第2話 東京町田にクルマを買いに行く途中

「東京町田にクルマを買いに行くこと途中」


 4月17日午後7時。大雨。

 何か知りませんけど、ワシはカバン1つを下げて、通学の高校生に混じって駅のホームで汽車(電車じゃあない)を待っておりました。小さな跨線橋を越えて2番ホームへとやって来たのです。

 この跨線橋のは色々と思い出がありました。高校へ通学する際に、発車寸前の汽車に向かってにダッシュしました。部活で遅くなって帰ってきた私をこうこうと灯る蛍光灯が優しく迎えてくれました。大学に合格してこの街を出ていくときには、優しい春の日射しで励ましてくれたりなど思い出はつきません。今時珍しい屋根付きで木造で、何度もペンキを塗り替えた跡もあり、幅2メートルぐらいの小さな跨線橋は、二十数年間もまったく変わらずにいてくれたのです。

 そうこうしているうちに、古びたキハ40が、雨に濡れながらたった1両で入線してきました。「小郡(現在の新山口)行き」です。これから2時間ちょっとの夜の山口線普通列車の旅の始まりです。

 ワシは、東京町田までどうやって行こうかと試行錯誤しました。貧乏暇ありのワシにとって、飛行機は賢い選択ではありませんでした。当時は「東京行き」の夜行バスもあったのですが、着いてからスターレットディーゼルを運転してとんぼ返りする身にとっては、これが結構きつそうでした。 ワシは無謀にも、次の日の昼に東京町田で車を受け取ったら、速攻東名、名神、中国と高速をぶっ飛ばして、できれば松江まで戻ってしまおうと考えていたのです。もちろん東名や名神を通るのは初体験です。ちょっと調べてみたら、「町田」「米子」インター間が約700キロもあります。でも時速100キロで約7時間。休憩を入れても8時間もあれば何とかなりそうです。この時ワシは、けっこう楽勝だと甘く考えておりました。

 でも安全上、やっぱり前夜はしっかり寝ておかないといけないと思い、「安い」「休める」「宿は取らない」の貧乏三Y主義で、ない知恵絞りまくって考えたのが次のような壮大なプロジェクトS(スターレット)だったのです。

そこで考え抜いた具体的なプランが次の通りでした。


4月16日(火)(19時15分発・普通)→(小郡 21時23分着)→

        (小郡 22時4分発・寝台特急「さくら」B個室料金同じ)

4月17日(水)(横浜 11時7分着)(乗り換え、京浜東北線→横浜線 

         →町田着)

                    以上料金合計22000円。

         東京町田の北村自動車様で愛車となるスターレット受け取る

         速攻で「横浜町田」インターから東名高速道路

         東名、名神、中国と高速乗り継ぎ米子道終点「米子」インター

         到着20時頃。宿見つけてゆっくり就寝

4月18日(木) 朝一番に中国陸運局事務所島根支局へ行き、午前中には移転登

         を済ませて、160km走って、夕方には帰宅


 行きの切符は買ってあるし、帰りのガソリンはカードがあるので何とかなりそうです。食費、名変登録台などなど合わせて、少し余裕をみて、やっとかき集めた現金4万円を握りしめて、ワシは東京町田に旅立つことにしたのでした。


 そうこうしているうちに7時15分。キハ40は、重そうにディーゼルエンジンを響かせ動き始めました。外は相変わらずの大雨で、車内はじめっとしていて、薄暗い蛍光灯が、いやでも旅愁を醸し出していました。汽車は、一駅一駅に丁寧に停まりながら牛歩の如く進んで行きました。駅に止まるたびに、車内の人がどんどん減っていきます。降りるばっかりで誰も乗ってこないのです。「さよなら」と友達に声をかけて、雨の降る暗闇に消えていく高校生達は、いったいどんな人生を送るのだろうかとぼんやり考えていました。汽車は、山の斜面と川とのわずかな隙間を縫うようにして走っていきます。周りはもちろん真っ暗です。無人駅に灯る蛍光灯の灯りを見ながら、沿線の人々は、こんな雨の日にはじっと息を潜めて暮らしているのかなあなどと考えながら、窓から暗い景色を見ていました。この何とも言えないような寂しい暗闇は、今のワシの人生そのものじゃなあと思いました。

