六話 兵器開発局の女
ユグドの設計者だと名乗った女は兵器開発局の人間だった。
開発局は文字通りの組織であり、その中でいくつかのグループに分かれている。
古代遺跡から発掘した兵器を安定生産させる部署、
兵器そのものではなく使われている技術を解析し利用可能にするための部署、
そして解析した技術や新たな発想を元に新兵器を開発する部署だ。
メインとなるのは前者の二つであり、後者は実績もほとんどなく無駄金遣いと批判されることも多い。しかしユグドは独自開発だと他ならぬ総司令官が言っていたのだから、その設計者である彼女は後者の人間なのだろう。
「それで、設計者がわざわざ来たってことはユグドのことですよね?」
「もちろんです」
他に理由などないと
「データはオンラインでも送れるけれどユグドは機密扱いの部分が多いですからね。だから直接必要なデータを受け取りに来るという話を事前に通達してお…………きましたっけ? したはずですよね、してないですっけ?」
困ったように美亜は周囲を見回すが哉嗚は聞いてないし、さらに表情を歪めた晴香の様子からすると整備員にも連絡は来ていないのだろう。
「あれえ?」
「博士」
困ったような笑みを浮かべる美亜に、少し離れたところからスーツ姿の男性が近づいてきて声を掛ける。体格や雰囲気からすると彼女の護衛だろうか。
「差し出がましいことですが、局員の方々も出立の際に驚いておりましたので忘れておられたのでは?」
「あー、確かにみんな何も聞いてないって顔してましたねえ」
納得したように美亜がポンと手を叩く。つまり彼女はこちらどころか自分の周囲の人間にすら何も伝えてなかったらしい。
「まあでも大した問題じゃないですよね、やることは変わりませんし」
しかしそれをその一言で切り捨てた。
「じゃあ機体も戻って来たことだし早速データ取りを始めますね」
「だから、ちょっと待ちなさいよ!」
マイペースに進めようとする美亜に晴香が怒鳴る。
「いきなりやって来てユグドの設計者だからデータ寄越せって認められるわけないでしょ!」
「えー、何でですか?」
本当に意味が分からないというように美亜が首を傾げる。しかし哉嗚から見ても晴香の言い分はわかる。
パイロットの命を預かる整備員としてのプライドを持っている晴香だ。事前通達もなくいきなりやって来た
「大体あんた本当に開発局の人間なの?」
「一応身分証明して入ってきましたよ?」
当然の答えを美亜は返す。でなければ基地に入れるわけもない。
「気持ちはわかりますが博士の身分は本当です。さらに付け加えるなら大佐待遇ですのでお気を付けを…………まあ、博士はその辺り気になさらないですが」
申し訳なさそうに護衛が口を挟む。開発局の人間も軍属ではあるが兵士とは違うので組織構造はまた別になっている。しかし兵士とも絡む仕事であるので統一した階級が無ければ命令系統に支障が生じてしまう。
故に開発局の階級とは別に軍同様の階級が振り分けられている。そして大佐という階級は哉嗚たちのような下っ端からすれば雲の上のような階級だ。
それに整備員は正確には所属が開発局になっているはずなので、晴香が美亜に逆らうのはそれ以前の問題でもある。
「面倒だからもうあれ出しちゃってください」
「…………わかりました」
美亜の言葉に護衛は溜息を吐き、懐から丁寧に折りたたまれた紙を一枚取り出した。
高級そうな布にわざわざ包まれていたそれには全権委任状と記されている。それは美亜が兵器開発に必要であれば総司令官である辻孝臣の名の下に全ての要求が通るという代物だった。
「ちょっ!?」
いきなりとんでもない物を出されて晴香は思わずどもる。つまり目の前の女性は大佐待遇どころではなく、限定的ではあるが最高権力を持っているに等しいということだ。
「理解してもらえたならデータをください」
しかし彼女にとっては目的達成の手段に過ぎないらしく、変わらない様子で要求を続ける。
「晴香」
さすがにまずいと思って哉嗚は晴香へと声を掛ける。軍隊は階級で規律を定めている組織だからそれに逆らうことなど許されない。それも総司令官の全権委任状ともなれば疑うことすら恐れ多いような代物だ。
「わかっ…………わかりました」
さすがに晴香もそれはわかっているのか言葉を改めて頷く。
「データはお渡しします…………ですが整備員として聞かなければならないことがあります」
「おいっ!?」
なんで余計なこと言うのか哉嗚は思わず声を出す。
「答えられるかは内容によりますよ」
しかし美亜は気にした様子もなかった。
「やっぱり現場の声って言うのも大切ですしね」
それが自身の目的に沿うなら問題ないというように彼女は微笑む。
「でしたら、ブラックボックスの詳細を教えてください。整備を預かる人間として機体に不明瞭な点があるのは看過できません」
「あなた」
不意に美亜の声のトーンが変わる。
「なんでブラックボックスになってるかわかってます?」
そう尋ねる彼女の表情からは笑みが消えていた。
「それは機密だからです。明かすことができないから機密なんですよ?」
口調自体は子供に諭すようにゆっくりと、しかしその表情に優しさはない。
「でも!
