第二話「不釣り合いな貴石」
セピア色に染められた空は、やがて黒に侵食された。我先と姿を見せる星の数が嫌に少ないのは、この街がいかように発展しているのかを表しているからだ。
高層ビルの窓明かりが街を彩る。車のライトが誰かの視界を横切る。まるで導くかのように街灯は並び、忙しなく行き交う人々を照らしていた。
そして、それはもちろん、彼のことも――。
途切れることのない靴音に貢献しながら。ロックもまた、人工光によって彩られたこの街を歩いていた。
第二話「不釣り合いな貴石」
「おお、先生! お出かけかい?」
自身を呼ぶ声に耳が、次いで目が向けられる。ロックが立ち止まり振り返れば、そこには一人の男性が、手を挙げながらこちらに笑みを向けていた。
男性の年齢は、四十代後半ほどだろうか。ロックのことを「先生」と呼んだことから、この男性も、ロックが営む診療所での診察経験があるのだろう。その表れとして、ロックへと向ける男性の眼差しからは、彼に対する信頼のようなものが読み取れる。
「こんばんは。これから、行きつけの喫茶店に珈琲を飲みに行くところなんです」
人当たりの良い笑顔とともに、ロックがそう答える。その笑顔はやけに大人びていて、彼をただ一人の青年としてではなく、医者として映していた。
「そうかそうか。あんたには休暇が必要だもんな、働きすぎだ」
「あはは、そんなことないですよ」
そんな短い談笑を交えると、「じゃあ」と二人は別れを告げる。各々が異なる方向へと足先を向け、踏み出せば、再び誰かの靴音との協奏が始まった。
もう幾度と通った道。今更間違えることもなく、ただ記憶通りに歩みを進める。時折、寂れた路地裏を足早に抜け、近道を試みて。そうして、いくつ目の曲がり角に差し掛かったときだろうか。
ふと、話し声がロックの耳を障り、彼の足を止めた。怪訝に思いながらもそのまま
彼の黒い瞳が捉えたのは、三人の男たちが、一人の少女を取り囲む現場だった。
「だから、あんた当てがないんだろ? なら俺たちと来いって、歓迎するからさ」
そう声を上げているのは、男たちのうちの一人だった。スーツに身を包み、桃色の瞳と一つに結った黒髪が特徴的なその男は、ずいと身を乗り出し、軽い口調で少女に言葉を掛けている。高慢を象るような彼の仕草や風貌は、さながらチンピラと呼ばれるものに近い。
そんな彼とは対照的に、残りの二人の男は高慢さを振りかざすわけでもなく、大人しく口を
「牡丹さん、勝手なことしたらまたリーダーに怒られますよ」
「いいんだよ。あんなガキの言うこと、いちいち気にしてられっか」
寡黙を貫き通していた男のうちの一人が、嫌々ながらも彼を――牡丹と呼ばれた男を制した。
牡丹は彼らの言葉に、その桃色の瞳を嘆かわしそうに閉じてため息を吐いてみせる。そんな彼のことを見る二人の視線は、確実に呆れを孕んでいた。
それを見るに、少女への声掛けはどうやら牡丹の一存で行われたもののようだ。あとの二人はその巻き添えを食らってしまっただけのようで、早く帰りたい、自分たちは関係ないといった感情が、表情から痛いほど滲み出ている。
「あんたも何迷ってるんだよ。どうせこんなところにいたって、食事も寝床も手に入らないまま路頭を彷徨うだけだろ?」
ちらりと牡丹に視線を向けられ、身動ぐ少女。その風貌はまた、ひときわ変わったものだった。
ふわふわと漂う乳白色の長い髪と、赤みを帯びた紫の瞳。年齢は十代後半のようにも思えるが、まだあどけなさが残る顔つきが愛らしい印象を抱かせる。
ただ、より目を引くのは彼女の服装だろう。彼女が身に纏う紫を基調としたワンピースは、それだけで品の良さを強く思わせるが、その胸元を飾る翠玉のブローチが、彼女が特異な存在であることを
何より、彼女のその風貌は、高層ビルが建ち並ぶこの街と酷く不釣り合いだった。
「そ、それはそう、ですが」
「ま、別にあんたがそれでもいいなら、俺たちも構わねえけど」
