三話 アスガルドの魔法使いたち

 リーフ・ラシルという魔攻士から見るアスガルドという国はいびつだった。

 生まれながらに魔法という大きな力を持った者達による国。その身に宿した魔力を対価に様々な現象を引き起こすことができるのが魔法であり、その力によってこの国は発展して来た…………けれど素晴らしい国とは言い難い。


 アスガルドで絶対視されるのは魔法の力だ。その力が大きいほど高い権力を与えられ、低いほど劣悪な環境で上位者への奉仕を求められる…………おかしな話にしか思えない。この国では大きな魔法を力を持つ者ほど働くことが無く、力の無い者ばかりが酷使こくしされる。


 今もリーフであれば一日と掛からず終わるであろう農作業を何か月も掛けて下級国民とされる労働者たちが行っている…………しかし彼らの作業をリーフが肩代わりすることは認められていない。不思議な話だ。どう考えてもリーフがやった方が効率がいい。力あるものがその力を使わないで何の意味があるのだろう。


 彼らは上級国民に奉仕するのが仕事であり、魔攻士まこうしであるリーフは国を守るのが仕事なのだと長老会は言った…………魔攻士。敵国であるスヴァルトから国を守るべく戦う魔法使いたちの総称。

 リーフはその中でも三位に位置する戦略魔攻士と呼ばれている。簡単に言えばこの国で三番目に強い存在…………けれどその出撃数は下位の魔攻士に比べて驚くほど少ない。


 本当に歪な国だとリーフは思う。

 生活でも、戦いでも、大きな力を持つ者ほどその力を使おうとしないのだから。


「私達が本気で動けば、この戦争は終わる」


 最後の出撃で聞いた言葉をリーフは思い出す。巨人機のパイロットだった少年。機体を大破させながらもリーフに一撃を加え、最後まで諦めなかったその姿が頭に浮かんだ。

 思えばこの国のおかしさに目を向けるようになったのもそれ以来のことだった…………それまでは、言われるがままにその力を振るっていただけだ。


「本当に、終わらせられるのかな?」


 それは少年の言葉を聞いてからずっと抱き続けていた疑問だった。国を運営する長老会に聞くのが最も確実だとは思ったが、それはしてはいけないと本能的に感じていた。

 だからこれまでずっとこの何もない自室で、その疑問の答えを考え続けていた。


 彼女の暮らすその部屋にはベッドの他には私物も一切ない…………それを空虚くうきょと思えるようになったのも最近のことだった。


「…………聞こう」


 どれだけ悩んだかリーフはそう結論を出した。けれどその相手は長老会ではない。


 答えを知っていて、信頼できるような気がする相手のところだ。


                ◇


 リーフはアスガルド三位の戦略魔攻士であり、それはつまり上に二人いるということでもある。しかし二位の戦略魔攻士はリーフが思い出すだけでも顔をしかめる相手で…………答えをくれる相手だとも思えない。

 だから今から尋ねに行くのはそのさらに上の相手だ。


「私はリーフ・ラシル。少し聞きたいことがあってきた」


 あまり頑丈そうに見えない扉を叩いてリーフは中へと声を掛ける。そこは大勢の魔攻士たちが住む巨大な塔の屋上にぽつりと建てられた平屋の家だった。


 魔攻士は基本的に長老会が用意した塔に住むことが義務付けられているが、戦略魔攻士や戦術魔攻士の中でも高位の者、他にも何かしら功績を挙げた者は自分の家を構えることが認められている。


 権利を与えられたものはほとんど広大な敷地に豪邸を構えるが、リーフ自身は必要性を感じずに塔での暮らしを続けていた。そして目の前の家に住む人間はその権利を行使しながらも、塔の屋上という僻地へきちにそれほど豪奢ごうしゃでもない自宅を建てた変わり者だった。


「これは、珍しいとしか言いようがない来客だな」


 少しして扉が開いて男が顔を出す。年齢は二十代後半くらいだろうか。濃い赤茶の髪が特徴的で、視線は鋭いのに全体的に締まりのない表情を浮かべていた。寝起きなのかラフな格好をしており無精ぶしょうひげもそのままだ。


 だがその彼こそがグエン・ソール。一位の戦略魔攻士にしてこのアスガルドで最強の魔法使い。三位であるはずのリーフをして彼に勝利するどころか一矢報いっしむくいるところすら思い浮かべることができない存在。


「愛の告白に来たって感じではなさそうだな」

「聞きたいことがあると言った」


 値踏みして面白がるような視線に憮然ぶぜんとしてリーフは答える。魔攻士たちの中でもグエンは女好きで有名だ。我関せずで噂話にはうといリーフですら知ってるのだから知らない人間はいないと言っていい。

