだよ」


 さすがに機嫌を取りに来たとは口にしない。


「そうですか」


 それにユグドはそっけなく返答するが、どことなく嬉しそうにも聞こえた。


「最近は出撃回数も多いしな、俺は大丈夫だけどユグドはどうかなってな」

「先ほども言いましたが私に問題はありません…………問題が発生するとしたら私以外の要因によるものです」

「それはつまり私に言ってるのかしら?」


 ひくひくと頬を引きつらせて晴香が機体を見上げる。


「私は別に下手な整備員が要因になりうるとは口にしていません」

「今言ってんじゃないのよ!」


 最初から直接口にしないところが余計に腹立たしい。


「いやいや、ユグドも本気じゃないだろ」


 まあまあと哉嗚は晴香をなだめる。本当にそう思っているのなら美亜へと晴香を整備員に指名したりしない…………晴香を信頼しているからこそ甘えているのだろう。ストレス発散に迷惑をかけても許してくれると思っているのだ。


 相手の限度を考えない辺りが子供特有というか経験の浅さゆえだろう。


「本気じゃなかったら許されるもんじゃないって教えるべきじゃない?」

「いきなり言われて納得するもんでもないだろ」


 理屈で納得できないのが子供なのだから。


「ここは大人が我慢するべきだ」

「…………わかってはいるけどね」


 晴香は肩をふるふると震わせる。理屈ではわかっていても随分と腹には溜まるものがあるらしい。


「替えの利かない機体じゃなかったらそれこそ言葉通り下手をしてやるのに」

「ああほら、甘い物好きだったよな。食堂で奢るから」


 慌てて哉嗚がフォローを入れる。


「…………好きなだけ?」

「ああ、好きなだけ食っていい」


 釣られてくれたことに哉嗚はほっと息を吐く。


「仲がよろしいですね」


 しかしその暇もなくいやに機械的な口調でユグドの声が響く。


「あー、ユグド?」

「なんでしょうか、哉嗚」


 少し相手にされなかっただけで拗ねているのか言葉がそっけない。


「整備に問題ないようだったら戦闘シミュレーションでもしようかなと思うんだけど」

「!」


 哉嗚の言葉に感情が高ぶったように外部スピーカーからノイズが漏れる。そこはやはり人間ではAIということなのかユグドは自分に哉嗚が搭乗し使われることを喜ぶ。


「わ、私はそれに異論はありませんが……」


 言葉尻が小さくなったのはそれに許可を出す人間が今しがた怒らせた相手だからだろう。


「残ってるのは簡単なチェックだけだから問題ないわよ。むしろシミュレーションで模擬戦してくれた方がはかどるっちゃはかどるわね」


 憮然とした表情のままだが晴香は否定しなかった。


「ただ、長くても二時間くらいにしときなさい。さっき自分でも言ってたけど連戦続きなんだから休める内にしっかり休んどかないと…………また近い内に出撃なんでしょ?」

「ああ、わかってるよ」


 巨人機のパイロットは力仕事というわけではないが消耗は大きい。むしろ力仕事ではない分明確に自分の疲労を感じづらいとすら言える。 周りから休み過ぎに見えるくらい休んでちょうどいいくらいだ。


「まあ近い内に僚機りょうきが増えるらしいから負担は減るし」

「え、ほんと?」


 知らなかったらしく晴香が驚く。


「僚機ってことは同系機?」

「そうらしい」


 ユグドの性能が特筆し過ぎていてこれまで哉嗚には僚機がいなかった。データ取りの意味もあって単独戦闘ばかりだったが僚機が来れば負担も減る。


「それってつまりY―01の安定運用が可能になったってこと?」

「そこまでは聞いてないかな」

「哉嗚」


 話が逸れそうなところにユグドが口を挟む。


「やらないのですか?」

「ああ、悪い」


 軽く謝罪して哉嗚はコクピットへと足を向ける。


 晴香は少し不満そうだが、今は彼の相棒の機嫌を取るべき時間だ。


                ◇


 僚機となる機体と共にそのパイロットが配属されてきたのはその翌週だ。機体に乗ってそのままやって来るとのことだったので哉嗚たちは格納庫でその到着を待つことにした。


 すると予定の時刻より少し早いタイミングで到着の連絡が入り、少しすると開かれていた格納庫の扉から件の機体が滑るように入り込んでくる。


「あれがユグドの同系機か」


 同系機なだけあってユグドと瓜二つだなと哉嗚は思った。違いはユグドが薄いエメラルドグリーンに塗装されているのに対しその機体は真っ白な塗装をされていることだろうか。それを除けば武装を含めて完全に同一だ。