わざとらしく急かす牡丹の言葉のせいか、少女の声色は困惑に伏していた。彼女の宝石のような双眸は揺れ、牡丹の言葉に眉尻は下げられる。
ここまで観察した上で、今更言葉にするのも
「あの、何をしているんですか?」
そうなれば、ロックが取る行動は一つだけだろう。
角からひょいと身を乗り出し、そう無知を繕いながら四人へと歩み寄る。その表情には、にっこりと笑みを貼り付けて。
四人は当然、新たな乱入者に揃って視線を向けた。各々が示す反応は実に様々で、少女は変わらず不安げな眼差しを晒し、牡丹は眉間に皺を寄せ、残りの二人は言わんこっちゃないとでも言いたげに頭を抱える。
「何って……あんたには関係ないだろ」
「まあ、確かにその通りなんですが……でも、その子が困ってるように見えたから、気になってしまって」
明らかな怒りを見せる牡丹を他所に、ロックは少女へと視線を向けた。少女はそれにびくっと肩を震わせるものの、彼女が遠慮がちにロックへと返した視線からは「助けて!」という懇願が目に見えて受け取れる。
――大丈夫、わかってるよ。その気持ちが伝わるように、ロックは穏やかに微笑みを返す。それを見た彼女の表情からは、どことなく緊張が抜けたような気がした。
「ほら、もう帰りましょうよ。牡丹さんだけが怒られるならまだしも、俺たち巻き込まれたくないですよ」
「はあ? お前ら、それでも俺の部下かよ」
「牡丹さんの部下である以前に、リーダーの部下でもあるんですよ、俺たち」
二人がそんなやりとりをしている間に、牡丹と男たちは軽い言い合いへと発展していた。彼らの情の薄い態度に、牡丹は明らかな怒りと焦りを募らせていく。
要は、この牡丹という男は、あまり部下から信頼されていないのだろう。それか、もしくは――彼らの言う『リーダー』なる存在が、よほど恐ろしいものなのか。
「……わかった、わかったよ! 大人しく手を引きゃいいんだろ」
それからしばらく押し問答を続けたあと。先に折れたのはどうやら牡丹の方らしく、彼は苛立ちに声を震わせると、そそくさとその場から去っていった。
その様子を見た部下たちが、あからさまなほどに安堵の表情を見せる。そしてロックと少女のことを一瞥すると、両手を合わせながら軽く頭を下げて「迷惑かけてごめんなさい」の意を示し、足早に牡丹の背を追いかけていった。
お疲れ様です――胸中で彼らを労うロックと、未だ困惑の拭えない表情を晒す少女だけが、この場に残された。
「……ごめんね、僕がもっと早く駆け付けていればよかったんだけど」
「い、いえ! あの、ありがとうございましたっ。……本当に、助かりました」
振り返り、申し訳なさそうに眉尻を下げるロックに、少女は辿々しく礼を述べる。慌ただしい彼女の様子にくすりと微笑みながら、「力になれてよかったよ」と返答するロック。
その微笑みの
幼い顔立ちの奥に、神秘的な雰囲気を醸し出す彼女の双眸。薔薇柘榴石を思わせるそれは、他の誰とも異なるような妖艶さまでもを引き出していた。けれど、それを調和するように揺れる柔らかな乳白色の髪が、彼女の愛らしさを演出してくれる。
一目見れば、たちまち記憶に残るようだった。それほどまでに、彼女の存在は特異であるように思う。それこそ、彼女の幻想的な容貌は、やはりこの街にとっては不釣り合いで。
それは最早、彼女がこの世界の住民ではないことを示しているようにさえ感じるのだった。
「一つ聞きたいんだけど」とロックが前置きすれば、少女は「はいっ」と背筋を正し、元気よく応えてくれた。これから掛けられるであろう質問に身構える少女の姿は、健気以外の何物でもない。
「……君、この街の人?」
けれど、その心掛けが向かう先は何処へやら。
薔薇柘榴石は、その問いとともに気まずそうに伏せられた。
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