 時々出撃する以外は女か酒を望むままにかっ喰らって自堕落な暮らしをしているというのが周知の見解だった。


「質問の対価に私の体を望むならそれでもいい」

「…………そういうのはもう少し育ってから言え」


 途端に渋い顔を浮かべてグエンがリーフの身体へ視線をやる。彼女の年齢は十七だと聞いているが明らかにそれよりもいくつか若く見える。


 容姿は悪くないしむしろかわいい部類だ。しかし栄養が足りてないのか肌はやけに白いし体の線も細すぎるし胸も尻も平坦だ…………特に胸がつつましやか過ぎるのはグエンにとって問題だった。


「内容にもよるが質問くらいいくらでも答えてやるよ…………いや、質問に答えるから飯はもっとちゃんと食うようにしろ。お前、明らかに足りてねえだろ」

「…………努力する」


 指摘された通りリーフは食事を最低限しか摂っていなかった。別にアスガルドの食事が不味いというわけではない。戦略魔攻士に与えられる食事は最高級のものばかりだ…………単に、リーフが食事に何の感情も抱いていないだけだ。


 それはこれまで生きるという意思が彼女から欠落していたせいかもしれない。


「まあ、立ち話もあれだから入れ」

「わかった」


 うながされるままにリーフはグエンの自宅に上がる。その室内は噂に聞く自堕落な生活とは裏腹にきっちり整えられているように感じられた。案内された応接間もゴミなどが散らかっているようなこともなく、むしろ掃除が行き届いているように見えた。

 調度品なども豪華というほどではないが、それなりにしっかりした作りの物が置かれているようだ。


「で、何が聞きたい?」

「…………」


 尋ねられてリーフは少し考える。当たりさわりのない質問から入っていくか、内容をぼかして抽象的に尋ねるか…………面倒くさい。

 自分はグエンを信用できる気がすると判断したのだ、それならば直球で尋ねればいいとリーフは思う。別に見込み違いでもこの場に自分一人分の灰が積み上がるだけなのだから。


「あなたはこの戦争を終わらせられるの?」

「…………これまた予想外の質問だな」


 演技というわけでもなく、グエンは純粋に虚を突かれた表情を浮かべていた。


「どうなの?」


 構わずにリーフは答えを促す。


「俺にそれができるなら、こんなくだらない戦争とっくに終わらせてると思わないか?」


 アスガルドとスヴァルトの戦争はそれこそリーフやグエンどころか長老会の爺連中が生まれる前から続いている。今の世代は生まれた時から戦争中で、戦争をしているのが当たり前のことなのだ。


 戦争のきっかけは二つの国の領土が広がり隣接してしまったこと…………そして話し合いが行われることすらなく戦争は始まった。

 アスガルドの側からすれば魔法の力も持たない下等民族は相手に交渉する必要すら感じず、スヴァルトの人々は自分達が新たな国を興す原因となった魔法使いたちに屈するつもりはなかったからだ。


 当然これまでに和平交渉なんてものも行われていない。


「できるの?」


 けれど聞きたいのはそんなことではないとリーフは繰り返し尋ねる。彼女が求めているのはただ出来るか出来ないかの純然たる事実確認だけだ。


「はあ…………ああ、できる」


 そんなリーフの視線にグエンは諦めたように溜息を吐き、頷いた。


「スヴァルトの主力の巨人機とやらは正直大したもんだ。大半の魔攻士は一対一じゃ手も足も出ないし、戦術級の連中でも数で囲まれたらやばい…………おまけにあっちは道具で才能に左右されないからな、国同士の戦いって観点で見ればこの国はもう詰んでる」


 それが技術と才能のどちらに頼っているのかの差だ。


「ところがだ、俺はあの巨人機が何千機とやってこようが焼き尽くせる。立ち塞がるもの全てを焼き尽くしてスヴァルトの首都を落とせるわけだ…………まあ、流石に俺も疲れはするがその隙はお前やアイズあたりが埋めれば万全だな」