「あれにもユグドと同じAIが積んであるのよね……」


 少しうんざりするような口調で晴香が呟く。ユグドだけでも随分と心労が溜まってるのにそれが二倍になるなんて考えたくもない。


「あー、どうなんだろうな」


 色々な意味でユグドというAIは規格外だ。冷静に考えるなら前にも晴香が言った通りに自我など無駄の産物でしかない。開発者の悪ふざけか何かの実験か、ユグドはという機体だけのオンリーワンである可能性はゼロではないだろう。


「まあ、もうすぐわかるだろ」

「…………そうね」


 話している間に白い機体はユグドの隣に空けられていたスペースへと移動していた。切り返しなどを行うことなく一発でスムーズに停止する…………まあ、AIのサポートがまともに機能していれば失敗する方が難しいのだが。


「ふうん、あれがパイロットね」


 しばらくするとコクピットのハッチが開き、そこからパイロットが下りて来る。年齢は三十代前半くらいだろうか。若さは少し陰りつつあるものの代わりに大人の風格が備わっているといった雰囲気の男性だ。彼はすぐにこちらを見つけ柔和にゅうわな笑みを浮かべる。


「出迎え感謝いたします。私が本日よりこちらの基地にY―01ヴェルグと共に配属となりました高島良治たかしまりょうじであります」

「あ、どうも」


 見事な敬礼に戸惑い哉嗚はそんな言葉を返してしまう。


「貴官が私の隊長となる宮城哉嗚中尉でありますね」

「あ、はい。そうです」


 しどろもどろになりながら哉嗚は頷く…………そう、彼は哉嗚の部下なのだ。ユグドに乗るまでは新兵に過ぎなかった哉嗚だが、下っ端に新型機を与えるわけにもいかないのでユグドを受領するにあたって昇進させられて昇進させられていた。


 その流れもあってなのか僚機も彼の部下としての配属となっていたのだ。


「ちょっと、どうかしたの?」


 珍しく狼狽ろうばいする哉嗚を不思議に思い晴香が尋ねる。


「いやだって、いかにもベテランって感じの人じゃないか」

「まあ、エースの風格ってのも感じるわね」


 そもそもY―01という機体は量産もされていない実験機だ。哉嗚はかなり特殊な例であり、普通に考えればエース級のベテランパイロットがあてがわれる。


 そんな相手を少し前まで新人だった哉嗚が部下として扱わなければならないとなると流石に恐縮する。


「どうかされましたか?」

「ええと、その」


 軍隊らしく相手は年下である哉嗚にも上官として接している…………だが、ここで哉嗚がそれに甘えてしまってもうまくいく気はしなかった。


「正直に尋ねますが俺が隊長で嫌じゃないですか?」

「ちょっと、何言ってるのよ!」

「必要な事なんだよ」


 そんなことを尋ねる哉嗚に当然晴香は驚くが、正直なところを聞いておかないと今後いつまでも不安を抱えることになる。


「もちろんそれが軍の命令ですし納得しておりますが?」


 しかし高島は取澄ました態度を崩さず模範的な回答をする。


「俺が少し前までただの新兵だったとしてもですか?」

「存じております」


 配属されるにあたって事前に資料は受け取っていると高島は続けた。


「確かに実戦経験そのものは少ないですが戦闘実績の方は確認させて頂きました。AIによるサポートの受けられる巨人機の操縦において重要なのは咄嗟の判断力です」


 巨人機の操縦に技量は必要ない。AIがサポートしてくれるので基本大雑把でいいのだ。そのため重要なのは多種多様な魔攻士相手への対応を決める判断力になってくる。


「もちろんそれは実戦経験によって積み重ねられるものではありますが、必ずしも時間が必要とは限りません…………少なくとも私が見た限りあなたは私が隊長として命を預けるのに十分な判断力を有していると思います」


 真っ直ぐに哉嗚を見るその表情には偽りが無いように思えた。


「…………すみません、変なこと聞いて」

「いえ、お気持ちはわかりますので」

「あー、せめて敬語は止めてもらっていいですか?」

「規律がありますが、問題ない場所ではそうしましょう」

「助かります」


 哉嗚はほっと息を吐く。本当にいい意味で高島は大人だった。


「これが私の僚機ですか」


 ひと段落着いたところでユグドの外部スピーカーが起動する。


「あちらの機体に誰か乗っているのですか」


 それを不思議そうに高島が尋ねる。


「…………ああ、そちらの機体のAIは普通なんですね」

「?」


 首を傾げる高島がそれを知って驚愕するのはそれからすぐのことだった。

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