第3話 東京町田にクルマを買いに行った帰り
第3話 「東京町田でクルマをやっと受け取って」
やっと着いた「鶴川駅」は都会の狭間の落ち着いた雰囲気の綺麗な駅でした。
薄曇りの空から、4月の優しい日射しがこぼれ、和んでしまうような到着の風景でした。
ワシは先ほどの電話で指示されたように、右に出て、バス、タクシーの駐車場に向かいました。駅までお迎えにあがりますのとことでした。
目の前に、どこかで見たような紺色のスターレットが止まっていました。オークションの写真で何度も確認したワシのクルマに間違いありません。予想以上につやがあって綺麗な印象でした。
「あのう、もしかして。」
「はい、お迎えに上がりました。どうぞ。」
眼鏡とつなぎの服がとっても似合うキュートなお嬢さんが運転席にいらっしゃいました。ちょっと意外なお迎えに、こんなことならもっと良い服着てくれば良かったと思いました。
さっそく助手席に乗りこませてもらい、北村自動車というところに向かいます。内装もきれいで程度抜群じゃあないですか。青っぽいファブリック地のシートも汚れてないし、シミも臭いもないようです。エアコンもバッチリ効いていて、ラジオからは都会のしゃれた音楽流れていました。オーディオ関係も心配ないようです。
「島根からだとどれくらいかかるんですか?」
「はい?」
突然の質問に
「ええっと。汽車で(この時点で田舎から来たことがばれていた。なぜなら都会は「電車」なのだから)15時間くらいです。空港もあるんですが、1日1便しかな
くて。」
「島根ってどこにあるんですか?」
「本州の西の果てです。広島の上にあります。」
「鬼太郎、有名ですね。行ってみたいなあ。」
「はい。そうですね。(それは鳥取ですと言いたかったのですが、おそらく都会人
にとって鳥取島根は判別不能だろうと考え、否定できなかった合理的なワシでし
た)」
そうこうしているうちに、めざす北村自動車に到着しました。意外とこじんまりとしてる自動車整備工場でしたが、整理整頓がよくなされていて清潔感もあって、何となく良心的な雰囲気が伝わってきました。
「いらっしゃい。わざわざ遠いところをありがとうございました。」
人の良さそうな社長さんが出てこられて挨拶されました。それから事務所に通されて、コーヒーをご馳走になりながら、書類の確認をして、外に出て車の確認をして、なぜか粗品までいただきました。「ゆっくり休んでいってください。」と言われたのですが、帰りのことで頭がいっぱいで、横浜インターまでの道を教えてもらって、バタバタと慌ただしく出発しました。社長さんと娘さんの見送りを受けて、島根に向かって出発しました。
初めて乗ったスターレットディーゼルですが、エンジン快調、足回りもばっちりで内装もきれいで、よく整備されていました。途中でエネオスを見つけたので、軽油を満タンにしてもらいました。30リットルくらい入って2000円ちょっとだったと思います。あの頃は軽油がもっと安かったので、財布にも心臓にもいいディーゼル車でした。わざわざ横浜まで買いに来た甲斐があったというものです。しばらく行くと横浜インターを発見。OK、OK、もう帰ったようなものです。高速に乗ってしまえば迷いようがないですから。横浜駅到着後からわずか2時間で車を受け取って、コーヒー飲んで、燃料入れて、横浜インターですから上出来ですよね。あとは東名高速初乗りで、東海道の景色を見ながらのんびり帰りましょう。その時は、「たぶんいくら遅くなったとしても、今夜の10時頃には米子インターに到着するから、明日の名義変更に備えて、米子の温泉にでも入って、疲れを癒してゆっくり休もうか」などと考えていた世間知らずのワシでした。この後、とんだ目に遭うなんて考えもしなかったのです。
午後1時半、ワシは「海老名サービスエリア」というところでうどんをすすっていました。のどかだった天気は一変して大雨になっていました。初めての東名高速道路ですので、どこを走っているのかさっぱり不明でした。しかもこの大雨で視界も不明でした。ついでに昼食を食べそこねて空腹でした。それからみんながビュンビュン飛ばすので、非力なスターレットディーゼルは、左車線をひたすらトコトコ走っておりました。東名高速に乗ってから、まだ1時間も走っていなかったのですが、ここらで体制を整えるために休憩することにしました。海老名サービスエリアに飛び込んだのでした。後で調べてみたら、横浜インターからすぐのSAですが、とにかくちょっと休憩です。しかしでかいSAです。とりあえずサービスカウンターに行って地図(エリアガイド)をもらって、スナックコーナーでうどんを食べながら今後の予定というか工程の目安を考えました。改めて地図を見ると、こりゃあ遠いというかなんというか。要するに東名高速道路ってものすごく長いんですね。ほんとに。こりゃあ先を急がないといけません。のんびりうどんなんか食ってる場合じゃあないことに改めて気づいてしまったのでした。
出発だ。出発だ。缶コーヒー買って、急いでスターレットに乗り込んでエンジンかけて。このガラガラいうディーゼル特有の音はなぜか心が和みます。そんなに急がなくてもいいよって言ってくれているようです。思ったよりも加速も良くて、ちゃんと合流できました。やっぱりいいなあ。この車。燃料だって1mmも減ってないし。もしかしたらこのまま島根まで帰れちゃうかもね、などと少し焦りつつ脳天気な旅を続けていました。