 それでも汽車は、時間通りに確実に進行していきました。いつの間にか山口県に入っていました。三谷というの駅で停車したとき、暑くなってきたので窓を開けました。外はまだ雨が降っていました。かえるさんの大合唱と、ディーゼルエンジンの振動と音。それから懐かしい鉄道の匂いが入り交じって、20年前の学生時代のことを思い出しました。こうして山口線に揺られながら、行き来していました。あの頃がたぶんワシの人生で一番幸せな時期だったように思います。これまでの受験生活から一変して、戸惑うほどの自由を手に入れて嬉々としていたこと。見るもの聞くものがすべて未知の世界のことで、毎日がワクワクしていたこと。どこからか夕げの匂いがして、母のことを思い出したこと。

 長門峡を過ぎ、篠目を過ぎ、仁保の駅を出てしばらくすると、周りの景色が一変します。真っ暗な山間部から急に光きらめく都会の景色へと変わるのです。汽車は、やっと山口市へと下ってきたのです。

 山口県の県庁所在地である山口市でワシは学生時代の4年間を過ごしました。大都会では在りませんが、落ち着いた気品のある街で、ワシはこの街が大好きでした。小郡までは、あと少しです。光のとぎれることのない沿線の景色を感じていました。

21時23分、終点の小郡に到着しました。汽車は遠慮するように0番線に入りました。汽車から降りて振り返ると、一両だけの黄色い車体が雨に濡れていました。ワシは思わず「ごくろうさん」とお礼を言いました。


 小郡駅で、40分ほど時間がありましたので、新幹線口のコンビニに食料の調達に行きました。これから13時間は列車の中に缶詰なのです。反対側の新幹線口まで跨線橋を渡ります。到着した0番線から新幹線口まで、けっこう長い跨線橋を歩きます。やっとたどり着いた改札口で切符を見せて、

「これからさくらに乗りますが、ちょっと買い物のため出てもいいですか。」

と聞くと、「はい、どうぞ。お気をつけて。」

と優しく対応してくれました。順調です。雨で汽車が遅れることもなく、予定通りにことが進んでいました。切符を大切に内ポケットにしまって、駅前のコンビニに向かいました。

 外はまだ雨でした。駅前の山頭火さんの銅像も濡れていました。俳人種田山頭火。元々防府の方だそうですが、この小郡に庵をかまえ、しばらくお住みになったそうです。山頭火さんの銅像は、こんな寂しい雨の日がお似合いです。地下道通ってコンビニ行って、パンとお茶と、それから酎ハイを一本買いました。ワシは日頃は酒類を全く口にしないのですが、この時はなぜかそういう気分でした。

 駅に戻ってトイレに行って、切符見せて、寝台特急さくらはやぶさ併結列車が発着する4番線ホームに向かいました。人気のない冷たい椅子に座って、雨の音を聞きながら、広くて明るいホームを見ていました。向かいの5番ホームには、山陽線本線上りの普通列車が蛇のように長い連結で発車を待っていました。ちょっと向こうの6番線からは、長い編成の列車が下関に向かって発車しました。

 時間が迫ったので、ワシはカメラを出して、もうすぐ入線してくる「さくら」の写真を撮ろうと思っていました。デジタルカメラを買うための金銭的な余裕がないので、古いオリンパスのカメラに36枚撮りのフィルムを入れてきました。間もなく、寝台特急「さくら・はやぶさ併結号」が音もなく颯爽と、電気機関車に引かれてヘッドマークも鮮やか入線し、ごくあっさりと目の前に静かに停車しました。ワシの寝台指定席は8号車の13号室というB寝台個室でした。この旅を決めてから駅に行って切符を買ったのですが、一週間前にも関わらず、B個室が残っていました。あの頃は利用がいかに少なかったのかが窺えます。

