戦闘海流
また、逆風に背を向けて連載継続を決意しても、執筆活動に苦痛が伴うくらいなら連載中止を選ぶ方が賢明だ。
プロではないのだから。
これが二次創作なら、アンチの嫌がらせと割り切って己を貫き通すことも出来よう。
私が好きなオリキャラを活躍させているんだ、これは私の作品だ、何が悪い、と。
だが、投稿サイトの読者は一次創作も容赦しない。
彼らの中には日ごろの鬱憤を評価活動で晴らしている者もいるらしく、作品と作者の人格をむずびつけて攻撃しているという。
最後にハリケーンはモチベ狩りの常套句を暴露した。
いわく、マイナス評価される作者は人格異常者だと。
◇ ◇ ◇
そんな暴論が許されていいはずがない。これは明らかに差別だ。
言うまでもなく作品と作家の人格は別物だ。
推理作家と連続殺人犯(シリアルキラー)がイコールではないように、表現はあくまで表現だ。作者と混同してはいけない。
ところが、悲しいかな。俳優が悪役を演じただけで人々の反感を買ってしまい、仕事を干されるという事例がある。
一般の人権意識と表現者に向けられる意識は異次元のものなのかもしれない。
しかし、それでもだ。
作品の評価と作家の人格は独立して考えるべきだ。
メジャーになれなければ人間でないのか?
それでは、マイナージャンルは成り立たないし、コアなファンがついている作家はやっていけない。
それでも悪いというのなら、それは差別だ。
差別の何がいけないかというと、普通ではないことと、悪いことを結びつける点だ。
病気としての精神病はある。それは確かに得体の知れない不安を巻き起こすかもしれないが、適切な治療を経て社会に適応している人がほとんどだ。
しかし、それをたとえば、喧嘩する際に罵倒の比喩として用いることで差別が生まれるのだ。
病気や障害は悪いことではないのに。
よく「差別しているのではない、区別だ」とうそぶく人がいる
差別と区別はそれこそ違う。区別とは平等に待遇することだ。
ジャンルを問わずに「面白くないものは面白くない」とジャッジを下すのが区別だ。
しかし、マイナス評価だらけの作家を人格否定する行為は「差別」だ。
人間は平等に尊重されなくてはいけないというのに。そうでなければ血で血を洗う殺し合いが始まる。劣った存在は除かねばならぬという動物本能が働くからだ。
ややこしいことに評価の基準は読者の嗜好と、作品の完成度が一緒くたになっている。
おまけに補正がかかりまくった作品がひしめき合うなかで、一概に低評価=悪と決めつけられても理不尽だ。
二次創作には原作の人気が後押ししてくれていて、異世界転生物といえばもうそれだけでメジャーだ。
このビッグウエーブに押し流された作者を単純に悪と決めつけられてもなあ。
多様性に乏しい文化は変化に対応できずに滅んでしまうのだ。
例えばの話、引き出しが少ない芸人がどれだけ生き残っている?
ワンフレーズの一発芸を十年二十年も引っ張って一生食っていけるあの人と、リズムネタでキッズに大人気のあの人ぐらいだろう。
小説を酷評するなというのではない。
出来の良しあしを正当に判定するシステムがなければ、投稿サイトは仲良しクラブのお小説披露宴になってしまう。
だが、人格まで一緒くたに叩かれる風潮はよろしくない。
そういう差別意識とは徹底的に戦っていこうと思った。
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