晴香の表情にあったのはさっきのような怒りではなく、相手を納得させようという必死さだった。
襲撃されて命の懸かった状況でも万全でないユグドに乗るのを止めようとした彼女を哉嗚は思い出す。あの時彼女は混乱していたが、だからこそ本心が
整備員はパイロットの命を預かっている。それはありふれた言葉だが晴香はそれを本気で胸に抱えているのだ。
「そもそも機密ってなんでですか! 同じ軍なのに隠す必要がわかりません!」
民間企業であればそういうものもあると晴香は聞いている。自社で開発した技術を他社で真似されたくないのだから当然だ…………しかし兵器開発局は軍の組織である。敵対するアスガルドは魔法国家でありこちらの技術を入手しても再現できない。
故に同じ所属の人間に隠す意味が全く無い…………仲間にも言えないような
「あー、あなた事故死しますよ?」
そんな晴香に美亜はいきなりそんな事を告げる。
「え?」
「事故、って」
ぽかんとする晴香と哉嗚を無表情に美亜は見る。
「事故は事故ですよ。権限もないのにブラックボックスを調べようとする人はなぜだか事故に遭って死んじゃうです。不思議ですね」
平然とした口調で美亜は答えた。
「「…………」」
今度こそ哉嗚と晴香は絶句する。美亜が口にしたのはブラックボックスを探った人間への口封じが軍によって行われているという事実だ。思わず二人は護衛の男性へと視線を向けてしまったが、彼は気まずそうに顔を背ける。
それは美亜が口にしたことが脅しでも冗談でも何でもないと証明したようなものだ。
「あー、失礼します。暮雪美亜技術大佐ですかな?」
そこに
「はい、そうですよ」
「今しがた開発局の方から正式に通達がありました。要請されていたY―01のデータはすぐに引き渡させていただきます。それに機体の方直接チェックしたいことがあればご自由にしていただいて構いません。こちらで手伝うことがあれば申し付けてください」
「はい、ありがとうございます」
それに素直に美亜は頭を下げた。必要であれば使うが、やはり彼女にとって権力や階級など意識するものではないらしい。
「整備長!」
それに不満げに晴香が声を上げるが整備長と呼ばれた男性は彼女を睨みつける。
「お前の気持ちはわかるが整備員である前に軍属であることを忘れるな。上からの命令に逆らうことなどあってはならん」
「…………」
はっきりと糾弾されて晴香は押し黙る。
「だがまあ気持ちはわかる」
声を和らげて整備長は繰り返し、美亜へと視線を戻す。
「暮雪技術大佐」
「はい、なんでしょうか」
「あなたがブラックボックスを機密とするなら我々はその命令に従います」
「当然ですね」
頷く美亜に晴香が顔を歪める。
「ですが皆島整備員が言ったように、不明瞭な部分があれば万全な整備を行うことができないのもまた事実です。あなたも機体のデータを取りたいというのなら当然その状態は万全であるべきだと考えておられると思います。機密を明かせとは申しませんが何かしら解決策を考えて頂くわけには参りませんか?」
「あー、それは問題ないですよ」
すでに解決済みだと言うように美亜は整備長を見た。
「正式な辞令はまだですがY―01ユグドは別基地に転属することが決まっています。それを機に開発局の方から専用の整備員が派遣されることになってますから」
だから機密を明かすことも、それに準ずること検討する必要はないと美亜は言った。
「え、転属って」
それに驚いたのは機体のパイロットである哉嗚だった。
「俺はどうなるんですか?」
「当然一緒に転属ですよ? 他の人じゃ機体を動かせないんですし」
現状ユグドは哉嗚とセットでなければ意味が無い。
「それともここにいなくてはならない理由でもありますか?」
「それは……」
元々哉嗚もこの基地の周辺での戦闘には限界を感じていた。だから言われるまでもなくその旨を上に報告し、転戦を申し出るつもりだったのだ。