 ところが8号車入り口が見つかりません。ワシは焦って、カバンとコンビニの袋を抱えて右往左往していました。すると親切な乗務員さんが9号車から顔を出してくださって、

「こちらからお乗りください、中を通って八号車に行けますよ。」

と教えてくれました。ああ助かりました。田舎者丸出しで恥ずかしかったのですが、寝台特急ってほんのちょっとしか停車しないと何かの本に書いてありましたので、このままおいて行かれるのではないかと非常に焦ってしまいました。乗ったとたんにプシュッとドアが閉まり、ガタンとショックがあって、さくらはやぶさ号は滑るように走り始めました。

 9号車は普通の2段式寝台で、みんなカーテン閉めて寝入っているようでした。静かに通り抜けて、やっと8号車にたどり着きました。ワシはこの時初めて「個室寝台」というものに乗りました。8号車は、個室がズラーッと並んでおりました。13号室を探し当ててドアを開けました。実はあまり期待していなかったのですが、基地みたいでだなあと思いました。右側に幅70cmぐらいのベッドがあり、左側に同じ幅ぐらいの空間があって、鏡もテーブルも空調関係のパネルも照明関係のスイッチもありました。完全な個室で落ち着けます。それにしてもベッドの上の棺桶みたいな膨らみは何でしょう。これさえなければ十分な広さです。普通のB寝台と同じ寝台料金の6300円ですから、不満などあるはずがありません。すぐに車掌さんが静かにやって来て切符を確認してから

「お降りの際は個室の鍵をその棚の上にでも置いておいて下さい。」

とおっしゃってすぐにどっかにいってしまいました。「個室の鍵」と思っていたら、しっかり個室の鍵がおいてありました。「こりゃあホテル並じゃなあ。一生この中で生活できるなあ。快適じゃなあ。」と感動してしまいました。

 浴衣まで用意してありましたので、早速着替えて靴脱いで、ベッドに腰掛けてカーテンを開けて、酎ハイを飲みながら流れる車窓を見ていました。

 やがて次の停車駅「防府」の1番ホームに到着しました。夜の10時も過ぎているのにけっこうにぎやかでした。ホームの様子がよく見えます。別世界にいるような優越感に浸りながら、ホームの鏡に写った8号車をふと見たら、車内灯でワシの個室は真昼のように明々としていました。ということは、ホームの人々からこちらの様子が丸見えだったということでしょうか。浴衣着てだらしなく酎ハイを呑みながらガラスに顔くっつけて、外の様子をまじまじと見ているまぬけ顔のおっさん。がーん。ワシは急いで車内灯を全部消しました。室内はけっこう暗くなりました。すると車窓の夜景が思わず見入ってしまうほど、綺麗で幻想的なことに気が付きました。夜行列車ならではの贅沢な旅だと思いました。ワシは自分のおかれている、それどころではない悲惨な状況もすっかり忘れて、ただ楽しくて、流れる外の景色を眺めていました。そうこうしているうちに心地よい睡魔が襲ってきました。ワシは仕方なくベッドに横になって、毛布をかけてぼんやりと光がぽつぽつと流れていく車窓を眺めていました。


 目を覚ましたときは、外はすっかり明るくなっていました。

 今、どの辺りじゃろうかと時計を見たら、まだ朝の六時です。それから早朝の車窓の風景が雨に濡れてとても綺麗だなあと思いました。それからぼんやりと雨の車窓を眺めていました。静岡を過ぎ沼津を過ぎ、列車は東に向かって快走しています。出勤途中のホームの混雑を見ながら、渋滞する車の群れを見ながら、自転車通学の学生さんの列を見ながら、本当にここは別世界だなあと思いました。「人様が朝も早くから働いているというのに、ワシだけがは、こんなことしてていいのだろうか」と思ってしまうのは、長年培った勤め人の習性なのでしょうか。はたまた根っからの貧乏性によるものでしょうか?とにかく列車は東へ東へガタンゴトンと確実に進行しています。現代人は時間と生活に追われざるを得ません。旅と言えば、飛行機や新幹線でビューと行ってビューと帰る。行ったら行ったで、あそこもここもと貪欲に観光しまくって、結局時間に追われ、全然のんびりできません。本来の旅とは、このように旅の過程をゆっくりのんびり楽しむものだと改めて実感しました。かけるお金の問題じゃあなくて、時間と心のゆとりの問題なのです。とにかくこんなにのんびり旅ができるのは20年ぶりぐらいでしょうか。この先のことを考えると不安しかありませんが、仕事を辞めて良かったなあと一瞬だけ思ってしまいました。

