台風一過

そして、強力なハリケーンが独善山脈から膾炙地方へ抜けたあと、こんな素晴らしい青空を残していった。

【暴風はマイウェイを行く さんから】

URLだけが記してあった。


どこまでも広がり空に溶け込んでいくターコイズブルー。取り立てのドメインに紐づいたレンタルサーバー。そのINDEX.HTMLに大判の写真だけがデーンと貼ってある。


「何がカミングスーンよ」


美幸はバスターミナルのカウンターでチケットをパスケースに入れていた。

メキシコ最大の公共交通のひとつ、ADO。遅い時間の夜行バスにトランクケースを積んで、身体をリクライニングに沈めた。まどろみの中、なぜか奥田民雄のヒット曲を口ずさんでしまう。

どうしてこうなった。ハリケーンを真に受けてしまった。絶え間なく吹きつける議論の続きを考えていたら成り行きでこうなった。

翌朝、リゾート地へ到着した。有名な観光地だったのだろう。死んだような賑わいになっている。それにマスクは暑い。下に着こんだビキニが汗ばむ。

町の広場には鳥居が立っていた。そこから徒歩で数分のホテルにチェックインした。目の前のビーチで彼が待っていた。


「小さな出版社を田舎に持ちたいと願ってた。まさかコロナショックで手ごろな物件が手に入るなんてね」

ハリケーンは老後の人生設計をかなり前倒ししたようだ。

レストランを改装した瀟洒な事務所。キッチンはそのままに客席がブースになっている。「実際に食事も出せる。仕事はテーブルのタブレットで十分だろう」

起動してみて美幸は驚く。

デジタイザー機能を備えた絵師向けの本格派だ。それでナポリタンにアクセスした。同時に皿が置かれる。


「俺の作品を読んでる時は目が本当に優しいね。君が俺に優しくしてくれる理由がすごくわかるぐらい温和で、俺の周りにいない気がした」

「そんな」

チャームポイントを褒められてくすぐったい。


「どんなに頑張っても君のように優しく愛されない人間は、世界でただ一人、俺だけなのかもしれないね」

ハリケーンは言葉を区切った。

「もし、俺が逆の立場なら…もし俺が違うタイプの人間であったとしても、君は俺に優しくしてくれるんじゃないかな」


「優しくなんてしません」

「そんなことないよ」

「私に優しくしてくださるのは、お母様、お爺様、お婆様、みんな優しい人ばかりです」


美幸の実家は地主だ。だからうだうだ小説を書いていられる。


「それはどうかな、君は俺を優男と思っているよ。ただ、違うかもね」

「違う?」

「実は、君はお婆様やみんなを甘やかしてないよね。もしかしたら、俺が君に優しく扱ってもらえるわけがないとお思いになるかもしれないよ」

「そ、そんなことは」

「ただね、君は思い違いすると思うよ。お婆様や婆様は本当に君のことをよく知っているというか、君のことを本当に大好きみたいだから、もしかしたら君のような人間が出てきてほしいのかも」


「それってどういう。まさか、私が家族に甘えっぱなしだと、そう評価される可能性があるって言いたいの」

「ないない。君は間違えても、本当に甘えられる人が周りにいるからね。君の家族だって甘えるのは当たり前の、いや当然の行為よ」


「そんなの、私は」

「それじゃあ、君は甘えてもらえない。甘えられないから、いつも誰かのための手段を選んでるのかもしれないね」

「そんなことは」

美幸は口ごもる。


「でも、それも間違いじゃないよ。甘えられる時が来たら、君は甘えてくれるものと思っていいと思う」

彼はそこまで言って、ハッとなって、美幸の顔をまっすぐ見た。

「私は、お婆様のような人の前では甘えたいと、思いません。お爺様のような人の前でも、甘えるものではないと思っています」


「でも君は、甘えてもいいと思ってるんでしょ。作家として意固地を貫いてこられたのも君には家族があるからだ。そして君はこうも言った。作家でない者を育ててこそ作家だ。そこで俺はWEB作家のオンラインスクールを立ちあげたんだ。巣ごもり需要で世界的に供給が追い付かなくなってる。メキシコはラテンアメリカ文学の中心地で出版も盛んだ。ただ、メキシコ人は本をあまり読まない。物価が高いし、読書教育も熱心でない。国内マーケットも小さい。だからメキシコ人作家は世界で勝負するんだ」


そして、パンパンと手を打ち鳴らすと隠れていたスタッフがわっと飛び出てきた。

「ようこそ『トルメンタ』へ!」

握手もハグもないかわりに優しい空気につつまれた。

「ちょっと、これってどういう」

戸惑い気味の美幸に展開が畳みかける。ハリケーンは奥のパーティションを開いた。密にならない広々としたスタジオ。元はコンサートホールだ。

「出版も教育もライブ配信もやる、君も例の言葉に責任を取ってくれるよな。二階に部屋も用意してある。実家のような安心感で仕事してくれていい」


「あ、あ、あ…」

美幸は涙が止まらない。

そしてもう一人、見知った顔があった。

「美幸さん、もう着いたんですか」

「美奈穂ちゃん! えっ、だって彼女は…」

視線がハリケーンと美奈穂を往復する。

「感想欄がとりもつ縁だ。あれやこれやと饒舌な連中のおかげで情報量が増えた。

他にも日本からオンラインで大勢参加してくれている」


「雨降って地固まるとは、この事ね」と美幸は複雑な気持ちになった。


ハリケーンはスタッフに呼び掛けた。「オンライン歓迎会を始めよう。そのあとはネット会見と最初のコンテンツ発信だ。美奈穂、社内食堂タベルナベントの配膳をはじめてくれ。さぁ世界にトルメンタを巻き起こすぞ」

(了)


文責・著述 美奈穂@トルメンタ

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嵐のうみ 水原麻以 @maimizuhara

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