二話 ユグド

 ユグド。それは哉嗚かなおにとっても印象深い名前だった。心定まらぬままに病室を抜け出した哉嗚が戦う覚悟を決められたのはあの機体に出会ったからだ。


 従来機とは比べ物にならないほどのエネルギー出力に運動性。AIが人間のような自我を持つ必要性はわからないが、それを哉嗚は嫌だとは思わない。


 戦場で最後の時を孤独に迎えずに済むのならば、それは喜ばしいことだろう。


「あれは遺跡から発見された新技術なんですか?」

「いや、知っての通り国内の遺跡は全て捜索が済んでいる…………あの機体は我々が独自に開発したものだ」

「それは、すごいですね」


 素直に哉嗚は感嘆かんたんする。スヴァルトで使われている技術はほとんどが古代遺跡から発掘したものだ。古代文明頼りと言ってしまえば聞こえは悪いが、進んだ技術がわかっているのにそれを使わない理由こそない。


 故にスヴァルトにおける技術開発とは古代遺跡から発掘された技術を解析かいせきし、原理を解明してそれを応用できるようにすることである。独自の技術を開発しようにもそれよりも優れた技術が存在することがほとんどであり、新技術の開発は無駄な時間と思われているからだ。


「…………」


 だが辻はそれを誇る様子もなく感情を殺したように沈黙した。それを哉嗚はいぶかしむが語らないと決めたことを問い詰められる相手でもない。


「それで、あの機体は量産されるんですか?」


 仕方ないので哉嗚は別の話題を口にする。


「残念だがその目途めどは立っていない」


 哉嗚の質問に辻は小さく首を振った。


「詳しいことは機密になるため伏せるがY―01に搭載されているリアクターは特殊な代物で安定した生産ができているとは言い難い…………それに完成した機体もまともに運用がされているとは言えないのが現状だ」

「そういえばユグドもメンテナンスがうまくいっていなかったと聞きました」


 動作不良の原因がわからない上にブラックボックスが多くて調査もできず、半ば放置されていたのだと整備員である晴香も言っていた。


「そうだ、生産された機体はそのほとんどが似たような状態だ…………辛うじて運用できた機体も想定された性能を引き出せているとは言い難い」


 そんな状態では量産化に向けて動き出すことはできない。安定した性能を発揮できるようになって初めて量産化は実現できるのだ。


「だが君はそのユグドを安定した状態で動かし、さらには想定以上の性能を引き出して戦って見せた」

「特別なことはしていません、偶然です」


 これは謙遜けんそんでもなく純然たる事実として哉嗚は口にする。実際に哉嗚のしたことと言えば整備不良を理由に反対する晴香を押し切ってユグドに乗っただけだ。

 最初は確かに不調だったがAIがユグドを名乗り意思があるように喋るようになってからは問題なくなった…………つまりは搭載されたAIがうまく起動していなかっただけなのではないかと哉嗚は思っている。


「確かにそれは事実だろう。しかしあの機体には君でしか動かせない何かがあったのも確かだ…………現にあれからユグドは君以外のパイロットを受け付けないそうだ。理由が分からず整備員がまた頭を悩ませていると聞いている」

「そう、なんですか?」


 巨人機は道具だ。道具の強みは誰が使っても一定以上の効果を発揮できることである。もちろん個人用にチューンナップされた道具も存在するがユグドはそうではない…………おかしな話だと哉嗚は思う。


「だから今後も君にはあの機体に乗ってもらいデータを取らせてもらいたい。それによって安定運用の方法がわかれば量産化にもより力が入れられる…………最初に少々戸惑わせるようなことを言ってしまったが軍として君に求める要求はそれだけだ」


 つまりはテストパイロットになれということで…………それならば哉嗚も素直に受け入れられる。自分がユグドを動かせた理由はわからないが、それを考えるのはデータを取った研究者たちに任せればいい…………戦うだけならわかりやすい。


「その命令、つつしんでお受けします」


 それに哉嗚にはユグドに乗らなければいけない理由がある…………約束したのだ。彼女と共にリーフ・ラシルを討つと。


「データ取りといっても当然実戦にも出てもらうことになるが構わないかね?」

「それはむしろ望むところです」


 ユグドが乗機であれば哉嗚に後必要なのは実戦経験の勘だけなのだから。


「…………Y―01が量産可能になればアスガルドへの侵攻計画も現実味を帯びて来る。重要な任務ではあるが本番の前に撃墜されぬように気を付ける事だ」

「侵攻計画があるんですか!?」


 思わず哉嗚は声高になる。侵攻の成功は敗北に直結するという話をしたばかりなのに。


「侵攻計画自体は議題にはよく上がるのだ…………否決される理由は言うまでもないがね。だが現実的な話として我々が勝利するには戦略魔攻士を倒しうる技術を手に入れるしかない。そしてその技術は新開発される可能性よりも古代遺跡から発掘される可能性の方が高いだろう」