午後3時です。富士川サービスエリアで休憩。なぜか動かないのにおなかが減る。仕方がないのでカレーを食べました。カレー食べ食べ地図で確認したら、お先真っ暗だということに気がつきました。「まだたったここまでしか来てないんかい」という絶望感です。でもここまでの道のりで「厚木」とか「御殿場」とか「沼津」とか、聞いたことのあるようなないような地名に遭遇しとりまして、ちょっと感動というかホントにこんな地名があるんだなあとか、そんなことを考えて妙に関心しておりました。それから富士山も見えました。写真にそっくりで、さすがに「富士は日本一の山」だなあと思いました。ホントに美しいというか気品のある山でした。
3時半ころ「由衣?PA」でちょっと休憩しています。というか、なぜこんな見ず知らずの場所に止まったかというと、高速道路が海岸のすぐ側を走っていたのに驚いて、思わず国道に降りてしまったのかと思ったからです。高速道路なのにそのへんの海沿いの国道と変わらないというか、そんな異様な景色にびっくりして思わず確認しなければと思ったからです。波が結構荒くて嵐のようでした。ついでにちょっと休憩して「さあ、急ぐぞ。」と気合いを入れて再出発です。先は長そうです。
それから延々と東名高速道路の左車線を走り続けました。いつの間にか雨も止んで西日がきれいだなあって、もう西日が出てると言うことは夕方ですか。計画ではとっくに大阪辺りを走っている頃なのに、なんとまだ名古屋にも着いてないってどういうことよ。決してノロノロ走ったわけでもないし、休憩取りすぎたわけでもない。ひたすら真面目に一生懸命に走ったのにこの結果は何ですかって思いました。そうして導き出した結論はというと、そうです「絶対量が多すぎた」ということでした。つまり東京から名古屋までの東名高速道路は、私が想像するよりずっと長くて遠かったということです。「今さら気づいてどうするんかい」と自分でつっこんでみましたが、どうすることもできないので、ひたすら走り続けることしかありません。それからしばらく走ってると、正面に何ともいえない雰囲気のトンネルがありました。なんと言っていいのかわかりませんが、何となく不気味な雰囲気で、早く通り抜けたくてたまらないのです。嫌な予感に霊気に不吉な感じに、私の第六感が警報を鳴らしているのです。出口でちらっと見えたのですが「日本坂トンネル」と書いてありました。「日本坂トンネル?」どこかで聞いた憶えがあるぞ。何だっけ。何かあったところ?事故?そうだ、いつだったかは忘れたけど、ここで事故による大火災が発生して・・・。あの場所だ、間違いない。えーっ、嫌だなあ。人間全てを失って怖いモノなしと思っていても、こういうことはやっぱり怖い。早く出んといけん。早く。スターレット頑張れ、もっとスピード出してくれ。
夕方の5時過ぎに「遠州豊田PA」というところで休憩。あとで見てみたら、メモ帳に一言「遠いよー」って書いてありました。それからあまり記憶になくて無我夢中で走っては休み、走っては給油し、お金と時間がどんどん減っていく(しかもどちらもあまり余裕がない!)心配と不安がだんだん大きくなってくるのでした。
6時半「美合SA」なぜか渋滞表示が出ていたので休憩しました。車から降りると寒い。なぜか気温が下がっていて一層不安になりました。それから海老名でもらった地図が終わってしまったので、次の名神高速道の地図をもらいました。さよなら東海道、さよなら東名高速道路でした。たぶんもう二度と走ることはないだろうと思いました。
7時半に「木曽川SA」で休憩。やっと岐阜県かあ。どっかのPAに450Kmポストと書いてありました。あと300kmもあるんかい。
京都~大阪間では、非常に道幅が広くて車線が何本もあって、どこ走ってええのかわからんさかい(大阪近づいたね)どちらにも曲がれるように真ん中の車線を全開で走っていたら、両側からビュンビュン抜かれて非常に怖い思いをしました。都会ってみんな速いなあと感心しながら、ハンドルを握りしめて必死にアクセルを踏み込んでいました。
このあたりから、疲労と心痛で記憶がだんだん曖昧になっているのですが、何とか案内標識を頼りに、死にそうになりながらなんとか中国自動車道に入って、たぶん夜の10時頃に「西宮」を通過したと記憶しています。というか疲労と気疲れと栄養失調と恐怖とで、脳細胞が相当ラリッている状態でしたので定かではありません。それでも本能で必死に運転を続けておりました。もう限界への挑戦以外の何物でもありません。ちなみに予定では米子に着いている時間です。中国道に入ってからは、時間が遅いこともあって、すっかり貸し切り状態になりました。急に道も暗くなり、頼りになるのは、スターレットの小さなハロゲンライトのみです。そうこうしているうちに、戦車に遭遇。夢かと思い、思わず口が開きっぱなしになりました。正確には戦車(本物を初めて見た)を乗せたトラックみたいなトラック?が何台も連なって走っていたのです。びっくりして目が覚めました。何事ですか?そうだ証拠写真を撮ろうということで、追い越し車線から何枚かぱちぱち手撮りをしました。あのこ戦車の人が感づいて追いかけてこないかなどと不安になって、一生懸命逃げました。もしかして2,26事件みたいなのが始まったのかもしれないと思いました。
深夜1時32分。やっと大山PAにつきました。このときセルフタイマーで撮った写真が残っていますが、もう完全に顔が死んでいて10歳は老けています。もうどうでもよくなってこのまま車内で寝ようかとも思いましたが、米子まではあとたったの6㎞です。
メモ帳には「死にそう」とだけ書いてありました。昨日の昼前に東京町田を出て、延々運転し続けて13時間。やっとというかようやく、鳥取県まで戻って来ることができたというただそれだけのことですが、ワシにとってはとても大変な一日だったのです。
疲れた。でも楽しかった。
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