 いつの間にか、雨もすっかり上がって、春の優しい日射しに変わっていました。そうこうしているうちに、11時7分、定刻通りに横浜駅に到着です。カバンを肩に掛け、春らしい光があふれる横浜駅のホームに降り立ちました。夕べは雨で暗くて焦っていてよく分かりませんでしたけど、8号車個室B寝台車には、車体に大きく「SOLO COMPARTMENT」とペイントしてあることに気がつきました。ダークブルーのちょっとレトロな感じの列車は、まさにブルートレインの名称がぴったりです。風格が漂っているというか、歴史を感じるというか。こうしてまじまじと見るのは初めてのことでした。それから「さくらはやぶさ号」は東京に向かって颯爽と風のように行ってしまいました。

 ワシは、事前に調べておいた乗り換えの確認をしました。確か「京浜東北線」という路線で「東神奈川」に行って、そこから「横浜線」という路線で町田に行くはずでした。階段を降りてキョロキョロして、4番ホームに駆け上がると、なんだかさっぱりわかりませんけど「八王子」行きの電車が入ってきまして、これに乗ると直通で「町田」に行けるとアナウンスを聞いて飛び乗りました。乗って驚いたのは「座席がない」ことでした。満席という意味ではなくて、座席の絶対数が少ないのです。がらんとした空間に、ベンチの如く平べったい座席が申し訳程度にあるだけでした。つまり都会の通勤列車は、通勤時間帯は定員確保のために座席を全部折り畳み、すっかりがらんどうの空間にして、人々を運ぶのでした。つまり、電車は「立ったまま乗る」という考えが前提になっているのでした。どっかの県のように、がらがらの対面四人掛けボックスシートを一人で占領して、荷物も上着も座席に置いて、靴脱いで足のばしてビールでも飲んで・・・という乗り方はしてはいけないのです。

 ワシはときどき「広島」という大都会に買い物に行くことがありました。広島に行っていつも思うのは、「けっこう歩かんといけんなあ。」ということです。駐車場に止めて、買い物して、食事して、車に戻るまでにはけっこう歩くことが必要で、足が疲れてたまらないと思うことが多々あります。ワシが住んでいるところは、基本的に店の真ん前まで車で行けますので、また街が絶対的に狭いので歩く必要はほぼありません。「都会の人は運動不足」なんてことをよく聞きますが、田舎の方がよっぽど運動不足のような気がします。駅などでの乗り換えにしても、都会の駅は何本もホームもあって、駅が田舎の町全体ぐらい広さがありますので、乗り換えするだけでも相当歩く必要があるのです。ワシの町の駅なんか1分も歩けば外に出てしまいます。だから命がけで部活をやって毎日毎日走っても、国体ではいつも最下位近くをうろうろするのが関の山という理由がなんとなく分かったような気がしました。都会の人は絶対歩行量がまったく違うことを思い知った記念すべき日でした。


 気がつけば時間だけがどんどん過ぎていく。急いでクルマを受け取って、昼には出発したい。こんなことをやっている場合ではありません。基本は日帰りなのですから。東京往復基本は日帰りの旅。もしかして無謀な計画だったのではないだろうかと、そんな考えがふと頭をよぎらないでもなかったのですが、お金がないし仕事もないし、そのぶんは「無理」と「工夫」でカバーするしかありません。贅沢をいっている場合ではなかったのですから。今になってこの旅を振り返ると「本当に若かった。」これしかありません。










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