「ですが国内の遺跡は……」

「だからこその侵攻計画だ」


 国内を掘りつくしたなら国外を探せばいい…………アスガルドの領土を。


「もちろん都合よくそんな技術が見つかるとも限らんし、そもそもアスガルドの側に遺跡が残っているかもわからない…………だがこの薄氷に乗った状況を続けるよりは賭けに出たほうがよいと考える者は多い」


 少なくともある日突然個人の気まぐれで国が滅ぶよりは、自身の意思で動いた結果滅ぶ方がマシではあるだろう。

 それでも勝算なく突っ込むのはただの無謀だが、ユグドが量産化されればそれほど無謀な計画でもなくなるのだ。


「つまるところ座して死ぬよりは、という話だ」

「それなら自分も動く方に賭けます」


 そうでなければ立ち上がろうとは思わなかった。


「そうか、では君の期待しているよ。正式な辞令は近い内に届くようにしておく」


 話はこれで終わりと辻が指を鳴らすと護衛が部屋に戻って来る。


「失礼します」


 頭を下げて哉嗚は席を立つ。


「ああ、さっきも言ったがユグドの整備で整備員たちが難儀しているようだ。現状辞令が出るまでは何をしていても君の自由だが、暇があれば顔を出してやるといい」

「そうですね、そうします」


 頷き、今度こそ哉嗚は部屋を後にした。


「ふむ、やはり若者に嘘を吐くのは心が痛むな」


 それを確認し、辻は誰にも聞こえぬようそう呟いた。


                ◇


 応接室を後にしたその足で哉嗚は巨人機の格納庫へと向かった。最初にユグドが保管されていた第一格納庫は襲撃で崩壊してしまったが第二、第三格納庫は無事に残っている。戦闘終了後に哉嗚は指示されるまま第二格納庫にユグドを移動していた。


「だーからーっ! 開けなさいって言ってるでしょ!」


 そうして辿り着いた先の第二格納庫の中から聞こえてきたのは、つい最近も聞いたばかりの晴香の怒声だった。あの時は極限状況下だったから無理もないかと思っていたが、平時であっても彼女は怒鳴るらしい。

 一体何をやってるんだと格納庫に足を踏み入れ、遠目に哉嗚は声の方へ視線を向ける。


 格納庫が一つ潰れてしまったせいか第二格納庫内は手狭てぜまに見えた。本来の許容以上の巨人機が格納され、その周囲では整備員たちがひっきりなしに動き回っている。

 襲撃に応戦した巨人機達はユグドが出るまで劣勢だったから損傷も大きいのだろう。整備員にも被害が出ているので人手も足りていないのかもしれない。


「何度も言ってるでしょ! コクピットに入れないと動作確認できないの! あんたの大事なパイロットを守るための整備なんだから協力しなさないよ!」


 そんな状況下で響く晴香の怒声はなんだか場違いであるように聞こえた。それはまるで親が子供を叱っているような声色に思えた。他の整備員たちは関わらないようにしているのか、それとも無視を決め込んでいるのか自身の作業へ集中している。


「くどいです。私は哉嗚以外の人間を登場させるつもりはありません」

「私だって乗ったでしょ!」

「非常時です。それに私は追い出すことを哉嗚に提案しました」


 晴香の怒声へと返す淡々とした声に哉嗚は額を抑える。半ば予想はしていたが整備員を悩ませていたのはユグド本人であるらしい…………外部スピーカーから返答しているのだろうが、整備員である晴香の命令に逆らったりとAIとしてはやはり規格外だ。


 いずれにせよ自分の名前を聞いてしまった以上はここで知らないふりをして周り右というわけにもいかないだろう…………元より手伝えることがあればと思ってきたわけなのだし。


「あー、調子はどうだ?」


 自分でも白々しいと思える声で哉嗚は話しかける。


「「哉嗚!」」


 二人が同時に哉嗚の名前を呼ぶ。


「ちょっとこの馬鹿AIにあんたからも言ってやってよ!」

「哉嗚、この煩い小娘を排除することを要求します」


 同時にまくしたてる一人とAIに哉嗚は周囲をちらりと見やる。他の整備員の誰一人こちらには視線を向けていない…………不自然なほどに。それはいいからお前が何とかしろという無言のプレッシャーのようにも感じられた。


「とりあえず、二人とも落ち着け」


 努めて落ち着いた声で二人を諭す。


「まずは落ち着いて事情を聞かせてくれ」

「この馬鹿AIがっ!」

「この煩い小娘がっ!」

「…………とりあえず晴香から」


 溜息を吐いて哉嗚はそう口にする。不満なのかユグドのスピーカーから一瞬ノイズのようなものが聞こえたが、哉嗚に文句を言うつもりはないのかそのまま黙り込む。


「ええとね、まず私は改めてユグドの整備担当になったの…………元々ユグドが安定起動しない状態だった時から私の担当だったしね。とはいえ本来は一機に何人かの整備員が付くんだけど、整備班の状況は見ての通りだしブラックボックスも多いから関わる人員は最低限にしたいって話でね」


 哉嗚が仕切って少し落ち着いたのか晴香の口調も冷静さを取り戻していた。


「と言っても整備に関しては先の戦闘ではユグドに目立った損傷はなかったし、レーザーライフルの損耗そんもう確認と機体の各所チェックをするだけだったの」


 そしてそれらに問題はなかった。レーザーライフルだけはあの馬鹿げた威力もあり通常よりも損耗具合は高かったが、それも交換の必要ない範囲で済んでいた。後は動作チェックを済ませて他の応援に回ろうと晴香は考えていたのだ。


「それなのにこの馬鹿AIはコクピットをロックして搭乗拒否して来たのよ。外部接続からハッキングして開けてやろうかとも思ったけど、内部システムはいじるなって上の方から通達があったのよね」


 それが無かったらAIごと積み替えてやったのにと晴香は毒づく。


「そんなわけでちょっとカッとなっちゃったわけ…………大人気なかったとは思うわ」


 反省したように口にするが付け加えた一言は明らかにユグドへの皮肉だ…………とはいえ晴香の気持ちはわからなくもない。出会いの時のことを考えれば彼女が整備に対して真剣な態度で挑んでいるのは明らかだった。

 だから念のために動作チェックを行い万全であると確認したいのに、それをユグドが拒否するせいで作業が終わらない…………周囲では手伝いがいくらでもいる同僚たちが忙しく働いているのにだ。


「あー、ユグドはなんで晴香の動作チェックを嫌がったんだ?」

「そんなもの決まっています」


 尋ねるとすぐにユグドは言葉を返す。


「哉嗚以外の人間をコクピットに乗せるなど気持ち悪いです」

「…………なるほど」


 これ以上ないくらいに感情論だった。しかしそれだけに納得させるのは難しい…………少なくとも怒鳴っては従うはずがないだろう。


「その、我慢は出来ないか?」

「…………出来ないとは言いません。ですがそれによって不具合が発生する可能性は非常に高いと申告しておきます」

「それ、不具合じゃないわよね」


 即座に晴香がつっこむ。他の人間が乗ったら不具合を起こすぞという脅しにしか聞こえなかった。


「まあ、晴香も落ち着け」


 再燃しそうな雰囲気の彼女を哉嗚は宥める。


「仮に晴香がユグドの立場だったとしたら気に入らない人間を乗せるのは嫌だろ?」

「そりゃあ、そうだけど……」


 仮定としては荒唐無稽ではあるが想像はできる。自分の内部とも言える空間に好きでもない人間が入り込んだとしたらそれは気持ち悪いだろう…………けれどそれは人間である晴香の感想であってAIは本来そんなことを気にしないはずだ。


「AIに自我持たせるとかどう考えてもデメリットしかないじゃない」


 そもそもそんなAIの存在自体を春香は聞いたこともなかった。AIのプログラムは発掘されたものをそのまま流用していると聞いてるが、基本的な機能としては状況や使用者の行動に対して的確なリアクションを返すというだけのものだ。


 ユグドのように自分の意思で行動したり命令に反するなんてことは普通ありえないし、できるようにする理由が無い。


「まあ、とにかくだ」


 ぶつぶつ呟く晴香をよそに哉嗚は口を開く。


「気持ちはわかるがユグドもただ反発するだけじゃ駄目だ。晴香は敵じゃなくユグドを整備してくれる仲間なんだから協力できる部分はしてあげないと」

「…………哉嗚がそう言うなら」


 渋々と言ったようにユグドが答える。


「もちろん俺も協力できる部分は協力するよ」


 そう言って哉嗚が晴香を見る。


「いずれは慣れて欲しいけど当分はコクピットに入らなきゃいけない作業は俺が手伝うよ。晴香もそれでとりあえず納得してくれないかな?」

「…………」


 晴香は一旦憮然ぶぜんとした表情を浮かべるが、すぐに息を吐いてそれを崩す。


「わかったわ、現状余計な事へ時間をかけていられないし」

「ならよかった」


 根本的な解決にはなっていないがこの場はこれが限界だろう。


「それじゃあすぐに始めましょう」

「ああ、ユグドもいいよな?」

「了解です、哉嗚」


 言うが早いか即座にコクピットが開く。散々苦労させられた晴香はそのあっさり具合に納得いかない表情を浮かべているが、またへそを曲げられては困ると思ったのか口を噤む。


 それに苦笑しつつ、哉嗚はコクピットへと滑り込んだ。

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