「本当にやれる? スヴァルトはあなたを倒せる何かを隠してるかもしれないのに」

「秘密兵器たって巨人機より何万倍も強いわけじゃないだろ」


 そんなものがあるならそれこそアスガルドはもう負けている。


「今の巨人機の千倍強い程度なら俺は倒せる」


 それくらいの余裕がグエンにはあった。


「なら、なんで終わらせないの?」


 くだらない戦争だとグエンは自分で言っているのに。


「長老会のクソ爺どもが俺という切り札を切る勇気が無いからに決まってるだろ」

「…………クソ爺」

「あん? クソ爺でも上等だろうあんなゴミ溜め共」


 呟くリーフに吐き捨てるようにグエンは続けた。


「それともお前も長老会に忠誠を誓ってその言葉は絶対って口か?」

「違う」


 ふるふるとリーフは首を振った。


「まあ、大体の魔攻士はそうだわな…………まあ、餌目当てのアイズの野郎なんかは全力で尻尾振ってやがるが」

「…………」


 二位の戦略魔攻士の名前にリーフが顔をしかめる。


「あー、そういやあいつにお前は良く絡まれてたな」

「…………気持ち悪い」

「そうか、なら次に絡まれたら俺に言え。代わりにぶん殴ってやる」


 順位が下のリーフでは逆らえずとも一位のグエンであれば別だ。


「助かる」

「おお任せろ…………っと、話が逸れたな」


 グエンは肩を竦める。


「で、俺が戦争を終わらせられないのは長老会のクソ爺どもが戦略魔攻士を温存してるからだ。お前も自分に碌に出撃命令も下されず、命令があってもどうでもいいような戦場ばかりに送られてることは気づいているだろ?」

「うん」


 リーフは頷く。思えばあの少年に出会った戦場も重要な場所ではない。前線とはいえ長い膠着戦が続き、戦闘も哨戒任務に出た者同士がかち合う程度。あの時リーフに下された命令も要約すれば適当に前線を哨戒しろというだけで、絶対にスヴァルト国内までは行くなというものだった。


「不思議だった」


 激しい戦闘が行われる場所が無いわけではない…………しかしリーフはそういう戦場には送られずより下位の魔攻士たちが命を張っている。彼女であれば無駄な命が失われることなく勝利をもたらすとわかっているはずなのにだ。


「あの爺どもはな、この戦争がもう国として負けてることには気づいてる」


 リーフの疑問にグエンは答えを口にする。


「その負けを決定的にしてないのは俺たち戦略魔攻の存在だ…………だからそれを失うことを最も恐れてるんだよ」


 グエン達が死ねば即座にスヴァルトは侵攻してアスガルドを滅亡させるだろう。だから長老会の重鎮たちは危険な戦場にグエン達を送らない。しかし全く戦場に出さないのでは他の魔攻士に示しがつかないから、重要ではない絶対に死ぬ危険が無いであろう戦場にだけ送っているのだ。


「…………ビビってるんだ」

「そうだ、ビビってんだよあの爺どもは」


 グエンがおかしそうに頬を緩める。


「スヴァルトの首都には戦略魔攻士を倒せるような決戦兵器が眠ってるとか与太話よたばなし がたくさんあるんだがな、耄碌もうろくした爺どもはそれを信じてるんだよ…………いや、信じてないのかもしれないが否定しきれないんだろうな、ビビッて」


 よっぽどその物言いが気に入ったのか、くくくっとグエンが笑いを堪える。


「だがまあ、そんなビビりの爺どもに逆らえないのが俺だ」


 そして不意にそれが自嘲する笑みへと変わった。


「それは…………しょうがない」


 長老会はアスガルドの中でも力のある魔法使いによって構成された国の意思決定を行う最高指導部だった…………しかしその実態は長い権力闘争によって変化し、現在は長老たちの私利私欲によって運営されている。

 当初は才能ある魔法使いが実績によって長老会の席を得ていたらしいが、現在は血筋とコネが主流でありほとんどの席がそれぞれの派閥や一族で固められて新しい人間が入る余地はない。


 そしてその何よりの問題は当初の長老会の思想と違って魔法使いとしては大したことのない者が席に着くことがあるということだ。魔法の力が絶対視されるはずのアスガルドでそれは大きな矛盾であり、名ばかりとなった長老会では仮に力ある魔法使いが反乱を氾濫を起こしても鎮圧できない。


 だから長老会は生まれる子供全てに呪いをかけた…………強大な力を持つはずの戦略魔攻士であっても決して逆らえない呪いを。


「まあ、だからこそ俺は実力を隠してるわけだがな」

「え?」


 不意にグエンが口にした言葉にリーフは思わず呆けてしまう。


「隠してる、って?」

「さっきお前に話した俺は勝てるって事実をクソ爺どもは知らん。俺とお前やアイズにかなりの実力差があるのは知ってるだろうがそこまでぶっ飛んでるとは思ってねえ」


 だからこそグエンと違い秘密兵器の可能性を否定しきれずビビっているのだ。


「なんで、そんなことを?」

「そりゃ流石に俺の本当の実力を知ったらあのビビり爺どもでも決断しちまうからだよ」


 グエンという切り札を切ることを。


「そしたら勝っちまうだろ、この戦争にこの国が」


 まるで勝つことが望まないと言わんばかりにグエンは言った。


「もしかしてあなたは…………」

「ああ、そうだ」


 最後までリーフが口にする前にグエンは大きく頷く。


「俺はこの国はスヴァルトとの戦争に負けるべきだと思ってる」

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