つまりは哉嗚自身も望んでいたことで渡りに船なのだが…………それを少し躊躇してしまったのはそれを聞いた晴香の表情を見てしまったからだろう。
悔しさと悲しさの入り混じったやるせない表情。なにせパイロットである哉嗚への責任感からリスク覚悟で美亜に食い下がっていたのに、突然その役目を放り出されてしまったのだ。
「まあ、あなたが望もうと望まないが命令は命令なんですけどね」
先ほど整備長も言った通りに軍人は命令に従うものなのだから。
「…………」
だからこそ晴香は何も言えなかった。先ほどまでは期待を万全にするという大義名分があったが、それが必要無くなる以上は彼女には美亜を追及する理由がもうない。
まさか自分が整備をしたいから転属を取りやめてくれなんて言えるわけもない…………さすがに晴香だってユグドのテストが重要であることはわかってる。それが滞る可能性があるというのなら転属すべきなのだ。
「納得できたならよかったです。では私の要件を……」
二人の心情など知ったことではないと美亜が話を進めようとし
「私は不満です」
「ユグド?」
「はい、哉嗚。私は大いに不満を感じています」
その感情を表すように外部スピーカーにはノイズが混じった。
「そもそも私に関する話なのに、なぜ私の意見を一切聞こうとしないのですか」
それは珍しく哉嗚に対しても不満を示す言葉遣いだった。けれど哉嗚にしてみればユグドがどれだけ人間臭くともあくまで巨人機に搭載されたAIという認識でしかない…………つまるところ道具であり使う側の事情に従ってくれるという頭があったのだろう。
「ええと、ごめん」
「ならばよいです」
素直に謝るとユグドは即座に哉嗚を許した。やはり彼女は彼には甘いらしい。
「あなたが話に聞いたユグド、ですか?」
「肯定します、暮雪技術大佐」
興味深げに伺う美亜にユグドは答える。
「ふむ、色々データを見て検証したいことはありますが…………まずはあなたの不満とやらを聞かせてください」
話に聞いていたからなのか人間のように話すユグドにも戸惑うことなく美亜は告げる。
「転属は構いません。私は自身が戦うためのものであることは理解していますし、パイロットである哉嗚に反対がないのでしたらそれに従います」
不満、という私情を口にした後でありながらユグドは自身が道具であることを受け入れていると言った。つまりはそれくらいその不満とやらは彼女にとって受け入れがたいことなのか。
「では何が不満なのですか?」
「開発局とやらの人間が私を整備するという話です」
「…………それの何が不満なのですか?」
巨人機が戦闘を行う道具である以上は整備は絶対に必要だ。ブラックボックスを含めた整備を行うなら他に選択肢はない。
「見知らぬ人間に体をいじられるのは気持ち悪いです」
「は?」
初めて美亜が呆気に取られたような声を出した。
「意味が分かりません」
「言葉通りです。あなたの知能で理解できないはずがありません」
わかるからこそわからないと言ったのだと、ユグド以外の人間は察していた。
「とにかく、知らない人間にいじられるよりは晴香の方がマシです」
「マシって何よ!」
「言葉通りです」
思わず
「報告によればあなたとその整備員は良好な関係ではないとありますが?」
「確かに私は晴香を好ましく感じていませんしむしろ嫌いですが、優秀ですし整備されるのには不本意ながら慣れました。ですが他の整備員に慣れるまで不快な気分を我慢するのは拒否します」
「…………強行した場合は?」
「私が可能な限りのあらゆる手段を用いて拒否します」
「…………」
美亜は困ったように眉を
全権委任状もわがままなAIに対しては効果を発揮しないだろうから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます